胃がん開腹手術の第一人者

日本発の定型手術を伝えるために世界行脚 胃がん手術の向上を目指す

取材・文●伊波達也
撮影●向井 渉
発行:2014年8月
更新:2019年7月

  

佐野 武 がん研有明病院消化器外科部長

がん研有明病院消化器外科部長の佐野 武さん

年間の胃がん手術件数日本一というがん研有明病院消化器外科を率い、日々臨床現場で患者を救う。同時に、日本、そして世界の胃がん手術の技術向上を目指して、日本発の定型手術を伝えるために、世界中の医療施設を行脚し続ける。そんな凄腕の医療人の日常である手術室での姿を追った。

さの たけし 1955年 大分県生まれ。1979年 東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院第一外科入局。1986年、パリ市キューリー研究所(フランス政府給費留学生として留学)。その後、静岡県焼津市立総合病院、国立がんセンター中央病院(現国立がん研究センター中央病院)を経て、2008年 がん研有明病院に赴任。日本胃癌学会理事、国際胃癌学会監事ほかを歴任。2016年の第88回日本胃癌学会総会では会長を務める

胃がん開腹手術の第一人者

「胃がんの手術は特別な名人芸というより、オーソドックスで再現性のある手技であることが大切です。日本中の医師がそれをきちんとできるようになってもらうために、我々は多施設での臨床試験を実施し、その結果を踏まえて、標準的な胃がんの手術の確立に努めてきました」

そう話すのが、胃がん開腹手術の第一人者であり、通算手術数2,500例を超える、がん研有明病院消化器外科部長の佐野武さんだ。

現在、佐野さんは、日本胃癌学会の診療ガイドラインの作成委員長を務め、我が国のみならず、世界に向けて、胃がんの定型手術の利点を説き続けている。

胃がん治療を世界へ伝えるスポークスマン役に

日本のがん医療は、多くの場合、欧米で確立されたガイドラインに追随する形で、我が国の診断・治療法を決定してきた。しかし、胃がんは日本が世界をリードしてきた。日本の胃がん手術は手術成績がいい。短時間で出血量が少なく、合併症も少ないことを、日本で胃がん治療に携わる医師たちは自認していた。

ところが、その手技の高さとエビデンス(科学的根拠)のある治療について、世界的には認識されていないことに忸怩たる思いがあった。その全貌をつぶさに見て、把握していた佐野さんは、積極的に日本の胃がん治療を世界へ伝えるスポークスマンになろうと考えた。

中でも、最も強くアピールしてきたのが、胃がんの定型手術におけるD2郭清の重要性だ。D2郭清とは、胃に流れ込む血管に沿って存在するD2と呼ばれる区域のリンパ節を郭清することで、より根治へ導くことができるというエビデンスに基づく考え方だ。しかし、このリンパ節郭清は、欧米の医師たちにはなかなか理解されなかった。

リンパ節郭清に対する考え方に大きな違い

リンパ節の郭清に対しては、欧米と日本では考え方に大きな違いがあった。

欧米は、もともと肺がんや乳がんの治療からリンパ節郭清の意義を発想していたため、リンパ節に転移があれば全身病を意味し、リンパ節を郭清することは無意味で、むしろ切除範囲を縮小すべきとの考えに立っていた。

一方、日本は胃がんの治療から発想していたため、リンパ節郭清をきちんとすることで、良い結果が得られるという考え方を堅持していた。

とはいうものの、手術の縮小傾向は、あらゆるがんで時代の趨勢であるため、胃がん手術において正しいとされていた拡大郭清と、それより縮小するD2領域郭清の比較試験を実施した。

その結果、根治術としては、胃3分の2以上切除とD2リンパ節郭清を行うのが最もふさわしいという定型手術の考え方を確立した。

そこで、なぜD2郭清をするべきなのかを、佐野さんは、忍耐強く説いてきた。次第にこのコンセプト(概念)は、世界で注目されるようになり、定型手術の考え方に納得した海外の医師は、自国で広めようとしてくれた。

佐野さんも、かつては英国外科医師会で教育コースである「D2胃切除講座」の講師を務めた。アメリカでは、安全に実施できる施設に限るというただし書き付きで、D2郭清の意義がガイドラインに記載されるまでになった。

アプローチにはその都度判断が求められる

研修医らが見守る中で手術は淡々と進む

助手の若手医師にソフトな語り口で指示を出す

取材当日の手術も、自らがその普及に努めてきた、定型手術である幽門側胃切除術とD2リンパ節郭清だった。

患者は70歳代の女性で、胃体下部、胃角部、前庭部前壁、後壁、小弯部、8cmの潰瘍浸潤型がんとの記述があった。胃下部のがんだ。

「それでは、幽門側胃切除術を始めます。3時間の予定です。よろしくお願いします」

佐野さんの掛け声とともに、午前9時半に手術は始まった。助手は消化器外科の若手の医師2人。麻酔科医、器具出しの看護師も若くて初々しい。

腹部が正中に沿って開かれていった。電気メスやクーパーなどによる細かい作業が続く。腹部の森の中に分け入っていくようなイメージだ。

「お腹の中の複雑な解剖学的構造は、豊富な手術経験があると、すべて理解しているように思われがちですが、患者さんの体格や腹腔の状態は常に違うため、アプローチにはその都度の判断が求められるのです」

手術開始から10分弱経った頃、胃がんの腹膜転移がないかどうかを調べるため、ダグラス窩の組織が迅速診断に回された。

ダグラス窩とは、直腸と子宮の間のくぼみで腹腔内の一番底になる部分だ。ここにがん細胞がこぼれ落ちてがんが増殖することがあるため検索が必要なのだ。

しばらくして、「ダグラス窩、マイナスです」と病理からの報告がインターフォンを通じて、手術室内に響いた。皆、安堵の表情を浮かべる。

その間、腹腔内臓器、腹壁、大網、腸間膜などへの転移がないかどうかが次々に調べられ、原発巣も検索されて、切除範囲が決定されていく。

D2リンパ節を郭清するため、胃に流れ込む血管などが丁寧に結紮され、血管に沿って存在するD2リンパ節が慎重に郭清されていった。そしてリンパ節の一部が、再び病理の迅速診断に回された。リンパ節もマイナスだった。

手術は淡々と進む。佐野さんは周りのスタッフに余計な緊張感を与えないソフトな語り口で、指示を出したり、説明をしたり、時には笑いをとっている。後輩に自分の手技や知識を伝承していく、まさに教育的な手術という印象だった。

「我々にとって手術は日常ですから、あまり緊張感を持続し過ぎるとやっていけません。ここぞという時に集中する、手術はメリハリとリズムなんです」

若手スタッフに手術でのメリハリとリズムの重要性を身をもって示す

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