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腫瘍内科医のひとりごと 148 目標だった緩和ケア病棟なのに
Bさん(54歳 女性 乳がん)は、とうとう緩和ケア病棟に入ることになりました。それは、Bさんが目標にしていた、やっとたどり着く場所でした。
定期の診察で、今回の骨シンチを見せていただくと、骨への転移は背骨だけではなくたくさんあって、真っ黒なところが増えていました。
ホルモン療法、抗がん薬療法、放射線治療、新薬の治験と、この5年間、標準治療だけでなく、あらゆる治療を受けてきました。今は、髪の毛はほとんどありません。今度は腫瘍内科ではなく、緩和ケア病棟と言われたのです。
やっと念願かなって緩和ケア病棟に入る
両親はとっくに亡くなり、姉妹もなく、ひとり暮らしのBさんには、アパートで痛みを我慢して、つらい思いをして暮らしているのは限界でした。ベッドが空くのを待って、やっと緩和ケア病棟に入れて安堵しました。
入院したときに、F病棟看護師長は、「つらいことがあったら、なんでも申してください。早く痛みがなくなるといいですね」と、話しかけてくれました。
Bさんは、乳がんの転移が分かったときから、死ぬときは緩和ケア病棟でと思っていたので、「やっと入れた。これで、安心して、つらいのを少なくしてもらって、きっと安らかに死ねる」と思いました。
さんざん治療もしたし、疲れ果てたと、思ったことは何回も、何回もありました。
痛みなく、苦しむことなく、スーッと死ねたら、それでいい。やっとたどり着いた、安住の地、ベッドだと。
やっと念願がかなったと思いました。
えっ? 目標は家に帰ること⁈
入院して、2週間。木曜日の午後のことです。
担当医と看護師長、相談室の方の3人が病室に来られました。
担当医が、「Bさん、今後の目標を決めましょう」と言いました。
Bさんは、直ぐに〝目標はこのまま平穏に死ぬこと〟と心で思いましたが、黙っていたら、看護師長が、「家に帰ることですよね」と言い、そして、それに担当医は頷いたのです。
え、そりゃあアパートの部屋は、そのまま残していて、何かのときは、めったに来ない甥っ子に託してあるけど、〝あそこにまた、帰るのが目標なの?〟と思いました。
しかし、何にも言えずに、黙っていました。
看護師長は、「痛みが、大分楽になりましたよね」と付け加えました。
確かに、入院したときよりも、痛みは楽になりました。また、入院したのは、「痛みを減らす、つらくないようにする」でした。
Bさんは、やっと「もう少し……」とだけ答えました。
でも、Bさんの本当の目標は、「つらくなく、ここでスーッと死ねること」とは言えませんでした。
「治らない」「治らない」と、もうこれまで担当医から何回も、何回も言われてきました。骨に転移が分かったときから言われてきました。「治らない」「症状の緩和だけだ」と。
「身内がいない方だから、本人に厳しいことを言うけど、治らないのです」と、そう何回も言われて、頭に刷り込まれてきました。
Bさんは、自分の命を〝大切な命〟と思っていないせいから、神の罰なのかとも思いました。また〝あの部屋に帰るのか〟と考えると暗くなりました。
その晩、甥っ子からラインが来ました。
「僕、結婚しているんです。昨日、こんなかわいい女の子が生まれました。おばさんにそっくりです」
赤ちゃんの写真を見て〝えっ? 私に⁇⁇〟
もう少し生きて、実際に会ってみたいと思いました。