凄腕の医療人

腹腔鏡によるがん治療を拓き、進歩させ続ける

取材・文●祢津加奈子 医療ジャーナリスト
発行:2013年9月
更新:2013年12月

  
日本で初めて大腸がんの腹腔鏡手術を行った渡邊昌彦さん。「質の高い手術を行い、標準治療へ」と語る

渡邊昌彦 北里大学医学部外科学教授
わたなべ まさひこ 1979年慶應義塾大学医学部卒業、慶應義塾大学外科学教室入局。国立がん研究センター(現・国立がん研究センター)、米国ワシントン州立大学等を経て、1992年慶應義塾大学医学部助手。1996年、日本初の腹腔鏡による大腸がん手術を行う。2000年同講師を歴任。2003年北里大学医学部外科教授。2007年北里研究所病院内視鏡手術センター長併任。大腸疾患の診断・治療に取り組み、とくに内視鏡外科手術を専門とする


現在、消化器がんの中で最も腹腔鏡下手術が普及しているのが大腸がん。腹腔鏡の導入によって、手術による患者さんの負担は大きく軽減した。日本の腹腔鏡によるがん手術の開拓者、そして早期がんから始めて、進行がん、直腸がんと、その普及に尽力し続けているのが北里大学医学部外科学教授の渡邊昌彦さんだ。

低侵襲・低出血量と無駄がない手術

助手に入った若い医師たちに丁寧に指導しながら手術を進める渡邊さん。技術と考え方が、しっかりと伝承されていく

今日、腹腔鏡下で直腸がんの摘出手術を受けるのは、62歳のAさん。

がんは、検診で見つかった小さな早期がんだが、粘膜下層に食い込んでいた。渡邊さんによると「粘膜下層に1000μ以上浸潤していると、10%の確率でリンパ節転移がある」という。そのため、以前は開腹手術が行われていたが、それでは転移のない大半の患者さんにとっては無駄に大きな手術を受けることになる。そこで、渡邊さんたちが内視鏡的な切除の対象にならない早期がんの患者さんを対象に導入したのが腹腔鏡下手術だ。ただし腹腔鏡下でリンパ節郭清など開腹手術と全く同じ手術が行われる。

直腸がんは狭い骨盤内にあり自律神経が近いので、結腸がんより手術の難易度は高い。しかし、渡邊さんには慣れた手術だ。

ただし、Aさんにはハンディがあった。以前、検診で胃破裂を起こしている。盲腸の手術歴もある。そのため、腹腔内にかなりの「癒着」があると推測された。

10時20分。手術が開始された。おへその部分に小さな切開を入れ、腹腔鏡や手術器具を入れるために単孔式のポートが装着された。通常のポートでは1つの器具しか入らないが、単孔式のポートには腹腔鏡と複数の器具を挿入する孔がある。まず、単孔式ポートで広汎な癒着を剥離した。その後渡邊さんは、癒着がなくなってから通常のポートを追加して、傷の少い手術を目指したのである。

腹腔内に手術空間を作るために炭酸ガスを入れると、「癒着が強い」と声があがった。

モニター画面から、腹壁と内臓の間にいくつもの膜が張っているのがわかる。これを少しずつ切開して「手術の陣地」であるポートの留置先を作っていく。

11時20分。下腹部に2つのポートを設置し、いよいよがんの手術に入る。組織を剥離しながら、助手に入った若い医師たちに渡邊さんが聞く。

「ここで一番大事なことはなに?」。下腹神経や尿管の位置など、要所要所で指導する。同時にそれは自分のためでもあるという。「人に説明できないことをするべきではない」というのが渡邊さんの持論だ。

太い血管は、クリップで止めて切離する。渡邊さんの手術は、驚くほど視野が良い。出血がほとんどなく、まるで解剖図のように手術部位が見えるのだ。渡邊さんに言わせると、「これがふつう」。「北里大学ではこの前、肝臓、胃全摘、直腸摘出と腹腔鏡下で3つの手術を行い、出血量は合計で100ccでした。消化器がんの腹腔鏡下手術は、計測できないくらい出血が少ないのが通常です」

実は、これにも裏づけがある。

「発生学に基づいて、胎生期に戻すように剥離していけば、出血しないのです」

それはこうだ。もともと口から肛門は1本の管。それが胎生期に胃や腸に分化していく。大腸は270度ねじれてループを作り、背中側にくっつく。だから、大腸から複雑に血管が伸びているが、元の1本の真っ直ぐな管に戻して考えれば、出血させずに剥離するのも容易なのだそうだ。

困難な手技も腹腔鏡下で

大きく口を開くポートを装着し、ここから切離した直腸を摘出した

午後1時半、露出した直腸の外側からがんの位置を探り、肛門から入れた直腸鏡で内部からもがんの位置を確認した。

2時20分。自動吻合器を使って直腸を切断。単孔式のポートを抜いて大きく口の開くポートを装着し、ここから切断した直腸を出して反対側も切断、摘出した。あとは、残った腸と肛門側をつなげば完了だ。

しかし、この日はここからが難題だった。腸が脾臓と癒着し、肛門とつなぐ位置まで降りてこないのだ。渡邊さんによると「脾臓の皮膜が破れると大出血を起こす」という。

それを、「怖いな」とつぶやきながら渡邊さんが慎重に剥がしていく。何とか、出血もなく癒着が剥がれてきた。いよいよ吻合だ。

肛門側から入れた器具と腸の側の器具をつなげて準備が整ったところで、「ファイアー」という声が響く。同時に、パチンと音がして自動吻合器が作動、肛門側の直腸と結腸がつながった。周囲から拍手が起きた。

だが、渡邊さんの顔はすぐれない。「腸のゆるみが不足している。排便時の圧迫で吻合部に圧がかかるのが心配」というのである。

排便で肛門を閉めるときに吻合部に圧がかかり、はじけたり、孔が開く、すなわち吻合不全があるのだ。世界では15~18%、国内でも8.3%にこうした合併症が起きているという。渡邊さんによると、「3日もすれば常食でも大丈夫」だという。

こうして手術は午後3時半、終了した。

「どんなに手術の経験を積んでも、全てが完璧だと思ってできることは1年に1回もないのですよ」と渡邊さんは語る。いつまでも謙虚な姿勢を忘れない。

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