乳がん治療界の“風雲児”として世界に知られる

乳がんのすべてを診る 低侵襲治療へのあくなき挑戦

取材・文・撮影●「がんサポート」編集部
発行:2015年1月
更新:2015年8月

  

福間英祐 
亀田総合病院乳腺科主任部長/乳腺センター長

亀田総合病院乳腺科主任部長の
福間英祐さん

1995年、世界で初めて内視鏡を乳がん手術に導入。2006年、メスを使わない凍結療法を開始――。乳がん治療界の“風雲児”として世界に知られる亀田総合病院の福間英祐さんのもとには、きょうも全国から患者が訪れる。あくなきチャレンジ精神を支える思いとは……

ふくま えいすけ 1979年岩手医科大学卒業。聖路加国際病院を経て、85年帝京大学溝口病院外科助手。95年世界で初めて内視鏡による乳房全摘手術。2000年亀田総合病院乳腺外科部長。06年凍結療法を日本初導入。11年乳腺科主任部長

診断と患者さんの意向を重視

11月下旬の千葉・鴨川。午前8時半、1人目の手術開始。内視鏡による右乳房全摘手術を行い、センチネルリンパ節生検と乳房再建までを行った。そして、一息つくかつかないかという12時30分、2件目の18番手術室に向かう。

スタッフルームで、いつものようにコップ一杯の麦茶を一気に飲んだ。「脳梗塞の予防ですよ」と小さく笑った。連続する手術に集中するあまり、水分摂取も忘れてしまうことがあるのだという。

40代の女性が東海地方から福間さんを訪れたのは8月下旬だった。地元の病院で右乳房のがんで全摘が必要と診断されたが、治療後の乳房の姿が気になり、傷跡のより小さい治療法を求めて情報を集める中、「ここだ」と思ってやって来た患者さんだ。

福間さんは、すぐにマンモグラフィ、超音波、MRI(磁気共鳴画像)の検査をした。「MRIは全摘か温存かという判断のために使われるケースが多いのですが、全摘が前提とされていても、MRIを実施することは非常に大切だと思います」

結果は非浸潤がん。病期でいうと0期にあたる。しかし、福間さんの治療選択も全摘だった。そして、さらに詳しい病状もわかった。「MRIを見ると、がんがどこまで来ているか、よくわかります。乳管内にとどまる非浸潤がんではありながら、範囲がすごく広いのです。乳首や乳輪にも達し、さらに腋の下(腋窩)まで乳管が伸びていてそこにも広がっていました」

「珍しい」のは女性が希望する手術法だった。内視鏡手術では組織を摘出するために腋の下に数センチの傷が残るが、美容上の問題でそれを何とか避けたいという。そこで話し合いの結果、患者さんの意思を尊重した福間さんが選択したのが、内視鏡を使わずに乳頭部を小さく切除してそこから乳房組織を全摘しようというものだった。摘出する出口が腋の下か乳頭付近かの違いで、傷の小さな低侵襲手術という点では同じだ。

手術開始前のオペ室。この日はトルコ人教授が見学に

「取るべきものをきちんと取れた」

開口された乳頭部

腫瘍組織の出現

腋窩まで拡大した病巣部の処置

患部の縫合(注:手術は明るい照明下で施行されています)

12時45分、手術開始。計11のライトが女性の乳房に注がれた。スタッフは9人。執刀のメインは若い女性医師で、福間さんは指示を出しながら手術器具を操る。

「今は教えることも重要だと思っています。自分で最初からすることももちろんありますが、これまでの取り組みをどう伝えていくかが重要だと思っています」

乳頭付近を4㎝ほど切開。2人で声を掛け合いながら、乳房組織を皮膚や筋肉から剥離させていく。

今回の手術の特徴の1つは、乳管が腋の下まで延びており、そこまでがんが進展していることだ。腋の下まで丁寧に施術が行われた。

13時21分、乳房組織が摘出された。全体で135g、がんの大きさは5.5㎝×4.5㎝だった。同25分、センチネルリンパ節生検のための検体を2つ採取。それぞれ直径1㎝ほどの大きさだ。スタッフに渡され、すぐに病理診断に回された。

間もなくセンチネルリンパ節の病理検査の結果が入った。「転移はなし」。転移があれば、患者さんの希望には反してはしまうが、腋を切開して郭清しなければならなかっただけに、福間さんもホッとした。

同45分、縫合が開始され、間もなく手術は成功裡に終わった。「MRIで得た所見をきれいに反映して、取るべきものをきちんと取れたということです。患者さんとしては大きな傷跡を避けたいという思いでいらっしゃったので、そのご希望に沿いながら、がんを取り切ることができました」と、福間さんは当然のように話した。

45分後には、次の手術が待っている。

診断から治療、ケアまで診る

福間さんとチームが年間に手掛ける乳がん手術は約450件。外来や同院のサテライトクリニックである東京・京橋での診療もあるため、月、火曜は1件、水、木、金曜には4~5件ずつ行うことを基本としている。患者さんは、日本各地はもちろん海外からも訪れるため、乳がんの手術数では全国でも十指に入るという。

福間さんは、熊本の代々医家の家に生まれた。自身は生物学系の研究者になりたいと思っていたが、「いつの間にか」医師の道を進んでおり、専門として選んだのが乳腺外科だった。理由は「診断から治療、ケアまですべてを診ることができる領域だから」。その思いは今も生き続けている。

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