次々と治療法を開拓し、傷も患者さんの人生も再建する

患者さんの声に心を震わせ、不可能を可能にするブラック・ジャック

取材・文●祢津加奈子 医療ジャーナリスト
発行:2014年4月
更新:2015年8月

  

光嶋 勲 東京大学医学部附属病院形成外科・美容外科教授

患者さんのためにまだまだ治療がしたい、と話す光嶋さん。光嶋さんの腕の噂を聞きつけて、海外からの患者さんも増えてきている。「発展途上国の患者さんの再建を行いたい」と夢を語る光嶋さん

乳房をはじめ、食道や頭頸部がんなど、がん治療に伴って再建を必要とするがんは多い。その出来次第で患者さんの人生さえ左右される。だが、日本には世界をリードする形成外科医がいる。超微小血管手術を開拓し、再建術に革命的進化をもたらした東京大学医学部附属病院形成外科・美容外科教授の光嶋 勲さんだ。

こうしま いさお 昭和51年鳥取大学医学部卒業。翌年、東京大学医学部形成外科で研修。昭和58年、筑波大学臨床医学系形成外科講師。平成2年より、川崎医科大学形成外科助教授。平成8年ハーバード大学に留学。平成12年、岡山大学医学部形成再建外科教授。平成16年、東京大学形成外科・美容外科教授に就任、現職。国外では平成21年から2年間、国立シンガポール大学シニアコンサルタントを務めたほか、平成23年、スタンフォード大学客員教授、平成24年からスペイン・バルセロナ大学客員教授を務めるなど、海外医療施設からの招致も多く、講演会、手術実演講習などを数多く行い、世界各国から注目されている

患者さんの「治したい」が原動力

左頸部肉腫摘出後の患者さんの再建。光嶋さんの頭の中から描き出された再建の設計図

右顎の下から左頬にかけて、腋の下の腹直筋皮弁を移植し、縫いつけられている

大きな皮弁は耳の下を切開し、折り畳むようにして縫いつけられた

再建手術を重ね、移植した腋の腹直筋皮弁は少しずつ削られ、ずいぶん小さくなった

2013年2月、左頸部の肉腫を摘出した女性(40歳)が光嶋さんの再建術を受けていた。

右顎の下から左頬にかけて、襟巻きのように大きな皮弁が付いている。実はこれ、再建の途中経過なのである。

患者さんは、別の病院で上下の顎の骨の一部と左側の頸部リンパ節を郭清。腹直筋皮弁による同時再建を受けた。しかし、腹直筋の量が足りずに口の中が引きつり、口が開けにくい。そのために食事もままならない。左頬から頸部にかけての顔面再建にもひきつれや陥凹があった。

そこで、「口のひきつれを治し、一緒に顔ももう一度再建してほしい」と光嶋さんを訪ねたのである。

一度再建術を受けた患者さんに、また再建術を行うのは条件的に厳しいので、あまり実施する病院はない。しかし、光嶋さんは患者さんを助けたいという思いで受け入れ、新たな工夫を凝らす。それが、「技術向上の原動力でもある」と言う。「自分が治らないと言ってしまったら、患者さんの希望も消えてしまう」

双方がもっと良くなると信じて治療にあたるのが光嶋さんの信条だ。

再建には、穿通枝皮弁を使う。これは、光嶋さんが開拓した代表的な仕事の1つだ。それまで、失われた組織の再建には、筋皮弁が用いられてきた。これは、腹筋や背中の広背筋など皮膚に脂肪と筋肉を付けて採取し、移植する方法。筋肉を走る血管をつなげて移植しないと、組織を生着させるのは難しいと考えられていたのだ。

だが、採取のために筋肉が損傷されるので、腹筋が弱くなって腰痛や脱腸を起こすこともある。広背筋皮弁を胸に移植した例では肩甲骨を動かすと一緒に移植した背筋が動くこともある。デメリットも少なくなかった。

これに対して1980年代に光嶋さんが提示したのが穿通枝皮弁だった。穿通枝は、脂肪組織を栄養する直径わずか0・5㎜ほどの細い血管だ。この血管を移植先の血管とつなげば、脂肪組織がきちんと生着することを示したのである。

再建術の画期的な進歩だった。

筋肉を損傷することなく、自分の組織で失われた部位を再建することが可能になったのである。顕微鏡を装着して行う超微小血管手術の技術があればこそ可能な難易度の高い手術だ。

今日の患者さんにも、腋の下から穿通枝皮弁をとり、口から顔に移植することにした。ここならば傷も目立たないし、手術中に姿勢を変えなくても済むからだ。ただ、「この部位だと耳の下の動脈とつなぐのですが、最初に再建した時につぶしているので使えない」という。

そこで、腋の下から穿通枝皮弁を幅5㎝、長さ35㎝ほど採取し、顔の反対側の動脈とつないで再建部位までもってきた。端は頬から口の中に入れ込まれている。皮弁が襟巻きのように顎の下を回っているのは、そのせいなのだ。

腋から移植した腹直筋皮弁の中の脂肪を徹底的に取り、移植した部分が壊死しない程度ぎりぎりまで薄くする(上)取りだした脂肪組織(下)

再建の設計図は頭の中に

2012年年末に行った移植手術で、穿通枝皮弁はしっかりと患者さんの口腔内から頬に生着していた。この日は、その皮弁を切り離して整形していく。

「大きな皮弁を移植して、小さくしながら立体的に形を整えていくのが基本」なのだそうだ。顎の下から皮弁を切り離し、以前再建した腹直筋に縫い付けた部分を剥いでいく。「だんだんどのくらい脂肪をそいでも組織が壊死しないか、わかってくるんですよ」と光嶋さん。手にしたメスは、直径0・3㎜の血管でも剥離できる極小のメス。超微小血管手術では、わずか0・3㎜の血管も縫合できる。

顎からはずした穿通枝皮弁をいろいろな位置に置いてみた結果、「もったいないけど腹直筋皮弁を切り取って、腋の下からとった穿通枝皮弁を耳の下のくぼみに入れ込もう」と光嶋さんは決断。再建の設計図は、光嶋さんの頭の中で作られる。耳の下を切開し、顎に巻き付けられていた皮弁は折り畳むようにして縫い付けられた。

2時間ほどで今日の再建術は終了。あとの処置を指示すると、光嶋さんは愛用の大きな黒いリュックを担いで、今度はリンパ管細静脈吻合を行っている隣の手術室へと向かった。そこでも、患者さんが待っているのである。

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