精神腫瘍医・清水 研のレジリエンス処方箋

第9回 病気と向き合いながら自然に生まれる「気づき」がある

構成・文●小沢明子
発行:2020年12月
更新:2020年12月

  

しみず けん 1971年生まれ。精神科医・医学博士。金沢大学卒業後、都立荏原病院で内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院で一般精神科研究を経て、2003年、国立がんセンター(現・国立がん研究センター)東病院精神腫瘍科レジデント。以降一貫してがん患者およびその家族の診療を担当。2006年、国立がんセンター中央病院精神腫瘍科勤務、同病院精神腫瘍科長を経て、2020年4月よりがん研有明病院腫瘍精神科部長。著書に『人生で本当に大切なこと』(KADOKAWA)『もしも一年後、この世にいないとしたら』(文響社)『がんで不安なあなたに読んでほしい』(ビジネス社)など

私がお会いした多くの方は、「がんになって良かったとは決して思えない。しかし、がんにならなければ気がつかなかったことがある」ということをおっしゃいます。

がんを告知され、悲しみや怒りがこみ上げてくる日々を送っているなかで、患者さんの多くは徐々に気持ちを建て直して、以前とは異なる世界観が生まれてきます。心理学では、これを「心的外傷後成長(Posttraumatic Growth:PTG)」と言います。人は衝撃的な出来事があると大きな痛手を受けますが、大切な気づきもあるという概念です。

心的外傷後成長には、次のような変化が生じると言われています。

①人生に対する感謝
②新たな視点(可能性)
③他者との関係の変化
④人間としての強さ
⑤精神的変容

この5つの変化について、詳しくお話しましょう。

当たり前の毎日がいとおしくなる

まず、多くの方が最初に感じる変化が、①の「人生に対する感謝」です。

現代人の多くは、生き続けることを当然のように思って毎日を過ごしています。人生はこの先も何年も続き、10年後はどうなっているのだろう、こうありたい、などと未来の自分に期待を抱きながら、これからも時が平穏に過ぎていくと思い込んでいます。

ところが、がんを告知されると、今まで当たり前だと思っていたことが、実は貴重なことであることに気づきます。

ある血液がんの男性は、「長い入院期間を経て自宅に戻った翌朝、妻が台所でネギを刻んでいる音が聞こえてきた。入院前にいつも聞いていたはずのその音が、とても温かく聞こえてうれしかった」と言いました。それまでは当たり前のように聞いていたのに、こういう毎日がいつか失われるかもしれないと思うと、とてもいとおしく思えてくるわけです。

時間が永遠に続くと思っていると1日を粗末にしてしまいがちですが、時間が限られているとなると1日1日が貴重に思えるでしょう。「無事に過ごせることはありがたいこと」という、生きることへの感謝の気持ちが生まれてきます。

人生の優先順位を考える

感謝の気持ちが生まれると、貴重な時間をどう過ごすか、本当に大切なことは何か、人生の優先順位を考え始めます。2つ目の「新たな視点(可能性)」です。

50代で喉頭がんになった男性は、「節約して貯金をすることが喜びでしたが、使い道を考えずにただ貯金をすることになんの意味があるのだろうか」と考えるようになったそうです。そして、「これまでは、家族のためにお金を増やすことが大事だと思ってきたけれど、家族のため、自分のやりたいことのために、お金を使うことにこそ意味があるのではないか」という考え方に変わったと言いました。

このように、がんになったことをきっかけに、お金に対する価値観が変わった方は意外に多いように思います。

また、60代の肝がんになった元新聞記者の男性は、阪神淡路大震災の被災者の声を綴りたいと思いながら、その作業を先延ばしにしていたことに気づき、起業した会社を部下に譲って引退し、執筆に専念しました。

「いつかはやりたい」と思うことがあったとしても、人生には限りがあることを意識しないで先延ばしにしていると、結局実現しないで終わることもあります。彼のように会社を退くことは大きな決断ですが、がんを機に「これだけはやり遂げないと死ねない」という強い気持ちが生まれ、つき動かされたのだと思います。

人は温かいものだと思い、他者への愛が深まる

がんになり、家族や友人などさまざまな人が手を差し伸べてくれた経験があると、「自分は多くの人に支えられて生きている」と実感します。これが3つ目の「他者との関係の変化」です。

「友人が親身になって病院へ一緒に来てくれた」「体を動かすのがつらいとき手伝ってくれた」「何度もお見舞いに来て一緒に泣いてくれた」など、「人って温かいものだと思うようになった」という話は、カウンセリングのとき何度も耳にしました。

また、「入院中に、医療者がやさしく支えてくれた」という話もよく聞きます。病気になって初めて周囲の人に「甘える体験」をして、「人は信頼できる存在なのだ」という考え方に変わっていった方もいました。

他人に親切にしてもらったり、勇気づけられたりした体験があると、「今度は自分が誰かの役に立ちたい」という気持ちにつながっていきます。自分は愛されていると実感すると、他人への愛情が深くなっていくように思います。

自分を肯定することが自信につながる

「案外、思っていたより自分は強いものですね」という言葉も、患者さんからよく聞きます。これが4番目の「人間としての強さ」です。

50代で胃がんになった女性は、こんなことを語ってくれました。

「がんになって想像以上の苦しみがあったけれど、それを乗り越えたことで、ひとつの修羅場をくぐり抜けたような気がしています。『へこたれずに頑張ったね』って、自分のことを褒めてあげたい」と。

がんと向き合う中で、自分が知らなかった強さやしぶとさに出合うことがあるようです。この方のように、自分自身に対する見方が変わると、自分に自信が持てるようになります。

また、自分は「~であらねばならない」という考え方をやめて、「あるがままの自分の気持ち」を認められるようになる方もいます。

例えば「心配をかけてはいけない」「弱音を吐いてはいけない」などと思い込んでいると、心のままに悲しんだり、落ち込んだりすることができなくなります。でも、周囲の目を気にすることなく「自分はこうしたい」という行動がとれるようになると、本来大切にしなければならないものが見えてきたり、改めて人生の優先順位を考えたりすることができるようになります。

自分を肯定できるようになることに、人間としての強さを感じます。

人間の力を越えた存在に気がつく

人間の力をはるかに超えた力に気づくようになるのが、5つ目の「精神的変容」です。宗教的な考えの中で神の存在を意識する方もいれば、自然に対する美しさや畏敬の念を感じる方もいます。

40代で乳がんになった女性は、夫と娘さんと3人で見た桜の美しさにとても感動したそうです。夕暮れどきに川辺を歩きながら、大きな枝を広げて咲く桜に夕日がかかるのを見て「こんなに美しい光景があるんだ」と、心を奪われてしばらく見とれていたと言いました。美しい桜の姿に、これまでいろいろあったけれど、いい人生だったなと、自分の思いを桜の花に重ね合わせたのかもしれません。

心的外傷後成長は心理学の言葉ですが、このような変化を「成長」と言われたくないという人も多くいます。本人に「成長した」という自覚はありませんし、成長しなければならないということもありません。無理に前向きになろうとしたり、悲しみを乗り越えて成長しなければならないと思う必要はありません。

心的外傷後成長は、がん患者さん1人ひとりが、自分の病気と向き合う過程で自然に生じてくるものだと思っていただければと思います。

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