夫の言葉に背中を押され、乳がん患者のための下着屋を起業した3歳と0歳の娘を持つワーキングマザー

自分の乳がん体験に自信と誇りを持って生きなさい ボーマン三枝さん(下着屋Clove代表)

取材・文●常陰純一
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2018年3月
更新:2018年3月

  

ぼーまん・みえ
1981年岡山県生まれ。2013年結婚、その3カ月後に乳がんが見つかり右胸全摘。31歳でがんサバイバーとなる。これをきっかけに2016年に乳がん経験者向けの下着を販売する「下着屋Clove」を立ち上げる。また乳がん経験者が気軽に集まれるおしゃべり会も主催。BLOG『31歳 結婚3カ月で乳がんの私がマミーと呼ばれる日』や各種メディア、起業セミナーで積極的に乳がんや起業についての経験を発信。3歳と0歳の娘を持つワーキングマザー

がん患者には、健常者にはわからないさまざまな悩みがある。たとえば乳がん患者にとっての下着の問題もその1つといえるだろう。

「乳房を切除した後に用いるパットがうまく体にフィットしない」

「手術後のホルモン療法によって生じるホットフラッシュなどで、体が汗ばむためサラサラと優しい肌ざわりの下着が欲しい」――乳がん患者の間では、そんな不満を持つ人が少なくないのが実情だ。そうした現実の乳がん患者の視点に立って、体に優しい下着を開発した女性がいる。


ボーマン三枝さん(36歳) ――。もちろん乳がん患者の1人である。

「私自身が乳がんになってこんな下着があればいいのに、と感じるようになりました。その思いを具体的な形にしてみようと考えて、思い切って下着づくりにチャレンジしたのです」

と、ボーマンさんは朗らかな笑顔で話す。

話を聞くと、ボーマンさんのこれまでの足跡は軽やかそのもののようにも思える。しかし、当然ながら、乳がんが見つかった直後には極度に落ち込でいた時期もあった。そこからどんなプロセスを経て、ボーマンさんは今を迎えているのだろうか。

新たな生活を始めた直後にがんが見つかった

2013年3月、結婚パーティでの2人

ボーマンさんは岡山県出身。生まれ育った郷里の学校を卒業後、介護福祉士の仕事に就き、5年後には以前から興味のあった旅行関係の会社で働き始めるようになる。海外に関心があったボーマンさんは、フィリピンに短期留学も経験した。5年前にイギリス人のご主人と結婚。ボーマンさん31歳のときである。その後、仕事が豊富な関東で違う職種も経験したいという2人の希望をかなえるために埼玉に転居する。

好事魔多しというべきか。ボーマンさんの右乳房に0期のがんが見つかったのは、そこで2人そろって新たな仕事を見つけ、夢をかなえる準備が整ったばかりの頃だった。もっともそれ以前に予兆はあった。

「実は、20代の終わりごろから右乳房にコリコリとした感触のしこりを発見していました。それで病院でも検査を受けていたのですが、とりたてて異常は見つかりませんでした。もっとも、しこりは残り続け、そのため、半年ごとに検査を受けながら経過観察を続けてきました。でも、同じ状態が続いていたので、大事になることはないだろうと、自分勝手にたかをくくってしまっていたのです」

それが転居先の埼玉の自宅近辺のクリニックで検査を受けたところ、医師の反応はこれまでとは、まったく違うものだった。

「エコー、マンモ、それに針生検による検査もありました。数日後、その結果を聞きに再びクリニックを訪ねたときに、『やっぱりがんでしたね』と、あっさり宣告されたのです」

何の心の準備もない状態だったこともあったのだろう、ボーマンさんは医師の言葉に大変なショックを受けたという。

「今、思うと呑気な話ですが、岡山にいるときはがんのことを本気で心配したことがなく、がんに対する知識もまったくありませんでした。それでがんといわれたときには、すぐに『死』という言葉が頭をもたげ始めました。ひょっとすると、自分の人生もそう永くはないのかもしれない。そう思うと、不安で夜も眠れませんでした」

さらにもうひとつ、そのクリニックで「こどもは産めますか」とたずねたときに、頭ごなしに「絶対ダメ」とくぎを刺されたことも、「近い将来には必ずこどもを」と思っていたボーマンさんには、追い打ちをかけられるようなショックだった。

一般に乳がん治療では、手術の後、再発予防のために5年間のホルモン治療、抗がん薬治療が付随する。医師にすれば、その間の妊娠、出産についての意見だったのだろうが、頭ごなしのいい方に、ボーマンさんは一生こどもが持てないように感じたという。

ホルモン療法は辞退した

2016年1月、1歳の長女誕生会で

その後、治療を受けるために大学病院でボーマンさんは再び診察を受ける。その結果、乳管組織で何カ所もの石灰化が発見された。そのために、医師からは、手術による右乳房の全摘を提案される。ボーマンさんは、その提案を何のためらいもなく受け入れたという。

「もちろん、女性として乳房を失うのはつらい。でも、そのときには乳房が再建できることもわかっていました。それより何より、私にはリスクを解消してスッキリしたいという思いのほうが強かったのです」

もっとも医師から提案された術後5年間のホルモン療法は、主治医とご主人とよく相談した結果、辞退した。

「ホルモン療法を実施した場合としなかった場合の再発・転移の確率を聞いて、今後の再発や転移には不安は残るけど、妊孕性(にんようせい)の事も考えると……それならホルモン治療をしない生き方もありかな、と思えたのです」

実はその診察の少し前、ボーマンさんはネットで調べて、東京都内のあるホールで行われたKSHS(きれいに手術、ホンネで再建)という乳がんの患者団体の集会にご主人とともに参加している。

そのときに多くの乳がん患者やパートナーたちと一緒になって、「苦しいのは自分1人ではない」と意を強くしたという。ボーマンさんがホルモン療法を辞退したのには、そのことも影響していたかもしれない。

そうして病院での診察から約1カ月後に右乳房の全摘手術が行われる。幸い予後(よご)は順調で、ボーマンさんは自宅で療養の日々を送り始める。

しかし、静かな日々はそう長くは続かなかった。がん手術の後でも、家でじっとしていられないボーマンさんは1カ月ほどの休養の後、都内の旅行会社に就職。その後、待望の長女を授かり出産。そこで自宅でもできる新たなチャレンジを始める。それが乳がん患者を対象にした下着づくりだった。

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