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NPO法人グループ・ネクサス(悪性リンパ腫患者・家族連絡会) 設立発起人/津山あつ子、世話人/天野慎介
正しい情報、正しい治療を 患者を孤立させないために、だからこそ患者会を
つやま あつこ
グループ・ネクサス発起人の1人。業界紙記者、広告雑誌編集者等を経て結婚後、退職。99年に実母が悪性リンパ腫に。2001年ネクサス設立直後、夫に大腸がん3期が発覚。ネクサス医療フォーラム渉外担当のほか、会報の編集等に携わる。現在、悪性リンパ腫という疾患を広く知ってもらうためマスメディア等に向けて活動を広げている。
あまの しんすけ
1973年東京都生まれ。慶應義塾大学卒。2000年に悪性リンパ腫を発症し、2001年自家末梢血幹細胞移植を受ける。2002年よりネクサスのスタッフ。闘病体験を綴った自身のホームページ『悪性リンパ腫体験記』 からも、患者の視点から情報を発信している。
たわら もえこ
大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切除。01年11月、「1・2の3で温泉に入る会」発足。
情報を得る困難さが患者会を立ち上げた
俵 「ネクサス」という名前は、何を意味しているのですか。
津山 「絆」を意味する英語です。おぼえやすい言葉がいいと考えました。現在の会員数は400人ほどです。立ち上げてまだ2年ほどの、新しい会です。
天野 立ち上げるときに、会員の方が会報の封筒などに「悪性リンパ腫の会」などという文字は入れないでほしい、という声があったんです。
俵 それはよくわかります。「1・2の3の会」でも、絶対に乳がんの会であるということは、知られたくない、という方は実際にとても多いですし、気も遣います。
津山 マンションの共同郵便受けで見られることや、ご近所の方の眼を気にされる方は多いですね。ハガキだったら送らないで、と希望される方もいて。
俵 会長の津山さんは、お母さまが悪性リンパ腫でいらしたのね。実際にがん患者の闘病を支えながら、新しい患者会を立ち上げるということは、並大抵のことではないはずですね。そのあたりの経緯からお聞きしたいのですけれど。
津山 母が悪性リンパ腫という診断を受けたのは、3年ほど前のことでしたが、私自身がその時点で、母の病名である「悪性リンパ腫」という病気について、何の知識も持っていなかったんです。悪性リンパ腫に関する情報も、今とは比べものにならないくらい少なくて、もちろん患者会もありませんでした。
俵 とにかく、早急に病気について知る必要があったのね。
津山 血液のがんだという以外、本当に、何もわからなくて、どこにどうコンタクトすればいいのかも知らなくて、それで血液関連の支援団体に連絡をとったんです。
俵 それが「日本つばさ協会」ですね。「日本つばさ協会」とは、どんな団体なのですか。
津山 設立は10年ほど前のことになると思います。代表の橋本明子さんの息子さんが、白血病になったのをきっかけに、そのころはまだなかった骨髄バンクを立ち上げるための運動が始まったんです。そこからいくつかの団体が派生したり、枝分かれして、その後の橋本さんが活動の中心とされている団体として、「日本つばさ協会」(現「NPO法人血液情報広場・つばさ」)があるわけです。母の闘病を通じてこの会とつながり、次第に悪性リンパ腫という病気の特殊性が見えてきたときに、橋本さんの後押しをいただいたことが、初めての悪性リンパ腫としての患者会「グループ・ネクサス」を立ち上げるきっかけとなりました。
別のがんと診断されてしまう危険性
俵 天野さんはとてもお若くていらっしゃいますね。
天野 私は4年前の2000年、27歳のときのことでした。始めは体調の悪さに伴って扁桃腺が腫れまして、風邪かな、と思ったのですが、診ていただいた耳鼻科の先生から、悪性のものである可能性が高い、と伝えられて、専門病院を紹介されました。
俵 そういうケースは多いんですか。扁桃腺が腫れるという……。
天野 悪性リンパ腫という病気は、リンパ節とかが腫れてくることもありますし、またリンパ節以外にも、*節外性の患者さんというのが4割ぐらいいらっしゃいまして、全身のあらゆるところに出てくる疾患です。
俵 がんとしての疾患の出方が多様で、わかりづらいということですね。
天野 私の場合はたまたま扁桃腺ということで分かりましたが、患者さんの中には、例えば臓器が腫れて、それが会社の健康診断などで偶然発見されたとか、あるいはほかの病気の手術でお腹を開けて、偶然発見されるとか、そういった形で発見されることが珍しくありません。時には、乳がんの疑いから乳がんの手術を受けてしまって、手術の後の組織診で悪性リンパ腫がわかったというケースもあります。
俵 乳房切除のあとにですか? それはあまりに乱暴な話でしょう。
天野 もちろんそうです。悪性リンパ腫が確定する、悪性リンパ腫であるということを確定的に診断するためには、実際に細胞を取ってみないと分からないわけです。ですからたとえば外科で手術を受けてしまってから、その後実は悪性リンパ腫だったということが起こりうるのです。
俵 始めからこの病気に対するある程度の知識があり、悪性リンパ腫、という病気の可能性を常に念頭に置いている医師にかかれるかどうか、ということが、患者にとって、大変重要な意味をもってしまうということなのね。
*節外性=リンパ節以外の臓器に発生するリンパ腫
診断ミスの不安に長く悩むことも
天野 悪性リンパ腫の場合は、外科的な手術が選択されるということはあまりないんです。多くの場合に抗がん剤が使用されるという特性があります。
津山 乳がんの疑いで胸を取ってしまって、「胸を取ることは必要なかったんじゃないか、返してもらいたかった」と非常に後悔なさっている女性のようなケースは、本当に痛ましいですね。
ほかにも胃に腫れたものができたので、胃がんだと思ってしまったり、肺にできたものを肺がんと思って、まず、肺がんに効くと思われることをやってしまった後で、よく診てみたら悪性リンパ腫だった、というようなこともまれにおこります。
俵 とても診断の難しいがんですね。そこが悪性リンパ腫の、いわば特殊性の一つなのですね。
津山 10年くらい前までは、悪性リンパ腫というのはよくわかってない病気だったし、今ほど診断がはっきりしていなかったこともあって、自分の場合は医療ミスだったのではないかと、今でも悩まれている方もいます。
俵 だからこそ、患者会による情報収集と、患者同士の交流の必要性が、いっそう意味をもってくるわけね。
天野 そうですね。最近は医学の進歩が非常に著しくて、悪性リンパ腫自体がそもそも、一括りにされてはいますけれど、実際には30種類ぐらいに分類できることがわかってきていまして、その種類ごとに違った治療法が取られることも多いのです。
俵 「悪性リンパ腫」と言うんだったら、当然「良性リンパ腫」というのもあるんですか。
天野 良性のリンパ腫というものはありません。
もともと悪性リンパ腫という病気は、非常に治療が困難で、ほぼ確実に助からない病気だったんです。体のどこにできるかもわからないし、だから発見も難しかった。CTが一般化する以前には、表面化したリンパ節の腫れに放射線をあて、それで医師ががんであるということを隠したまま「あなたはリンパ腫なので、リンパ節が腫れているのです」と説明していた。それが血液のがんであることが知られるようになるに従い、「がんだから、悪性のリンパ腫」である、と言わざるを得ないようになった、ということのようです。つまり、最初からリンパ腫と悪性リンパ腫は、同じものだったんです。
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