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- 吉田寿哉のリレーフォーライフ対談
「もらった命」。だから怖いものは何もない
自分にできることは何かを考えて、行うことが大事
おおたに たかこ
1961年生まれ。1986年、大学院在学中に慢性骨髄性白血病と診断、88年に母親より骨髄移植を受ける。その後、「名古屋骨髄献血希望者を募る会」を発足し、89年には「東海骨髄バンク」を設立。90年に発足した全国骨髄バンク推進連絡協議会の運営委員、副会長を経て、現在は会長を務める
日本骨髄バンク
TEL: 0120-445-445
よしだ としや
1961年北九州市生まれ。84年一橋大学卒業後大手広告会社入社。89年アメリカ国際経営大学院(サンダーバード)でMBA取得。2003年秋に急性骨髄性白血病発病、臍帯血移植を行い、05年6月復職、現在部長。著書に『二人の天使がいのちをくれた』(小学館刊)
もっとジタバタせなあかん
吉田 大谷さんと出会ったのは、僕が急性骨髄性白血病で入院していた昨年4月のことでした。白血病が再発して悶々としていたときに、会社の先輩から、骨髄バンクの設立者である大谷さんを紹介されたんです。妻から大谷さんに電話を入れてもらったんですが……ビックリしましたね。電話を替わった途端、「あんた自分の命なんやと思ってるの、もっとジタバタせなあかんわ!」とまくし立てられて。でもそれがきっかけで、積極的に自分の病気のことを調べようという気持ちになったんです。
大谷 忙しくなってよかったでしょ? 悩む暇がなくなって。
吉田 すごくよかったです。最初はビックリしたけど、病気を克服した人のエネルギーを感じて勇気付けられましたね。大谷さんは18年間、患者さんのために活動をしてきた方だから、いろいろな話をお聞きしたいと思って来ていただいたんです。
大谷 吉田さんのように自分で電話をしてこられない方は、怖くて現実から逃げている方が多い。それは当たり前なんです。それでも私が最初に喝を入れるのは「時間」がないから。甘いことを言うてる暇はない、後で「なんだこのオバハン」と文句言われてもいいんです。その方が亡くなられてから、ご家族に「もう少し背中を押してくださればよかったのに」と言われても遅い。その人が生き続けて「アンタなんか2度と会いたくない」と言われるんだったら、こんな幸せなことないんですよ。
吉田 そこは大谷さん、本当に徹底してますよね。
大谷 私がひとつだけ心がけているのは、どんなにキツイことを言っても「その人だけをがんばらせない」ということ。どんな強い人でも甘えたいときってあるでしょ。自分でいろいろ調べて質問をしてこられる方には、最大限お手伝いしようと決めているんです。そういう方には、「夜10時過ぎならいつでも電話してちょうだい」とお声がけするようにしています。
吉田 大谷さんのおかげで僕も「意識革命」を起こすことができた。やっぱり一番励みになるのは、同じ病気を克服した人の言葉。説得力が全然ちがいますよね。妻も、「私が言っても聞かないのに、大谷さんに電話してからコロッと変わった」って言うんです。その意味では大谷さんは命の恩人だし、いい方に出会えたと思っています。
患者体験はサポートの上で「強み」であり「弱み」でもある
大谷 ただ、私もすべての患者さんに同じように接するわけではなく、状況に応じて接し方を変えています。なぜかというと、以前ある人に言われた言葉が忘れられないんですね。
実は私、白血病は克服したものの、どうしても克服できない悩みをずっと抱えていたんです。骨髄移植の影響で不妊になり、子供ができなくなってしまった。その事実がどうしても受け入れられなくて、生きる意味を見出せなくなってしまったんですね。
吉田 骨髄移植を受ける前には、自前の造血幹細胞を破壊するために、通常の治療の何10倍もの抗がん剤を投与しなければならない。だから生殖機能も壊滅的なダメージを受けるわけですよね。骨髄移植してから、どれぐらいで気がついたんですか。
大谷 移植してから1年で生理がないことに気がついて、「石の上にも3年」という先生の言葉を真に受けて、馬鹿正直に3年待ったんです。3年目に外来の診察に行ったとき、もう子供はできないとわかった。泣きながら診察室から出てきたとき、患者さんのお母さんと思しき人が私の顔を見て駆け寄っていらしたんですよ。「大谷さん、私の息子を助けてください!」って……。でも私はショックのあまり、思わず「移植なんか受けないほうがいいと思いますよ」と口走ってしまったんです。
吉田 精神的に自分をコントロールできなかったんでしょうね。
大谷 そのときは事の重大さに気づかず、ひたすら泣いてばかりいました。骨髄バンクの「顔」として笑顔でテレビに出演しながら、帰宅後ガーッと落ち込む日が続いて。
そんなある日、新聞でカウンセラー養成講座の告知を見て、通い始めたんです。なんで私は生きていることを感謝できないような人間になってしまったんだろう、自分のカウンセリングを受けてみたい、と思って。
吉田 それで?
大谷 初日に小論文の提出があり、私は「自分が立ち直ったら患者さんのサポートをしたい」と書いたんですね。すると先生にこう言われたんです。「あなたの患者体験は、あなたが患者さんをサポートする上で強みになるだけでなく、弱みにもなることを忘れないでください」って。
吉田 弱みになる、というのはどういう意味ですか。
大谷 先生はこうおっしゃるんですね。「あなたが元気に活躍している姿を見て、患者さんは、『私もあんなふうに元気になれるんだ』とよいイメージを持つことができるでしょう。でも同じ病気でも、人それぞれ性格も環境もちがう。『自分はがんばれへん』と思う人もいるでしょう。患者さんは家族には反論する余地があるけれど、あなたが『私にできたんだから、あんたもがんばり』と言ってしまったら、患者さんは八方ふさがりになってしまう。そのことだけは忘れないでください」って。すごいショックでしたね。それ以来、患者さんと接するときは気をつけるようにしているんです。
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