腫瘍内科医のひとりごと 116 父親、Wさんのこと

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2020年8月
更新:2020年8月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

詳しくは知りませんが、Wさん(当時55歳、男性)は会社社長で、ある地方の名士なのだそうです。そのWさんに、思わぬ悲劇が起こりました。

Wさんが、とても可愛がっているたったひとりの娘さんが、高校に入ったばかりで、血液がんとなり入院されました。娘さんは、テニスが得意で、学校の成績も良く、毎日夜遅くまで勉強していた矢先のことでした。

血液がんの中でも最も難治性のタイプで、何種類かの抗がん薬を一緒に使う治療が3回、薬を変えて行われました。しかし、いずれも効果が得られず、病状は厳しくなっていきました。

ある日、私は回診で娘さんの病室を訪ねました。

娘さんは、酸素吸入をして眠っていたので、声をかけずにそっと部屋を出ました。カルテの温度板では、高熱を繰り返していました。

廊下で、担当医から「お父さんです」と紹介されて、Wさんと挨拶を交わしました。そのとき、Wさんは私に面会を希望されました。

「スタッフ、みんな頑張ります」としか……

2時間後、Wさんは私の部屋を訪ねてきました。

「病気は担当医から聞いています。覚悟をするように言われています。治療が効いていないのもわかっています。皆さん本当によくやって下さって、感謝しています。でも、どうしても助けてやりたいのです。助けて、治してあげて下さい。お願いします」

「父親にとって、こんな良い子はいません。もう、どうにもならないのはわかっています。口の中が荒れているのですが、先ほどは、イチゴのかき氷を食べたいと言ったので、許可をもらって食べさせました」

次第に涙声になって、

「私は、お金で、何でも思うようにやれてきました。お金で会社も発展させました。これまでの私の人生では、お金で何でも出来たのです。先生、それが悪かったのでしょうか? それで娘がこんなことになったのでしょうか? 天は私に罰を与えたのでしょうか?」

私は、何も答えられずにいました。

私は「スタッフ、みんな頑張ります」と言った以外は、慰めの言葉も見つからない、希望を持たせることも出来ない。Wさんの言葉と一緒になって、ただ、うん、うんを繰り返していました。

しばらく経ってから、

「すみませんでした。取り乱してしまって……。これからもよろしくお願いいたします。皆さん本当に良くしてくださって、感謝いたしております」

Wさんはそう言って、何度も頭を下げられ、部屋を出て行かれました。

私はその夜、布団に入ってから、(Wさんに、もっと何か、言ってあげられなかったか)と考えましたが、やはり言葉は見つかりませんでした。

7日後、娘さんは亡くなりました。

その日は、私は出張で病院にいませんでした。

あのとき、一度だけお会いして、それ以後、私はWさんに会えていません。

1年後、私宛に手紙が届きました。

印刷された、1周忌が終わったことのご挨拶文でした。手書きで「大変お世話になりました。ありがとうございました」と、添え書きがありました。

そして、元気なときの、振袖姿の娘さんの写真1枚が入っていました。

「お金で何でも出来た。天は私に罰を与えたのでしょうか?」

Wさんのその言葉を思い出します。

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