痛みをなくすレポート(5)痛みにすぐ対応する
あべ むつみ 1982年鳥取大学医学部卒業1987年松江市立病院麻酔科部長代理1989年同麻酔科部長。2005年8月緩和ケア・ペインクリニック科科長を兼務。麻酔科指導医、ペインクリニック学会認定医、日本麻酔科学会代議員、日本死の臨床研究会中国・四国支部研究会世話人、日本緩和医療学会評議員。 |
緩和ケア・ペインクリニック科科長の
安部睦美さん
痛いのだけは嫌だ
1年前、前立腺がんを患う亀太郎さん(仮名、80歳)が他病院から松江市立病院に紹介されてきた。身体を動かすと、腰や背中の痛みが走る。車イスでしか、移動ができなくなっていた。
「いつ死んでもいいけど、痛いのだけは嫌です」
亀太郎さんが麻酔科部長の安部睦美さんに訴える。穏やかな口調だが、元教師らしく、毅然とした印象だ。
緩和ケアを受けるため、亀太郎さんは、当時、一般病棟の中にあった「緩和ケア病床」(*1)に入院した。
まず、一般的な鎮痛薬(*2)のレリフェン錠(一般名ナブメトン)を1日1600ミリグラムのみはじめた。並行して、放射線治療が行われ、骨転移を抑制する注射薬・アレディア(一般名パミドロン酸二ナトリウム)が処方された。
亀太郎さんは耳が遠く、大きな声で話さないとコミュニケーションがとれない。表情は硬かった。身体的な痛みだけでなく、精神的な苦痛もあると、スタッフたちは考えた。家族は献身的に亀太郎さんの闘病を支えている。後は医療者との信頼関係が問題だ。
そこで看護師たちは、出来る限りきめ細かな対応(*3)を心がけた。亀太郎さんが伝えようとしていることを、じっくり聞き、困ったことがあれば、すぐに対応した。持病の糖尿病についても、亀太郎さんの望むケアを行った。
毎朝、ナースステーションで開かれる「申し送り」、さらにいろいろな職種が集まるカンファレンス(*4)(時には家族も含めて)を行うことで、亀太郎さんに関わる人みんなが同じ認識を持つよう心がけた。1週間もすると、亀太郎さんは、松葉杖をついて1人で歩けるようになった。表情もぐっと和らいだ。
「動けるようになったんで、また家に帰れるわ、先生」
亀太郎さんは笑顔で話し、入院の約2週間後に退院した。
その後、半年間、外来だけで痛みがコントロールされた。亀太郎さんはいつもネクタイを締めて、かくしゃくとした風情で外来を訪れる。「毎日、庭木の手入れを楽しんでます」と安部さんに微笑んだ。
医療用麻薬を適切に使い素早く痛みをとる
半年後、亀太郎さんは、放射線治療のために再入院した。
痛みが強くなりつつあったので、安部医師は、医療用麻薬(*5)に切り替えるタイミングだと判断し、亀太郎さんに、こう説明した。
「今のお薬では痛みが治まらないので、医療用麻薬を使いたいと思います。適量をきちんと使えば、中毒になることはありません」
「わかりました」
亀太郎さんがうなずく。自身の病状や緩和ケアへの理解があるため、迷いのない表情だ。
オキシコンチン錠(一般名塩酸オキシコドン徐放剤)を1日10ミリグラム服用したところ、早い段階で痛みがおさまる。約3カ月入院し、亀太郎さんは退院した。
その後、1カ月間、亀太郎さんは自宅で家族とともに過ごす。オキシコンチン錠10ミリグラムで痛みはなく、診察日には、穏やかな笑顔をスタッフに見せていた。
5月になると、亀太郎さんは、また骨転移への放射線治療のために、3度目の入院をする。
入院して2カ月後、嚥下(のみこみ)が困難になり、間もなく、亀太郎さんは息を引き取った。
「ここへ来てよかった」
亀太郎さんは入院のたびに、そう繰り返していた。彼の望む医療がそこにあったに違いない。
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