喉頭摘出手術により声を失った人たちの苦しみと、声を取り戻す闘い
世の中には、声の出ない人もいることを知ってほしい
全国の喉摘者の思いを代弁する
新美典子さん
喉頭がんや下咽頭がんにかかり、喉頭の摘出手術を受けると、声帯を切除するため1度は声を失ってしまう。しかし、訓練によって声を取り戻すことは可能だ。だが、健常者とは異なる声質のため、社会で理不尽な扱いを受けたり、つらい思いをすることも多いという。今回は、そんな喉頭摘出された方々の「心の声」に耳を傾けてみたい。
どんなに痛くても「痛い!」と叫べない
「喉頭摘出手術をした夜、集中治療室で周りの患者さんがうなったり、『痛いよー』と叫ぶ中で、私はうなることも『痛い』と言うこともできませんでした。人は『痛い』と言うことで痛みを発散できます。でも、それができないことがどういうことか、想像できますか」
新美典子さんにそう問われ、言葉に詰まってしまった。
喉頭がん・下咽頭がん・甲状腺がん・食道がんなどにかかり、喉頭の全摘出手術を受けた喉頭摘出者(以下、喉摘者)は声帯を切除して一時は完全に声を失う。しかし、訓練で声を取り戻し、再び会話できるようになる。新美さんは1989年、53歳のときにステージ4の喉頭がんを発症し、喉頭を摘出した。
しかし、顔の表情や身振り手振りで必死に自分の意思を伝えようとするが、なかなか伝わらないつらさは想像以上だった。ストレスはたまる一方だ。
そんな中、看護師から、喉摘者のための「銀鈴会」という組織があると聞き、発声の上達した喉摘者が指導員となって声の出ない人に発声を教えていることを知った。そこで新美さんは、「自分も努力して声を出せるようになろう。そして指導員になって、声の出ない人のために生きていこう」と心に決めた。
発声には、電気式人工喉頭発声器具によるEL法やシャント法などさまざまな方法があるが、銀鈴会では主に食道発声とEL発声の訓練を行っている。
食道発声とは、口や鼻から食道内に空気を取り込み、その空気をうまく逆流させながら、食道入口部の粘膜のヒダを新声門として声帯の代わりに振動させる発声法だ。
先輩喉摘者が後輩喉摘者に発声を指導
会話が可能になるまでには、短い人で半年、長ければ2年の訓練が必要となる。その訓練のための発声教室を開いている組織が全国に59団体あり、それらが集まってNPO法人日本喉摘者団体連合会を組織している。
東京の田町にある公益社団法人銀鈴会もその1つ。現在、会員数は約1400名。週3回行われている発声教室には毎回約200名が参加して、上達度別のクラスに分かれ、先輩喉摘者が指導員となってマンツーマンで後輩喉摘者を指導している。
新美さんはここで1年間の訓練の末、声を取り戻した。その後、指導員になって会の活動にも積極的に携わり、昨年4月、同会会長に就任。今年5月には、日本喉摘者団体連合会会長にも就任したばかりである。
仕事を辞めずにがんばっても健常者についていけない
しかし、声を取り戻せるといっても、喉摘者が完全に健常者と同じように話せるようになるわけではない。そして、社会で多くの壁にぶつかるのが現実だ。
たとえば、仕事面。以前に比べて社会全体も企業も障害者に対する理解が深まり、働き続けられる人はそのまま在職するようになった。しかし、営業職だった人は内勤へ、事務職だった人でもいわゆる「窓際」へと移らざるをえない。また、週3回、発声教室へ通うことを会社側から許される場合も多いが、そうなると本格的な仕事をするのは難しくなり、仕事を辞めてしまう人もいる。
「なにより自分自身がつまらなくなるのです。誰も意地悪はしないけれど、どうしても声が小さいし、早いテンポで話せない。そうすると、健常者同士が話している輪に入れないのです」
カルチャー教室で籐工芸の講師とマネジメントをしていた新美さん自身も、一時は職場復帰した。しかし、徐々に誰も相談に来なくなり、自分の必要性を感じられなくなって、「声の出ない人のために生きるほうが、私には大切」と思い、退職した。
再就職となるとなおさら難しい。中には自分の声をテープに録音し、この程度は何とか話せるから雇ってほしいと掛け合って採用された方もいるそうだが、「単純作業でもなかなか雇ってもらえません。再就職できたのは、全国で数名程度ではないでしょうか」と新美さんは話す。
「声ぐらい出せ」「返事しろ」投げつけられる心ない言葉
日常生活の中でも、さまざまな場面で喉摘者は傷ついている。とくに高い声が出しにくいため、低くて嗄れたような声に聞こえてしまうのは、女性にとって大変つらく悲しいことだ。
たとえば、留守中の娘さんあてに娘さんの友達からかかってきた電話に、喉摘者のお母さんが応対したところ、後で「おじいさんに伝言しておいたよ」と言われたそうだ。
また、多くの喉摘者がタクシーの運転手に「そんな変な声、聞いたことない」と言われた経験を持つ。新美さんも「そんなひどい風邪をひいているのに出歩いちゃだめじゃないか」といきなり叱られたことがある。
新美さん自身が1番悲しかったのは、スーパーでの出来事だ。タイムサービスで、ほかのお客さんが「2つちょうだい!」「私は3つ!」と叫ぶ中、大きな声が出せず、身振りで欲しい品物を伝えたが、店員は「なんだ、声ぐらい出せ」と言って、売ってくれなかった。
また病院でさえ、耳鼻科以外の医療者の中には喉摘者に対する理解がないケースもあるという。待合室で順番を待っていた新美さんは、自分の名前を呼ばれ、黙って立ち上がったら、看護師に「名前を呼ばれたら返事くらいしてください」ときつく叱られたという。
「おとなしい喉摘者だとこんな経験をすると、『もう1人で出歩くのはいや』と引きこもってしまいます。でも私は、『私はのどの手術をしたので声が出ません。世の中には声の出ない人もいるのです』と書いて、その看護師に見せました。彼女は黙って立ち去りましたけどね(苦笑)」
また、手術によって嗅覚が失われるため、ガスの取り扱いには人一倍注意しなければならず、台所にガス警報機が欠かせない。食材の腐敗にも気づきにくいので、日数がたったものや変色したものは思い切って捨てるよう、新美さんは勧めている。
「アロマテラピーは楽しめないし、香水や、何よりもお花の匂いがわからないのは、とても寂しいです」と新美さん。
体の傷が心の傷にもなる女性喉摘者の悲しみ
同窓会でも寂しい思いをした。1対1で話すうちは、「声が出るようになってよかったわね」と気遣ってくれるが、人数が多くなり皆の話が弾んでくると、大きな声で話せない新美さんは取り残されてしまった。
「何ともいえない孤立感、疎外感を感じてしまい、以来、同窓会へ行くのはやめました」
この孤立感、疎外感は、男性より女性のほうが感じやすいそうだ。さらに女性は体の傷が心の傷になりやすい。手術により頸部に気管孔が開き、大きな傷跡が残ることは女性にとって大変つらい。「それゆえに、次第に人を避けて孤独になりがち」と新美さんは説明する。
ファッション面でも限定される。気管孔には、冷気や乾燥した空気、ほこりや煙草の煙が入らないようマスク代わりに、白いさらしを何枚か重ねたプロテクターを付ける。マスクをするのと同じ状態なので夏はとても暑く、男性は大きく胸を開けて見せている人もいるが、女性は下着の感覚になり、それを見せることに抵抗がある。そこで、ビーズなどをつなぎ合わせたネックレスやスカーフを付けてオシャレをするが、やはり夏は、ネックレスの内側に付けているスポンジが暑い。しかし、気管孔の目隠しでもあるため、ネックレスを外すわけにはいかない。
喉摘者の中でも女性は孤独になりがちだ。飲酒と喫煙が大きな原因である喉頭がん罹患者は男性8対女性2で、女性喉摘者は仲間を見つけづらい。この問題を解決しようと、新美さんは17年前、銀鈴会の中に女性だけのサークル「すずらんの会」をつくった。今は女性だけで気兼ねなく悩みを話し合い、楽しくおしゃべりしている。コーラスの練習などもして、機会があれば発表もしている。
喉摘者にとって、銀鈴会は安心して思いっ切り話せる「第2のふるさと」といえる。
そんな中、新美さんが今危惧しているのは、組織に対する公的な助成金が減額される傾向にあることだ。それを食い止めるためには、喉摘者の存在と、その苦しみを広く理解してもらう以外にない。
「全国に約3万人しかいない喉摘者に対する理解はほとんどありません。1人でも多くの人に喉摘者や会の活動についてもっと知っていただきたいですね」
22年前に病室で誓ったとおり、新美さんは声を失った人のために今日も東奔西走している。
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