「助かった命」ではなく「もらった命」。これからが人生のスタートです 体に優しい前立腺がんのロボット手術を受けたタレント・稲川淳二さん
1947年生まれ。桑沢デザイン研究所を経て工業デザイナーとして活躍。96年度には、個人でデザインを手がけた「車どめ」が、当時の通産省選定のグッドデザイン賞を受賞。その一方で怪談話でも活躍、93年から始まった怪談の全国ツアー「ミステリーナイトツアー 稲川淳二の怪談ナイト」は今年で20年目を迎える。
芸能界きってのサービス精神旺盛な男として知られる稲川淳二さん。前立腺がんの切除手術で2週間入院した際も、毎晩ナースステーションに立ち寄り、若い看護師さんたちに怪談をサービスしていた。なぜそのようなことができたのだろうか。それを可能にしたのは、稲川さんが受けたロボット手術だった。
公演中、突然セリフが飛んだ
怪談の語り部として絶大な人気を誇る稲川淳二さんは、毎年、夏になると超多忙になる。「稲川淳二の怪談ナイト」の全国ツアーが始まるからだ。
昨年も7月下旬から、全国各地で34公演が予定されていたため、稲川さんは各地をまわって怨霊渦巻く怪談・奇談を披露し、客席で聞き入るファンを心胆寒からしめていた。
異変が起きたのはツアーが終わりに近づいた昨年10月1日のことだった。
その日は東京・芝のメルパルクホールでの公演だったが、あの独特の口調で背筋が凍りつくような怖い話をしている最中に、セリフが出てこなくなったのである。
「話しているとき、ふとマイクの様子が気になったんですが、その瞬間、頭がパーンと真っ白になってセリフが飛んじゃったんです」
小休止を挟み、なんとか無事に公演を最後までやりとげたものの、これに大きな衝撃を受けたのは、稲川さん自身ではなく、公演を支えるスタッフの人たちだった。稲川さんの持病である高血圧症との関連を疑ったのである。マネージャーをはじめ、スタッフの人たちは口々に病院に行くよう勧めたが、稲川さんは行く気にならなかった。
「私は、もともと病院が嫌いで、1度も検診やドックを受けたことがないんです。セリフが飛んだのは、公演が続いて疲れていた上に、その日は『ハーハー』『ウーウー』とかなり体力を使う、荒い息づかいを見せる演目が続いたので、一時的に酸欠状態になったんだろうと思っていました。だから、わざわざ病院に行くまでもないと思ったんです」
稲川さんは病院には足が向かなくても、人付き合いがいいので飲み屋には足が向くタイプである。次の公演が行われる博多での飲み会の段取りは、ちゃんとつけていた。
「高校時代の親友で九州大学の教授になったやつがいるんです。そいつに連絡をしたら、高校時代の別の同級生もその時期に博多に行くって聞いたんで、じゃあそいつも誘って3人で会おうということになったんです」
福岡で検査を受けることに
福岡での公演が終わったあと、稲川さんは2人の高校時代の同級生と合流。ネオン街に繰り出して、楽しい話、怖い話を連発しながら場を大いに盛り上げた。
同級生との再会は、普段なら、一晩楽しく過ごして終わりになる。しかし、このときはそれで終わらなかった。同級生たちが、なぜが公演でセリフが飛んだことを知っていて、きちんと検査を受けるべきだと言い出したのだ。そういわれると、稲川さんも従わざるを得ない。翌日、九州大学の同級生につかまって病院に連れて行かれ、血を抜かれることとあいなった。
「スタッフの1人が、私が電話で福岡の同級生と飲み会の約束をしているのを聞いていて、内緒で福岡に電話を入れて、高校時代の同級生に『稲川さんは、私たちが言っても病院に行こうとしないけれど、あなたたちが言えば行くと思いますから、ぜひ、行くように言ってください』って懇願していたんです」
九州大学病院で、血液検査を行ったのは、循環器系の疾患を危惧していたからだ。しかし結果は予想外のものだった。検査の結果ひっかかったのは、PSAという前立腺がんの腫瘍マーカーだったのである。
「ひょうたんから駒」とはまさにこのことで、稲川さんはひょんなことから、前立腺に異常があることがわかったのである。
前立腺肥大ではなく「がん」
高校時代の同級生は東京の稲川さんに電話を入れて、西多摩地区のあきる野市にある、総合病院を紹介し、話は通してあるので、そこで詳しい検査を受けるように勧めた。
それを受けて、稲川さんは12月中旬、その病院を訪ね、針生検を受けた。
「てっきり前立腺肥大だと思っていました。50代半ばごろから情けないくらい小便の出が悪くなって、『最近、前立腺が大きくなっちゃってさー』なんて言ってましたから」
しかし、検査の結果は「がん」。前立腺肥大ではなく、悪性の前立腺がんだったのだ。
「告知のとき、医師から針生検で刺した10本のうち右のほうに刺した3つから陽性反応が出たといわれました。画像も見せられたんですが、実際のがんは、とがった赤鉛筆の先をつついたような1㎜あるかないかの小さな点でした。そのまわりを丸で囲っていたので、はじめ、その囲ってある全体ががんだと思って『けっこう大きいですねえ』って言ったら『これじゃなくて、こっちです』って、その中の点を指しておっしゃるんで、こんなに小さいんだったら、針生検のときに取ってくれればよかったのにと思いましたよ」
逡巡の末、早期の手術を選択
医師は、見た目は小さいが、年齢なども考えて、なるべく早く切除手術を受けることを勧めた。
しかし、その一方で前立腺がんはどんどん進行するものではないし、すぐに転移する心配がないことも合わせて説明していた。
「先生からは、『あと5年は大丈夫』ということも言われたので、私も64歳でしたから、じゃあ5年たったら手術を受ければいいと思ったんです。そしたら先生が『年齢が70歳を過ぎていたら、その選択肢もあるけれど、稲川さんはまだ若いから、早めに手術したほうがいいです。ただ、うちの病院はご自宅から少し遠いので、近くの病院に行って手術を受けられたほうがいいかと思います』っておっしゃるんです」
そう言われたものの、稲川さんは、すぐに手術を受ける踏ん切りがつかず、先延ばしすることも考えた。
しかし周囲の後押しなどもあり、熟慮の末、早い時期に手術を受けることを決めた。
ロボット手術を選択
手術を受ける腹を固めた稲川さんは、年が明けた今年1月、東京医科大学病院に出向いて診察を受けた。
その際、稲川さんは医師に「ロボット手術をしていただけませんか」と申し出た。
ロボット手術は、アメリカで開発された手術用ロボット「ダヴィンチ」を操作して行う治療法。米国では前立腺がんの手術の多くがこの方法で行われている。
東京医大病院では、日本でいち早く前立腺がんの手術に「ダヴィンチ」を導入、顕著な治療成績を上げていた。
もっとも大きなメリットは、開腹手術と異なり、お腹に大きくメスを入れないため、身体へのダメージが少なく、神経温存も可能で、出血量なども少なくてすむ点にある。
「私のまわりにはマスコミ関係の方が多いので、調べてくれるのが早いんです。東京医大病院はロボット手術のパイオニアだとうかがいました。診察してくれた東京医大の医師も、がんの進行の度合いや広がりを見て、ロボット手術が行えるという見解でしたので、翌月手術を受けることになりました」
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