がんを見逃さず、順調な予後。著名人のがん闘病の「モデルケース」 がん体験を社会に生かす、タレント・大橋巨泉さん

取材・文:吉田健城
撮影:向井 渉
発行:2006年12月
更新:2019年7月

  
大橋巨泉さん

おおはし きょせん
1934年、東京生まれ。本名・大橋克巳(かつみ)。早稲田大学中退後、ジャズ評論家、テレビ構成作家を経て、テレビタレントに転身。「11PM」、「巨泉のこんなモノいらない!?」、「巨泉・前武のゲバゲバ90分!!」、「クイズダービー」など数多くのヒット番組を手がける。1990年には「セミ・リタイア」を宣言。その後は執筆活動や、テレビ出演などをこなしながら、1年の半分以上を海外で過ごす。著書に『巨泉 人生の選択』、『がん―大橋巨泉の場合』など

テレビタレントとして活躍してきた大橋巨泉さんは、2005年6月、胃がんの診断を受け、胃の半分を切除した。30代の頃より毎年欠かさず受けていた人間ドックにより早期に発見。著名人ゆえにつきまとう、マスコミによる「報道被害」を避け、現在は良好な経過を辿っている。治療後、世間に広がるがんに関する無知、偏見を正すことを目的に、積極的に自身の体験を語っている。

日本でがんをオープンに語る環境がもっとも整っていないのが芸能界だ。いくら名声があっても経済面から見れば一介の個人事業主で、自分自身が商品と経営者を兼ねているという事情があるため、芸能人は著名になればなるほどがんを隠す傾向が強く、それがさまざまな憶測を呼んで「がん」ではなく「がん報道」で大きなダメージを受けるケースもたびたび見られた。それだけに、若いころからがんに人一倍関心を払い、早期発見と順調な予後を実現した大橋巨泉さんのケースは業界のモデルケースと言ってもいいものだ。

毎年受けていたドックがきっかけで胃がんを発見

写真:11PM

1965年より25年間続いた長寿番組「11PM」。
巨泉さんは85年まで、月曜日と金曜日を担当した(日本テレビ提供)

写真:巨泉のこんなモノいらない!?

1987年から1989年にかけて放送された「巨泉のこんなモノいらない!?」
番組終了の翌年、巨泉さんは芸能界を「セミ・リタイヤ」する(日本テレビ提供)

巨泉さんが、がんの疑いが濃厚であることを知らされたのは昨年5月、テレビ番組の撮影で出かけたパリでのことだった。日本からその知らせをメールで送ってきたのは、事務所の社長を務める弟の哲也さんだった。

発見のきっかけになったのは前月に井上記念病院(千葉市)の人間ドックで受けた検査だった。担当した医師から「胃の一部に疑問な部分がある」と言われた巨泉さんは、スケジュールをやりくりしてパリに飛び立つ直前、同病院で内視鏡検査を受け、それがごく早い段階でのがん発見につながった。

実は巨泉さんは30代の半ばから毎年欠かさずドックに入っている。これはサラリーマンにとっては何でもないことでも、パターン化された仕事など1つもない売れっ子芸能人にとっては至難の業と言ってもいいくらい大変なことだ。そんな面倒なことを毎年欠かさずにやり続けてきたのは「がんの多い家系」の一員という意識を強く持っていたからだ。

「実は僕は大学3年のときに母を子宮がんで亡くしているんですよ。さらに、そのあと妹も卵巣がんが見つかって、抗がん剤に苦しみながらようやく助かっているんです。だから、いつかは自分にも来るなという思いがずっとあった。パリでがんの疑いが濃厚という知らせに接したときも、驚いたというよりは『とうとう来たか』という感じでしたね」

巨泉さんはパリで予定されていたスケジュールをすべてこなしてから東京に戻り、直ちに国立がん研究センター中央病院で内視鏡検査を受けることになった。その結果、早期の胃がんであることが確認され、その日から2週間後の6月20日に入院。22日に胃の半分を切除する手術を受けている。

「報道被害」を避け、退院当日にがんを公表

写真:ジョー・ディマジオ氏と対戦

ペブルビーチにて、米大リーグ史に残る大打者ジョー・ディマジオ氏と対戦

この間の行動はすべて隠密裏に行われたため、無責任な一部マスコミの「報道被害」にあうこともなかった。

巨泉さんは、初めからがんを公表するつもりではいたが、入院中は治療に専念したかったので、そのタイミングを退院当日に設定していた。公表する場は11年前からコラム「内憂外患」を連載し、全幅の信頼を置く「週刊現代」に決めていた。結果的には以前から親しい関係にあった日刊スポーツの記者が週刊現代に出ることを察知して1日早く報じてしまったが、記事は興味本位な部分がまったくない質の高い内容だったので、後続のスポーツ紙や女性週刊誌は憶測を交えたセンセーショナルな記事を書くことができなくなり、巨泉さんは報道被害に遭わずに無事退院することができた。

「退院当日の7月4日に公表するまでは極力伏せておくことにしたのは、仲のいい兵ちゃん(石坂浩二さん。本名武藤兵吉)が直腸がんで同じ国立がん研究センターに入院したとき、あることないこと書かれて大変迷惑したのをよく覚えていたからです。そのときは、僕も彼を見舞った帰りに病院の出口のところで張っていた女性誌の記者にコメントを求められちょっと話したんだけど、あとで見ると、言ってもいないことを勝手に書き加えられていて、本当に嫌な思いをしているんですよ。そうした事態だけは避けたかったので、夏を例年のようにカナダで過ごさず、がんの検査のため、東京に戻ることも知らせたのは、事務所の社長をしている弟、僕のマネージャー、事務所の数人のキースタッフ、パリの特集番組を制作しているプロダクションの社長、それに石坂浩二夫妻くらいで、妹や娘たちにも知らせなかったくらいなんです」

40年来の親友、王貞治監督

巨泉さんは退院後、カナダのバンクーバーにある自宅で療養生活を送る傍ら、がんが見つかってから、入院、手術、退院、そしてカナダでのリハビリ生活にいたる一連の流れを『がん―大橋巨泉の場合』という本にまとめ、昨年9月に講談社から刊行している。

今年7月、1人の胃がん患者が、胃の全摘手術を前に、この本を1日で読破している。福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督である。巨泉さんは、この王さんとも40年来の親交があり、入院前からさまざまな助言を行っている。

「僕は夏はいつもバンクーバーの家で過ごしていて、あれは7月に入ってすぐのことだと思うけど、インターネットを開いたらトピックスのトップに、ソフトバンク王監督が『胃の異常で休養か』と出ていたんで、40年来の親友のことですから黙っていられなくて『ワンちゃん(王監督のニックネーム)、もし胃がんだったら、去年9月に俺が贈った『がん―大橋巨泉の場合』という本を読んでみてよ。参考になる部分があると思うから』って彼にメールを送ったの。そしたら、律儀なワンちゃんのことですから、すぐにメールを返してよこして『去年確かに頂いたんですが、まさか自分ががんになるなんて思ってもみなかったから、福岡のマンションのデスクに置いたままになっているんです。今、もう東京で、これから慶応病院に入院するところなので、福岡に戻っている時間がありません。すいませんが1冊届けていただけませんか』というんですよ。すぐに、弟のところに電話して、その日のうちに届けさせたら、1日たって『どうも有難うございました。1日で読めました。よく判りました。入院前の心得から、術後はよく噛むことまで、大変参考になりました』というメールが来ていましたよ。あの、日本中が彼のがんに注目して大騒ぎになっているときに、義理堅く丁寧なメールを送ってきたので、ワンちゃんらしいと思いました。彼はそういう人なんですよ(笑)」


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