がんになっても前向きに
1993年 | 母のアルツハイマー型痴呆発症 |
1997年 | 離婚 |
2002年1月 | 母(85歳)逝去 |
2002年4月 | 母の死の直後、進行性の胃がんと告知される |
2002年5月 | 国立病院で胃の全摘手術を受けるが、リンパ節転移がなく抗がん剤は行わず。現在半年に1回の検査を受けている |
「がんになったけど、良かった」
こう言うと皆さんは負け惜しみと思われるでしょうか。ところが、これが私の今の本音です。「幸せは自分の心が決める」という言葉を聞いた事がありますが、私も以前からそう思っていました。私は、どんな境遇にあっても考え方次第で幸せと感じていられると思います。物事を考えるとき、二つの方法があると思います。一つは何でも悪いほうに悪いほうにと心配する考え方。もう一つは、何でも良いほうに良いほうにと考える方法です。ここでは、私自身の体験をこの2つの方法で考えてみたいと思います。
もし悪いほうに考えていたら……
まず一つ目は、悪いほうへと考えた場合です。私には成人した二人の娘がいますが、50歳近い年齢になって離婚しました。離婚後は、やっとのことで仕事を見つけましたが、そこにはワンマンで理不尽な社長がおり、毎日大声でどなられながら過ごしていました。また、一人っ子の私は、アルツハイマーの母の介護を長年に渡り一人で行っていました。その母が亡くなり、本当に一人になった途端に、今度は自分自身が進行性の胃がんとわかり、2年前に胃の全摘出手術を受けました。
母の介護をしていたときの私は、毎日仕事をしながら、夜は母の病院へ通い、土曜、日曜は転院先を探しまわりました。ある日母が救急車で病院へ運ばれたため、急いで運転していた私は、風邪を引いていたこともあって強い咳をしたとたん、車を電信柱にぶつけてしまいました。車の前輪は大破してはずれ、車は廃車となるほどの大事故でした。
また、母が何度も救急車で運ばれたのは、原因不明の全身痙攣に襲われたからでした。随分と発作を繰り返してやっと、その原因がアルツハイマーから来ることがわかりました。母も私も何とか自宅で過ごしたかったのですが、痙攣の治療のためには入院が必要になり、母は薬の副作用で徐々に身の回りのことが出来なくなっていきました。
ついには、誤嚥性肺炎のために喉から痰を吸引しなくてはいけなくなった母、どこにも自分の意思では行けなくなってしまった母を一人で介護をしていると、母がかわいそうで、胃が痛くなり胸もギューッと痛くなりました。
たった一人の介護者である私が心筋梗塞にでもなったら大変と病院で調べてもらいましたが、どこも悪いところはなく、ストレスだと言われました。悲しみで胸が痛くなると言いますが、本当に息が出来なくなるくらい胸がギューッと痛くなるのだと初めて知りました。
その母が、あるとき何の前触れもなく亡くなってしまいました。約10年という長い間一緒にいたのに、これは現実のことなのか、最初は信じられませんでした。本当に悲しいときは涙も出ないものですね。私の胸の痛みは嘘の様に消えましたが、胃はますます痛くなり、今度はお腹がまるで嵐のように痛くなって寝られなくなりました。さすがにおかしいと医師である従妹に言われ、病院で胃カメラの検査を受けました。そのとき医師が、「次回の受診は家族の方と来て下さい」と言われました。
しかし、家族と言っても他にいないので、一人で結果を聞きに行ったところ、外科の医師が突然立ち上がって最敬礼し、「胃がんです」と告げました。最敬礼するなんてまるで「ご愁傷さまです」と私が死んだみたいじゃない? と、かえって失礼だなと感じました。胃がんだからって別に死ぬと決まったわけではないのにどうしてご愁傷さまなのかしら? それが私の第一印象でした。たまたま来ていた職場の同僚が廊下で聞いていて真っ青。医師の声がカーテンだけで仕切られた廊下の待ち合い室に筒抜けでした。
もしもがんが進行性ならば、万が一を考えて自分で納得のいく治療をしてもらいたいと、紹介状と検査資料をもらい、たまたま1カ月ほど前に新聞で読んで知っていた病院をたずねました。医師は検査の結果、進行性の胃がんでもう少しで胃の外まで突き破るほどの大きさと深さがあり、腹膜に広がっている恐れもあるので、再発したら治らないだろうと告げました。一般的に私のタイプの胃がんには、抗がん剤も効かないので手術だけしましょうとの事でした。知らせた従妹たちは暗い声で、沈んだ話しぶり。まるで自分ががんにかかったようでした。離婚はするし、母親は亡くなるし、胃がんにもなって、何てかわいそうなのだろうと思ったのかもしれません。
良いほうに考えれば人生は明るくなる
さて、この話をもう一つの方法である、何でも良いほうへと考えた場合は、次のようになります。
つらかった家庭内別居も離婚でやっと終わりになり、次女は就職して自立し、長女は幸せに結婚しました。やっと探しあてた仕事は、長年の夢だった英語を使う仕事で、通訳をしたり、カタログレゾネの編纂にもかかわり、英訳の仕事を完成させることもできました。これで怒鳴る社長がいなければ最高でした。
母の病院への行き道に電信柱に車をぶつけて大破しましたが、幸い人身事故にもならず、私も全く怪我をしませんでした。何より母を乗せて病院へ行くときではなくて本当に幸いでした。その上、もう古い車でしたので廃車にした方が良いと言われ、廃車にしたら、思いもかけず車の保険で50万円ももらってびっくりしました。保険と言えば、胃がんと分かる少し前に生命保険の内容を変えておいたために、手術してお金を沢山もらえました。別に予感があったわけではありませんが、これも幸運でした。
また、母を介護する事も、苦しい事ではありませんでした。母を自分の命に変えてでも守りたいと必死でしたから、つらいとは感じなかったのです。一人で介護するのは大変でも、誰からも文句を言われる事もなくかえって気が楽でした。長年アルツハイマーを患っていたその母があっけなく亡くなってしまったのは、進行していた私の胃がんを早く治療するようにとの母の思いだったのしょう。母が私の命を救うために自分の命を私にくれたのだから、私は絶対に助かるにちがいない。そう信じました。
よく患者さんや老人が亡くなったときには、その方を介護していた人が、自分自身は病気が手後れになって亡くなってしまう事があると聞きます。でも私はきっと母が助けてくれると思いました。
手術前の主治医の説明では末期の一歩手前かなと思いましたが、手術してみたら、「あなたは幸運ですね。リンパ節に転移が全くありませんでした」と主治医に言われました。今まで、何千例もの胃がんの手術をしている主治医がそう言うのですから、これはよっぽど幸運なのだと思います。これだけ進行している胃がんで、リンパ節転移がないのはとても珍しいそうです。おかげでがんのステージがぐっと低くなりました。
入院して初めて、手術出来るのは幸せだと知りました。手術も出来ないほど進行している方が沢山いらっしゃいましたから。手術しても抗がん剤で苦しんだり、せっかく抗がん剤をやっても苦しむだけで効果がなく亡くなってしまったり、再発して亡くなる方も沢山いらっしゃいます。病院で親しくしていた同室の方が、退院後、次々と亡くなるのはつらく悲しい経験です。空を見上げる度にその方々の事を思い出してしまいます。そして私は、よく助かったなと再認識し、感謝するのみです。全て幸運で母に守られているのだな、と感じます。
手術後、再婚。夫や周りの支えに感謝
私は抗がん剤もやらずに済みました。リンパ節転移がなかったからです。主治医から、私のためには何にもならないかもしれないし、副作用で苦しむ可能性もあるけど、これからの医学の発展のために抗がん剤の臨床実験に参加してくれないかと頼まれました。胃がんを小さくする事は知られているけれど胃がんの再発防止に効果があるかどうかを調べる臨床実験です。
でも手術後に傷口が化膿したために対象からはずされました。医学や倫理学に詳しい友人が、その抗がん剤は副作用で有名な抗がん剤だと教えもらっていましたから、対象から自然とはずれる事になったのも、母が守ってくれているのかなと思いました。
私のまわりにはたくさんの良き友人がいる事も自覚できました。色々と有益なアドバイスをしてくれる友人や、著名な医者の友人や従妹、入院中、家の留守番をしてくれた友人など、まわりの友人たちのおかげで無事関門をクリアする事が出来ました。
その上、私は手術後、何と再婚しました。病気をして離婚する女性もいると聞きますが、私は幸いにも結婚出来ました。娘たちは私が一人でこれからどうするのかと案じていたようですが、ほっとしたと言ってくれました。
主治医は「あなたはリンパ節転移はないし、結婚はするはで、免疫力が上がる一方ですね。あっはっはっ」と笑っていました。笑う事は免疫力アップにとても良いそうです。手術後半年で、お正月、雪のちらつく中、新宿末広亭に行ってたくさん笑って来ました。
免疫力アップにエアロビでもしたら、と主治医に言われて、手術後9カ月から週2回、エアロビや早歩きなど2時間ほど運動していますが、主治医に話したら、「本当にするとは!」とびっくりしていました。
今ではフランス料理のフルコースをぺロッと食べて、とても胃がない人とは思えないと言われます。病院の診察の日も、近くの築地で買い物をして、お寿司を食べたいので、「築地魚市場の開いている日にして下さい」と主治医に頼んでいます。目的が何なのか、わからないくらいです。
私の周囲の友人は、がんにかかってこんなに明るい人は見た事がないと、私を見てあきれています。生まれながらの楽天家で何でも良いほうに考えるこの性格は本当に有り難いです。良いほうに良いほうにと考えていると、自然と道が開けて来るように思えます。でも私がこんなに明るくいられるのもまわりの友人知人のおかげ、そして誰よりも主人の支えが一番大きかったと、毎日ありがとう、ありがとうと思い、感謝して過ごしているからかもしれません。
主治医は「再発したら治りません。死が二人を分かつまで楽しくやって下さい」と結婚式で祝辞を述べてくれました。本当にその通り。がんになったおかげで、家の整理、書類の整理、娘たちに残す遺言も書き、死への心の準備が出来、毎日を感謝して、充実して楽しく幸せに過ごしています。
このメッセージは娘達への遺言でもあります。私が幸せに過ごしていると知れば、もし私が死んでも娘達の悲しみも軽くなるのではないかと思います。再発したらと考えたって仕方がない、心配するだけ時間がもったいないです。再発したらそのとき考える事にします。きっと対処するよい方法、考えが浮かぶでしょう。
体は死んでも魂は再生する
これで私が「がんになってたけど、よかった」と書いた事を信じてもらえるでしょうか?
私が死を恐れないのは、心のどこかに輪廻転生を信じる気持ちがあるからかも知れません。死は終わりではなく、体は死んでも魂は生きており再生すると。最近「千の風になって」という詩に巡り逢いました。作者不祥の、アメリカでは有名な詩です。この詩も死と再生を歌った詩です。人は死んでもいのちは終わる事なく、永遠に不滅で、他の存在となって再生すると歌っているように思えます。
私は本屋さんでこの詩を読んで泣いてしまいました。私の心境と同じだったからです。そして亡くなってしまった沢山の方々を思ったからです。最後にこの詩を書き添えて終わりたいと思います。
千の風になって 日本語詩 新井満
私のお墓の前で
泣かないでください
そこには私はいません
眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています秋には光になって
畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように
きらめく雪になる
朝は鳥になって
あなたを目覚めさせる
夜は星になって
あなたを見守る私のお墓の前で
泣かないでください
そこに私はいません
死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっていますあの大きな空を
吹きわたっています
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