すべては患者さんのために
精神(こころ)にも身体(からだ)にも優しい緩和ケア
外科・緩和ケア講座教授で
緩和ケアセンター長の
東口高志さん(*)
がんと共に生きる体づくりをすれば、本来の寿命をまっとうすることができる――今、がんの臨床現場では、こうした認識が高まりつつある。がん患者さんにとって、がんと診断されたときから、がん治療に必要な栄養サポートや積極的な緩和ケアは、精神や身体を支えるのに欠かせない。栄養は口から食事として摂るのが基本。そして、痛みは我慢しないこと。適正な痛みの治療によって、痛みのない生活を送ることが緩和ケアでは重要だ。
*東口高志さんの「高」はハシゴ高
自宅のリビングルームでくつろぐようなお茶会
藤田保健衛生大学付属病院(愛知県豊明市)の緩和ケアセンターを入ると、そこには廊下がなく、解放的なスペースが広がる。入院している患者さんやご家族が自由に利用できる「コミュニティ・ルーム」だ。毎週水曜日の午後には患者さんたちが集まってここで“お茶会”が開かれている。
取材にうかがった日は、ある患者さんの82歳の誕生日を祝う会になっていた。予定の時刻になると、看護師やご家族に付き添われ、患者さんたちが集まってくる。歩いてくる人も、車いすの人も、可動式ベッドの人もいる。しばらくすると、ピアノの伴奏と「ハッピー・バースディ・トゥ・ユー」と歌う歌声が病棟の廊下にも聞こえてきた。
お茶会を開くのは、それが患者さんの精神(こころ)と身体(からだ)によい影響を及ぼすからだ、と藤田保健衛生大学教授で緩和ケアセンター長の東口高志さんは言う。
「あの看護師さんがきてくれると楽になるとか、奥さんがいてくれれば痛まない、といったことはよくあります。それがどうしてなのかを追求してみると、精神の状態が身体の状態にも影響することがわかりました。
たとえば大好きな人と一緒にいると、脈拍数や血圧、あるいは血糖値などがわずかながら上昇し、しばらくするとこれらの値が徐々に低下します。そのようなときには、身体の内部で起こるたんぱく質の分解はゆるやかになり、逆にたんぱく合成が促進され、さらに精神も身体もリラックスして、だるさや痛みを感じにくくなります」
つまり、身体の内部で行われている代謝に影響があるのだ。
「たとえ、がんが再発・進行したりしても普段通りの生活を送るためには、栄養の吸収や代謝がきちんとしていることがとても大切で、家で日常を過ごしていれば、自然とそうした精神と身体の状態になりやすいのです。そこで、この病棟では、患者さんに、できるだけ家にいるときと同じように過ごしてもらえるような環境を整えています。隣のベッドで寝ている患者さんや、向い側の病室に入院されている患者さんたちと顔なじみになったり、ご家族同士が知り合いになったりすると、共に支え合う気持ちが生まれます。みんなが1つの家族というのは少し大げさかもしれませんが、隣近所が仲良く暮らしている長屋のような癒しの空間になるわけです」
患者さんたちの病状はさまざまだが、お茶会の雰囲気はなごやかで、会話もはずんでいるようだった。
栄養と痛みのサポートの重要性を痛感した
東口さんが展開している緩和ケアの特徴は、栄養サポートと痛みの治療が2本柱となっている点だ。痛みの治療と適切な栄養の摂取が伴って、初めて患者さんは元気を取り戻せるというのが持論である。
もともと東口さんは外科医で、それが栄養サポートの重要性に気づくきっかけとなった。
「肝胆膵外科といって、主に肝臓、胆道、膵臓の手術を行う外科にいたのですが、医者になったばかりの約30年前、この分野の手術成績は現在と比べると決して良くはありませんでした。手術でがんを取り除いても元気になるまでに何カ月もかかったり、感染症を起したりする患者さんが多かったのです。手術に伴うダメージによって代謝が亢進すると、患者さんはどんどんやせ細っていきます。当然、栄養を補わなければならないのに、十分には行われていませんでした。患者さんを救うはずの医療行為が、かえって患者さんを苦しめてしまう。これはおかしいと思いました。動物でも人でもケガや病気をすれば、ごはんを食べて身体を治す。ところが医療の世界では、手術や抗がん剤治療などでごはんを食べられない状況を作っておきながら、なぜ栄養サポートをしないのか?
食べられる患者さんのほうが早く元気になるという確信をもっていたので、この分野の研究をはじめました」
進行がんや再発がんでも栄養サポートが必要
がんの治療でいえば、手術だけでなく、抗がん剤治療も放射線治療も、身体にダメージを与え、代謝を亢進させる。それによって消失するエネルギーを、身体が必要とする栄養素で補うことが、患者さんの苦痛を防ぎ、治療にも役立つ。
こうして東口さんは、代謝・栄養学を独学で学んだのち米国に渡り、さらなる研究を続け、帰国後、NST(栄養サポートチーム)の導入と普及に尽力した。現在、日本には少なくとも1578の病院にNSTがあり、患者さんの栄養サポートを行っている。
「食事や栄養のことで、悩んでいることや知りたいことがあったら、今かかっている病院のNSTにぜひたずねてみてください。その場ですぐに、求める対応や回答が得られないこともあるかもしれませんが、“すべては患者さんのために”を目標としていますので、NSTはきっと最善を尽くすはずです。患者さんやご家族がNSTを育み、更なる普及と質の向上につながっていくと信じています」
また、東口さんは、緩和ケアにもずっと取り組んできた。
「進行がんや再発がんの患者さんを診ていても、栄養サポートがきちんと行われている患者さんと、そうでない患者さんでは予後に差が出ます。しかし、その必要性はなかなか理解してもらえず、逆にがん患者さんが十分な栄養を摂ったら、がんが大きくなるとさえ言われたことがあります。しかし、これは明らかに間違いで、栄養摂取によりがんが増大することはありません。むしろ、がん以外の身体を構成している健常な組織が栄養不足に陥り、免疫力や治癒能力が低下して、さまざまな症状があらわれ、患者さんが苦しんでいるケースのほうが圧倒的に多いのです」
東口さんによると、実際には、肺炎などの感染症を起こし、がん以外の原因で亡くなるケースが多いのだという。
がんの患者さんは飢餓状態に陥っている
藤田保健衛生大学の教授となった東口さんは、付属病院の1つである七栗サナトリウム(三重県津市)の緩和ケア病棟に入院してくる患者さんの栄養状態を調べた。その結果、患者さんのほとんどが栄養障害に陥っていることが明らかになった。
栄養障害の原因を調べたところ、生命を維持するために必要なエネルギーが不足している状態、すなわち「飢餓」によるものが82.4パーセントを占めていた。つまり、がんそのものの進行による栄養障害は少なく、大部分の患者さんが飢餓状態だったのだ。
では、なぜがんの患者さんは飢餓状態に陥るのだろうか。実は体の中にがんがあると、健康な人よりエネルギーの消費量が増加する。
また、手術や抗がん剤治療、放射線治療など身体にダメージを与える医療行為もエネルギーの消費を増長する。したがって、それらに見合うだけの栄養が補給されなければ、栄養障害に陥ってしまうわけだ。ところが、医療者側にさえ、栄養の摂りすぎでがんが大きくなるといった誤解や、がんだから食べられなくて当たり前、といった誤った常識がある。それによって飢餓が生み出されてきたのだ。
「飢餓状態は免疫力を低下させるので、感染症や褥瘡(床ずれ)を起こしやすくなり、患者さんに苦痛を与えます。また、感染症や褥瘡は、エネルギーの消費量を増やすので、さらに飢餓状態が進みます」
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