25歳で舌がん。9時間に及ぶ大手術を経て新たな人生にチャレンジ、そして米国公認会計士の傍らがん教育活動に

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2020年4月
更新:2020年4月

  

實原和希さん 米国公認会計士・アイタン株式会社代表

じつはら かずき 1989年神奈川県横須賀市生まれ。大学卒業後、大手損害保険会社に入社。社会人3年目の2015年2月に舌がんの診断を受け、左手首からの皮弁再建手術を受ける。一度職場復帰するも、2016年3月退職。がんの経験を通じ活動の幅を広げるべく起業、2016年アイタン株式会社を設立。その後米国公認会計士の資格も取得し、現在は会計士として日系企業のベトナム進出をサポートする一方、小中学校や企業向けにがん教育やセミナーを行っている

大手損害保険会社で働いていた入社3年目の25歳。實原和希さんは赴任先の佐賀県伊万里市で口内炎がなかなか治らない日々が続いていた。ある宴会で偶然、隣り合わせた歯科助手の女性に相談すると、自分の勤めている歯科口腔外科医院に来るように勧めてくれた。そこで結論は出ず、佐世保の総合病院で精密検査をすると、舌がんの可能性が。最初は先進医療ですぐに治せると軽く考えていた實原さんだが、事態は思わぬ方向に――。

舌に出来た口内炎がなかなか治らない

1週間程度で治る口内炎が2カ月経っても治らず、さすがに心配に

現在は米国公認会計士として、日系企業のベトナム進出を支援している實原和希さんだが、舌に異常を感じ始めたのは、2014年10月中旬のことだった。

当時、實原さんは大手損害保険会社に入社3年目の社会人。2年目の赴任先、佐賀県にある伊万里支社で働いていた。

伊万里市ではこの季節、日本3大喧嘩祭りの1つといわれる勇壮な伊万里トンテントン祭りが開かれる。實原さんは、地域の人々との交流を深めるため、積極的に祭の準備に参加し、酒を酌み交わすことも多く楽しい時間を送っていた。

ちょうど伊万里市での仕事にも慣れてきたところで、お客さんとの会食も多く充実した日々を過ごしていた。

そんな毎日が続いたことで、不規則な生活になっていたこともあって、舌の右側に大きめの口内炎が出来てしまって、神輿(みこし)を担いで掛け声を出す際に痛みが走った。

「もともと口内炎が出来やすい体質で、2~3日飲み会が続けば、口内炎が出来たりしてたので、当初はそんなに心配はしていませんでした」

しかし、いつもは、1週間程度経てば治る口内炎が、1カ月経っても、2カ月経っても一向に治る気配が見られない。さすがに心配になって、ネットで自分の症状を検索すると、そこに出ている画像は自分の症状とそっくりだった。それでも病院に行くことをためらっていた實原さんの背中を押してくれたのが、歯科助手の女の子だった。

12月中旬に、祭りの世話役の誕生会が公民館で開かれていたときのことだった。

「たまたま私の隣に歯科助手の女の子が座ったので、『なかなか治らない口内炎が出来ているんだけど、見てくれないかなぁ』と頼んだんです」

すると舌を見た彼女は、「口腔外科もやってるから、うちに来たほうがよかですよ」と言ってくれた。

「その方言混じりの話し方が、可愛く感じました。早速その歯科口腔外科医院へ行くことに決めました」

12月末、その歯科助手が勧めてくれた歯科口腔外科医院を訪れた。

舌を診た歯科医師はハッキリとした診断を下すことが難しいらしく、「紹介状を書くので佐世保の総合病院で検査を受けてください」と告げた。

しかし、病院は年明けに行くことにして、埼玉の実家に帰省した。

實原さんは両親に、「舌に出来た口内炎が治らないので、年明けに佐世保の総合病院で検査を受けることになっている」と話した。

陽子線治療の選択肢は消えたのだが

年明け、佐世保の総合病院に行くと、實原さんの舌を診た医師は「これから6つの検査を受けてもらいます」とだけ話した。血液検査、胃カメラ、超音波、CT、MRI、PET検査の6つである。

保険会社に勤務していた関係で、PETが、がんを調べるためだけの検査であることを知っていた實原さんは、PET検査と聞いて「これはがんの疑いがあるのだ」と改めて認識した。

その疑いが確信に変わったのは、6つ目に受けたPET検査のときだった。

総合病院にはPET検査の設備がなく、外部の検査施設に出向いた實原さんは、PET検査を受ける前に年配の看護師から「若いのに大変ね」と言われた。

そして、PET検査が終了して受付で会計を済ませたときのことだった。

「通常、PET検査は健康診断などで行う際は、保険適用外で費用が約10万円かかります。しかし、がんの進行度や転移の有無を調べる検査なら、保険適用があり3割負担で済むことも知っていましたから。請求書の3万円を見て『これはもう確定だな』と、その時点で思いましたね」

検査施設からの帰り道、上司に「ほぼ、舌がんで間違いありません」と連絡を入れた。

この時点で實原さんはがん治療を受けるなら、重粒子線治療か陽子線治療を考えていた。

「佐賀県鳥栖市の重粒子センターに見学に行ってきたばかりだったこともありますが、手術で舌を切除することなど怖くて想像もできなかったからです。確かに重粒子線治療や陽子線治療は費用が300万ぐらいかかりますが、自分でも加入していたことを忘れていた医療保険を思い出し、それに先進医療特約が付いていて、費用が丸々出ることも大きかったと思います」

PET検査の結果を聞くため佐世保の総合病院に出向いた實原さんに、医師は「組織を採ってみないと断定はできないが、悪性の可能性が極めて高い」と告げた。

實原さんは「治療するなら東京に行くので紹介状を書いてほしい」と頼んだ。

實原さんの勤務先が保険会社だったこともあり、提携している病院は多くある。上司が大変協力的で社員が出向している病院を調べてくれ、実家のある埼玉に近い郡山市(福島県)に舌がんの陽子線治療を受けられる病院があって、その窓口のクリニックが東京・大手町にあり予約まで取ってくれていた。

若くしてがんに罹ったことにショックを受けている両親に少しでも安心してもらおうと、PET検査画像を持って父親と一緒にクリニックを訪れた實原さんは、クリニックの医師から「首(頸部)のリンパ節に転移があります」と思いもよらないことを告げられた。

「『ええっ!』て思いましたね。確かにPET検査画像を見ると、舌は勿論のこと、首周辺も光っているんです」

医師は「リンパ節転移しているので陽子線治療の対象にはなりませんし、年齢も若いので早急に手術しないと他の部位にも転移していきます」と告げた。

「そこで、陽子線治療の選択肢は消えたのです。それまではQOL(生活の質)だけを優先する治療を考えていましたが、首に転移があるということは命のことも考えなければならなくなりました」

實原さんはこのとき一番凹んだ、という。

どの治療法を選ぶべきか

大手町のクリニックから、手術を受けるのならと紹介されたのが国際医療福祉大学三田病院だった。

「しかし、会社から大手町のクリニックに出向している方が心配してくれ、もう少し可能性を探ってもいいのではないかと、サイバーナイフ(定位放射線治療装置)のある新百合丘総合病院を紹介してくれました」

その病院を訪れた實原さんは、そこで改めて手術をするか、放射線をするか迷うことになる。

PET画像を見たベテラン医師の次の言葉だった。

「首のところが光過ぎていて、こんなに光っているがんというのはいままで見たことはない」

そのとき、改めてPET検査を受け直すと首に転移がなかったことがわかったのだ。

そこで初めて佐世保でPET検査を受けたとき、風邪の症状があったことを思い出した。

風邪の症状があるままPET検査を受けた結果、のどが炎症を起こしていて首元が光っていたのだ。

「その結果、一旦、振り出しに戻ったのですが、1回首に転移していると言われて、命のことを真剣に考えたらQOLよりもまず生きることが最優先だ、という考えになっていました。それに放射線治療のことをよくよく聞いていくと、同じ部位には1度しか照射できないし再発した場合、放射線治療はできず、いまよりももっと大きく切り取る手術をしなければならなくなる。まずは、手術で腫瘍を切り取ることを勧めます、と言われました」

新百合ヶ丘の医師が手術先を探してくれ、それががん研有明病院だった。

まだ放射線治療の可能性も捨ててなかったが、手術でも三田病院方式か、がん研有明病院方式かで悩むことになる。

三田病院では余裕を持って舌を半分程度切除して、その後手首の筋肉や血管を移植する。切除した手首の部分には太腿の皮膚を持ってくるといういわゆる再建手術を提案された。

一方、がん研有明では部分切除のみで、腫瘍部分ギリギリを切除して縫い合わせる手術を提案されたからだ。

放射線治療と2つの手術の方法の3つの選択肢からどの治療を選ぶべきか、實原さんは悩みに悩んだ。

放射線の場合は、舌はそのまま残せるので喋る機能は損なわれない。その反面、再発のリスクがあり、味覚障害が起こる可能性もある。

手術の場合、部分切除では傷は小さく、喋る機能も比較的残りやすい。一方、切除部分をギリギリまで小さくするので再発のリスクはある。

半分切除の場合は、再発のリスクは少ない反面、喋る機能や食事の機能はかなり損なわれる可能性が高い。

散々悩んだ末、まず、放射線治療を除外した。

それは、「再発のリスクに怯えて生活するのは、嫌だな」という気持ちと、ベトナムにいる兄のアドバイスからだった。

「兄とは、LINEでやり取りして治療について相談していたのですが、どの治療を選ぶにしても味覚だけは残しておいたほうがいいのでは、とアドバイスされました。

食事はこれから何万回も摂ることを考えれば、味わうという喜びは大事じゃないかな、とも言われました。もともと営業の仕事をしていたので、最初は喋れないことは考えられなかったのですが、それ以上に食事が楽しめないのは、かなり幸福度が下がると思い直しました」

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