腫瘍内科医のひとりごと 149 母への告知

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2023年5月
更新:2023年5月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

73歳の母は子宮がんで、すでに骨転移がありました。

ある病院で、息子さん(42歳)が担当医に話したことです。

どれだけ真実を知らせるかは、息子の私に任せて

「母の病状については、正確に、私に話して下さい。母は、認知症はありませんが、とても心配症です。

がんであることは、母は知っています。しかし、母本人に、どれだけ真実を知らせるかは、息子の私に判断させてください。母にどんなふうに説明するかは、息子の私に任せて下さい」

「世間では、本人の命だから、本人の自己決定権とか言われ、本人に知らせると言います。が、それは一般的なことだと思います。

私は母と2人で暮らしています。私には弟も、妹もいますが、離れて暮らしています。コロナのこともあって、3年ほど会っていません。

母の心を考えますと、一般的なことは通用しないように思います。ですから、私に教えて下さい」

「本人をまじえての人生会議? 家族会議? それは世間の一般論です。田舎の私の家では、当てはまりません。今、母の心のことを一番知っているのは、一緒に暮らしている長男の私です」

「これからの治療法など、それについては、母に先生からお願いします。きちんと受けさせます。しかし、どのくらい生きられるか、余命何カ月とかは、本人には話さないで欲しいのです。予後ということですが、もし、本人が聞いてきても、はっきりとは言わないでください。それは私が聞いて、そして受け止めておきます。本人にどのように話すかは、私に考えさせてください」

母が語っていた友人の余命宣告のこと

息子さんが、担当医にこのように話したことには、訳がありました。

5年ほど前、近くに住む母の親しい友人Bさんが、乳がんで亡くなりました。この友人が亡くなったときに、母は息子に話していたことがありました。

「Bさんは気の毒だったわね。最期近くになって、あと3カ月の命と言われていたらしいのよ。そうしたら、やっぱり3カ月だったわ。あんな宣告されるのは、良くないと思うわ。しかも、本人が聞いてもいないのに、3カ月と言われたそうなのよ。担当医の方は、もう治療法がないから、緩和ケア科に行かせたかったみたいで、それはそうなのかも知れないけど……。

もし私がBさんだったら、3カ月なんて知らないほうがいいわ。そのときになってみないとわからないけどね。でも、あんな言われ方は、死の宣告よ」

このとき、息子さんは母の話すことを黙って聞いていましたが、記憶に残っていました。息子さんは、Bさんの顔は覚えていましたが、話したことはありません。母がBさんのお通夜と葬式に行ったことも、記憶していました。

同じ病期でも、同じ進行具合でも、いつ命が絶えるか、誰にもわからない。がんの終末期は、ごく近くなっても、1人ひとり違ってくることも多いのです。

医療が、家族が、「本人の体と心をどう支えるのか?」ですが、一家族2人しか暮らしていない現実があります。

息子さんは、「もし、自分が進行したがんになって、3カ月と言われたら……、そのときは、もう母はいなくてひとりだろうし……」

今、盛んに少子化対策の論議が交わされていますが、人生の終末、ひとり暮らしの患者を誰がどう支えるかも大きな問題です。

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