凄腕の医療人 寺地敏郎
大胆、スピーディかつ繊細腹腔鏡を自在に操るパイオニア
寺地敏郎 てらち としろう
東海大学医学部外科学系泌尿器科学教授
1952年岡山県生まれ。1978年、京都大学医学部を卒業後、同大学泌尿器科、倉敷中央病院泌尿器科勤務を経て、1988年米国クリーブランドクリニック留学。1994年京都大学泌尿器科講師、副科長、助教授、天理よろづ相談所病院泌尿器科部長を経て、2002年より現職。2012年11月、日本泌尿器内視鏡学会理事長に就任した。1999年に日本で初めて前立腺がん腹腔鏡手術を行った後、腹腔鏡による泌尿器がんの治療を数多く手掛け、腹腔鏡の名手と言われる
前立腺がんや腎がんなど、泌尿器系のがんは日本でも急速に増えている。その手術に腹腔鏡をいち早く導入し、腹腔鏡手術のパイオニアとして技術の開発や普及に尽力してきたのが、東海大学医学部外科学系泌尿器科学教授の寺地敏郎さんだ。寺地さんの挑戦を見てみよう。
場所で難易度が違う腎部分切除
この日、腹腔鏡で腎がんの部分切除術を受けるのは、40代の男性。右の腎臓の上部に、直径1.5cmほどのがんが見つかった。
寺地さんによると「がんの大きさは問題ないのですが、腎臓の奥にあると部分切除が難しい」という。腎がんは、腎臓の外側に突出して成長していくものと、発生した場所で埋没するように大きくなるものがある。
しかし、あまり腎臓の奥深くにあると、部分切除したくても腫瘍の形が見えない。さらに、腎臓の上部は肋骨の下側に入っているので、道具が届きにくい。これも難易度を上げる。
午前9時半。麻酔をかけたあと、肋骨の位置を確認しながら、右脇腹に2cmほどの切開を加えた。腹腔鏡を入れる穴だ。ただし、いきなり腹腔鏡を入れることはない。「動脈や静脈、さらには腸を傷つけないように、必ず肉眼で内部を確認してから」挿入する。安全確保のためのルールだ。
切除の前段階までの処置は、腹腔鏡手術に熟達した医師を中心に泌尿器科の医師たちが行う。この日は、腹腔鏡と器具を挿入する穴が5つ開けられた。左の腎臓ならば4つでいいのだが、右の腎臓は隣接する肝臓が切除の際に邪魔になるので、肝臓をよけておくヘラを入れる穴が1つ増えるのだ。
腎臓内部のがんを切除するには、出血を防ぐために腎臓につながる動脈を一時的にクリップで止める必要がある。そのために、モニター画面を見ながら腹膜を切り、腸をどけて腎臓に近づく。
10時半、寺地さんは全体の状態をチェックし、「腸をもっと外さないと」、「できるだけハサミを使いなさい」と、次々に指導する。
がんの切除は、いつも寺地さん自身が行う。交代して器具をもつと、「大きなストロークで剥離していくことが大切」と声をかけた。実際に、寺地さんの動きは、大胆かつ手際がよい。にわかに、手術のスピードが速くなったようにみえる。
11時45分。腎臓に直接超音波の端子をあて、内部に埋没したがんの位置と大きさを確認する。「1cmぐらいだね」と寺地さん。電気メスで腎臓に切除の目印を付けた。
11時55分。いよいよ腎動脈が止められた。腎臓にハサミを入れてがんの周囲に2~3mmの安全領域をとって切除。ギリギリの深さだった。腎臓の切り口に糸をかけて結ぶ。この時点で、止められていた血流を再開。長時間の血流停止は、腎臓機能を低下させるので、切除は素早く確実に行うことが重要なのだ。
12時15分には切除した組織を回収。最後に、摘出した組織の中央をメスで割って寺地さんが肉眼で確認する。中央の茶色っぽい組織ががんの部分だ。
今でこそ、泌尿器のがん手術に腹腔鏡が使われることは珍しくなくなったが、寺地さんはそのパイオニアだ。
手探りからの挑戦
泌尿器のがん治療に腹腔鏡が初めて使われたのは、1990年の米国。腎がん手術が最初だった。寺地さんは、その翌年に関西医科大学と京都大学と共同で腎がんの腹腔鏡手術を行った。
「ヨーロッパで始まった精索静脈瘤の腹腔鏡手術を同僚から教わったのが最初でした。これは精巣の静脈が太く腫れる病気で、血管を剥離して束ね、切断するのですが、腹腔鏡を使うと細部まで拡大してよく見える。これはいいと思いました」と寺地さんは振り返る。
1992年には副腎の腹腔鏡手術を開始。この年米国では前立腺がんの腹腔鏡手術が開始されたがあまりの難しさに7例で中止となった。しかし、1998年にフランスで再開されると、翌年、寺地さんは日本で初めて前立腺がんの腹腔鏡手術に成功する。まさに、腹腔鏡手術の歴史とともに歩んできたのである。
腹腔鏡手術は、腹腔鏡という内視鏡で体内の状態をモニター画面に写し出し、それを見ながら長い器具を操作して行う手術だ。拡大して見える代わりに、部分的、平面的な画像でしか内部の状態はわからない。技術的に難しい上、当時は教科書もなく、専用の手術器具も少なかった。「最初はモニターも、どの位置におけばいいのかわからなかった」と寺地さんは語る。
それでも、腹腔鏡手術に熱心に取り組んだのは、患者さんの負担が開腹手術に比べてはるかに少なかったからだ。