腫瘍内科医のひとりごと 129 肺がんの診断から2カ月で……

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2021年9月
更新:2021年9月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

この電話で、私の話を聴いていただけるとのこと、ありがとうございます。

夫(49歳)は肺がんと診断されて、たった2カ月でこの世を去りました。今でも「ただいまー」って帰ってくる気がして、死んだなんてとても思えません。

夫は自営で不動産業を営み、私は電話などを手伝っていました。

2カ月前、夫が「右手がしびれる」と言い、少し呂律がまわらない感じがあったので、私は無理やり病院につれて行きました。そのときは、脳梗塞ではないかと心配しました。

CT、MRI検査を行い、担当医から「肺がんがあって、脳、肝臓に転移している」と言われました。2人とも愕然としました。青天の霹靂とはこのことでしょうか。

緩和ケアを探すよう言われたが……

入院して、抗がん薬治療と全脳照射を10回行いました。

しかし、食欲が落ち、しびれは良くならず、ふらつくようになりました。

3週間目頃、担当医から「1回目の抗がん薬治療は効いていない。全脳照射で効果が出てくるのは、もっと後になる」と言われました。

夫はすこし前のことも思い出せず、スマホのメールに書いたことがわからなくなったのが、私にはとてもショックでした。

その翌週、医師からの面談で、「肝転移巣が大きくなり、肝臓機能が悪くなって、抗がん薬治療は続けられない」と言われ、また2人で落ち込みました。

緩和ケアを探すように言われましたが、抗がん薬治療は1回行っただけです。治療を本当に諦めなければならないのか、そして緩和ケアをどう探せば良いのかもわかりません。

その後、ケアマネージャーとの面談になりました。そこでは、治療法がない状態では、いま入院している病棟に長く居るわけにはいかないこと、そして一般的な緩和ケアのことや、退院して自宅に帰った場合の話でした。

また、緩和ケア病棟は、どこも混んでおり、すぐに入るのは難しいと思うので、自宅に帰る選択肢を勧められました。

治療の継続が出来るかどうかについては、他病院でのセカンドオピニオンという方法を教えてくれました。

S病院の腫瘍内科に、セカンドオピニオンを2人で受けに行きました。夫はこれにとても期待していたのです。

「この状態では、抗がん薬治療は危険です。残念ですが、私も担当医と同じ判断です」と告げられると、「そうですか、ダメですか」と、頭を垂れていました。

在宅ケアを始めた矢先

ケアマネージャーのおかげで介護保険の認定は要介護3となり、福祉用具会社が来て、家に介護ベッドを入れました。家で医師の訪問診療、そしてケースワーカーの援助を受けることになるのです。

病院を退院して、自宅に帰った日、そして翌日も、夜になるとひどく咳き込み、眠れませんでした。3日後、昼に熱が出て呼吸が苦しくなり、救急車を呼び、病院の集中治療室に入ったのですが、あっという間に亡くなったのです。

私はたった1人になってしまいました。

もっと何か治療法はなかったのかと繰り返し考えます。そして、〝あれは夢だった。いままで夢を見ていたのだ〟となって欲しいと思うのです。

すみませんでした。私の話を聴いていただきまして、本当にありがとうございました。いまは近くのスーパーに勤め始めています。これで明日も働きに行けそうです。

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