根治と機能温存の両立を目指すチーム医療

早くからチーム医療に取り組み、日々改良を重ねる

取材・文●黒木 要
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2014年12月
更新:2015年8月

  

幕内雅敏 
日本赤十字社医療センター院長/東京大学名誉教授

日本赤十字社医療センター院長の幕内雅敏さん

肝がん手術の世界的権威として知られる幕内雅敏さんのもとには、他の病院で手の施しようがないという患者も多く駆けつける。多忙な院長業務をこなしながら、現在も週3回、執刀している。

まくうち まさとし 1946年、東京都生まれ。73年東京大学医学部卒。国立がんセンター病院、信州大学医学部第一外科教授などを経て、94年東京大学医学部第二外科教授就任。2007年より現職

世界初の術式開発で 肝切除に革命を起こす

この日、手術を受けたのは70代の男性Cさん。午前10時半、手術室に入ると、すでに手術は始まっていた。開腹もだいぶ進んでおり、大腸が露出されている様子からすると、肝臓の露出も間近で、ほどなくがんの切除に入るものと思われた。

ところがこれが大きな間違いで、癒着剥離が始まったばかりなのだという。執刀は幕内さんではなく部長の橋本拓哉さんが担当(写真)。幕内さんは癒着剥離に目処がたってから、駆けつけるのだそうだ。

剥離作業を行う部長の橋本拓哉さんらチーム幕内のスタッフ

Cさんの病状や手術の内容については、事前に「肝の部分切除」の十分なインフォームドコンセントが行われていた。今回は関西の病院で手術を受けた後の再発例のため、相当高度の癒着があった。

癒着は臓器・組織が外傷や炎症で傷ついた後に、治癒する過程で隣同士が線維組織で互いにくっついてしまうことだ。がんの治療では手術や放射線治療後などに起こる。再手術であるならば、肝臓は隣接する大腸や横隔膜など、様々な臓器や組織と癒着しているはずで、これを剥離しないと肝臓の露出が中途半端になってしまい、ベストの手術は困難になる。

手術チームの高本建史さんに小声で質問すると、やはり原発性肝がんの再発による再度の肝切除で、術式は部分切除だという。肝切除は黎明期にはがんの存在する左右いずれかの〝葉〟をごっそり取っていた。出血も多く、残せる肝臓も半減するため、出血死や肝不全などで死亡するケースが少なくなかった。それが肝の4分の1の〝区域切除〟になり、次いで8分の1の〝亜区域切除〟が可能になって現在に至っている。これが肝切除の現在の標準術式だ。

亜区域切除は肝がん細胞が肝臓に張りめぐらされた門脈の血流に乗って肝内転移をすることを利用し、本体の腫瘍およびがんが飛びそうな流域をまとめて切除する手術法だ。肝臓をできるだけ残しつつ、散らばっているかもしれない目に見えないがんを残さず取ることを目的に幕内さんが開発し、1980年に世界で初めて実施した。

今回のCさんの手術は、亜区域切除よりもさらに小さい切除で、がんの存在する部分をくりぬくように摘出する〝部分切除〟だ。縮小手術の一種で、肝機能に余裕がない場合や手術負担をできるだけ軽減したいときに採られる術式だ。

肝がんで肝切除が可能であることは、ある意味で幸運という側面がある。肝がんの治療には、手術のほかラジオ波などの焼灼(凝固) 療法、肝動脈化学塞栓療法(TACE)、肝動注化学療法、放射線治療、分子標的薬療法などの選択肢があるが、根治性が最も高いのは手術(肝切除)だ。

一定の条件が必要で、遠隔転移がある場合はもちろん不可。肝機能や腫瘍数などにも条件があり、患者全体の3分の1しか受けることができない。再度の肝切除となると、手術可能なケースは肝再発した患者全体の30~50%なのだという。初回切除の適応が30数%なのだから、意外に多いとも言えるが、初回切除が可能だった3分の1のさらに半分および3分の1になるのだから、やはり再度の肝切除を受けられるということは幸運と言っていい。

肝臓の亜区域=肝臓の1番から8番までの亜区域には、それぞれ尾状葉あるいは左葉外側後区域などの名前がついているが、外科医たちは「腫瘍の位置は3番地」とか「今日はセグメント5の切除」とか、番地で言い表すことが多い

ベストの切除を行うための工夫

Cさんの癒着はかなり広範に起こっており、手術チームは難渋しているようだ。様子を覗くと、癒着部位は半透明の白い膜で覆われており、文字通り薄皮を剥がすように数ミリずつ電気メスを進めている。そうしないとすぐに大きな出血につながり、肝切除までは行き着かない。

「剥離が完了するのは短くて3時間、長い場合は12時間、平均6時間といったところでしょうか……。先般は24時間かかりました」と高本さんが教えてくれた。今日もそれくらい要するのだろうか。肝臓外科医にとっては日常茶飯事のことなのだろうが、改めてタフな仕事だと思う。

突如、手術室の隅の棚に置いてあるAV機器から「テーピングはできた?」と声がした。声の主はいったい誰なのか、状況が呑み込めないので、例によって高本さんの顔を見ると、無影灯の隙間に仕込んである小型カメラと集音マイクを指さした。これを通して手術の模様はすべて院長室に届いており、院長室でモニターを観察しつつ執務をしている幕内さんが、手術の進展具合を気にして聞いてきたのだという。テーピングとは出血防止のために肝臓全体を栄養している太い血管の根元(肝十二指腸間膜)で血流を遮断する措置で、幕内さんの出番が近いことを意味するらしい。

「もう少し後でーす!」橋本さんが執刀中の術野をずらすことなく叫んだ。

それから30分後の正午に幕内さんが手術に入ってきた。一瞬にしてスタッフ全員に緊張が走り、手術室の空気が張り詰めた。ゆっくりと手術着に着替え、手伝ってくれた看護師さんに向かって幕内さんは、「元気?いっしょに記念撮影をしよう」とにこやかに語りかけ、取材中のカメラマンにシャッターを切るようにせがんだ。

幕内さんが開発した超小型超音波プローブとモニター画像

摘出腫瘍と縫合を終えた摘出部位

張り詰めていた手術室の空気がなごんだ。これからどれくらいの長丁場になるのかわからない。スタッフの緊張を解くために先生なりに気をつかっているのだと推測した。執刀を橋本さんと交代した途端、BGMがJポップから演歌に切り替わった。幕内さんが用意したCDには石川さゆり、八代亜紀らの歌が入っている。ここぞという時に気合が入って集中するのにいいらしい。「津軽海峡冬景色」がとくにお気に入りだとか。特定の楽曲の終わりで、時計を見ることなく手術の経過時間がわかるメリットもある。2曲合計で8分というように、術野から視線を外したくない時にも都合がよい。

執刀を交代してから30分。ガチガチにくっついている癒着を完全に剥がすのは無理な状勢だ。それでもなんとか肝臓の片面を露出し、術中超音波検査が始まった。小型の超音波の端子(プローブ)を直接肝臓に当て、腫瘍の個数や位置を確認し、切除の可否や範囲の最終確認をする。術前の画像検査では捉えることのできなかった小さな腫瘍が見つかることもよくある。その場合、切除の規模が変わることもある。この装置も30年前に幕内さんがメーカーに話をもちかけ共同開発した。いまでは肝がんの切除に無くてはならない検査機器で、世界中に普及している。

モニターに映し出された肝臓内部のエコー画像を見つつ、高本さんが「1.67㎝です」と幕内さんに告げた。肝表面から腫瘍までの深さで、これによって幕内さんの頭の中で肝切除のシミュレーションの一部始終が映像となって流れ始めたはずだ。あとは検査画像をいちいち確認せずとも手術を進めることができる。そこにたどり着くために癒着の剥離をもう少し頑張り、13時15分過ぎに、500円硬貨大の腫瘍が1個摘出された。腫瘍の個数は術後の予後因子でもあり、Cさんにとっては幸いであった。

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