AYA世代のがん患者の悩みや不安を軽くするために 22歳で脳腫瘍の若者が立ち上がった
桑原慎太郎さん AYAむすび山陰若年性がん患者会代表・会社員

がんと無縁で生きてきた22歳の若者が、ある日を境にがんと向き合うことに。入院中、自分と同じ世代のがん患者がひとりもいないなか、言い知れぬ孤独感に苛(さいな)まれた。無事退院できたものの、その思いは益々強くなる一方。ついに自分で山陰若年性がん患者会を立ち上げるに至った桑原慎太郎さんにその思いを訊いた。
倦怠感や口渇感が続いていた

現在、「AYAむすび山陰若年性がん患者会」代表の桑原慎太郎さんは2017年11月、自宅にいて猛烈な頭痛に襲われ、思わず「痛い、痛い」と大声で叫んでいるとその声を聞きつけた両親は「これは只事ではない」と、すぐさま救急車を呼び、総合病院に搬送された。
実は、桑原さんの頭の痛みは3~4カ月前から続いてはいたのだ。
さらに遡った2016年4月から、頭の痛みはなかったものの倦怠感や口渇感の症状に悩まされていた。
月を追うごとにその症状がひどくなり、連れて頭痛も出始めてきた。
「これはおかしい」と、近所の内科クリニックを受診した。
クリニックでは「何も問題はない」と言われたのだが、あるとき一般成人で60~100/分が脈拍の基準値なのに40ぐらいしかなく、これはおかしいと気づいた医師は総合病院で検査するよう紹介状を書いてくれた。
総合病院では、血液検査、尿検査、心肥大の可能性があるとのことでレントゲン検査など行ったのだが、異常は見つからず、「まだお若いし、健康なので大丈夫です」と医師から言われ、桑原さんは安心しきったという。
「そのとき頭痛はさほどのことではなく、医師には伝えませんでした」
総合病院の医師から改めて「体は大丈夫」というお墨付きをもらったこともあり、ますますこの体のだるさは精神面から来ていると思い込むようになっていった。
実は、体のだるさや不安感について「これはもしかしたら心の病だろうか」と思い、総合病院を受診する前から近所の心療内科に通院していた。
心療内科では自律神経失調症と診断され、薬を処方してもらっていた。
救急搬送される3~4カ月前から頭痛があり、心療内科の医師に伝えると、ロキソニンを処方され、それを服用すると痛みは多少治まるような状態だった。
「だからこの痛みも心の病気からくるものだと思っていました」
大学病院で脳に腫瘍が発見される
自宅で猛烈な頭の痛みを訴え、救急車で総合病院に搬送された桑原さんは、そこで頭のCTを撮った。画像検査の結果、脳内に出血らしきものがあると気付いた医師は、更に精密検査をする必要があると判断、ドクターカーを手配し、数十分先にある大学病院に搬送された。
大学病院でのMRI検査の結果、桑原さんの脳に腫瘍が発見されたのだった。
「運ばれた当日に、『頭に腫瘍があります』と主治医から告げられ、そのまま入院することになりました。その告知を両親と3人で聞いたのですが、一瞬頭の中が真っ白になりました。主治医は何事か説明しているらしいのですが、まったく頭の中に入ってきませんでした。まるで医療ドラマのワンシーンを観ているかのようで、まるで他人事のように感じていました。両親のほうを見ると、必死に涙を堪(こら)えているようでした」
桑原さん22歳のときである。
ジャーミノーマと診断される
桑原さんの腫瘍は下垂体の近くにできていた。
病名を確定するため病理検査が行われ、ジャーミノーマ(胚細胞腫)と確定診断された。
脳腫瘍は子供から大人まで広く発症するが、それぞれ発症にピークがある。子供では、胚細胞腫や髄芽腫(ずいがしゅ)が多い。胚細胞腫は、生殖細胞から発生する腫瘍で、脳なら松果体や下垂体などに発生する。脳や卵巣に発生した胚細胞腫は、ジャーミノーマと非ジャーミノーマに分類される。ジャーミノーマは白金製剤を中心とした化学療法が非常に効果があり、放射線治療もよく効く。
まず抗がん薬治療が始まった。まず1クール目は点滴薬エトポシド(商品名ベプシド/ラステット)+シスプラチン(同ランダ/ブリプラチン)を使用するEP療法を行った。
2クール目から抗がん薬はカルボプラチン(同パラプラチン)+エトポシドを使用するCARE療法に切り替わり、3クールで終了した。
「一番ひどかったのは吐き気です。後は脱毛、倦怠感、味覚障害、嗅覚障害などさまざまにありました。最初のEP療法のときには食事は摂れませんでした」
しかし、苦しい副作用ではあったが、抗がん薬は確実に効果を表し、腫瘍はほとんど縮小した。
「主治医からも途中経過の説明がありましたが、抗がん薬の効果が顕著に見られるとのことでした」
抗がん薬治療が終了後、放射線治療が始まり15日、計30グレイの放射線照射を行い、5カ月の入院生活を終え、無事退院。1カ月後には職場復帰することができた。
「復職できた嬉しさはあったのですが、体力も戻るにつれ、自分と同世代でがんに罹った人と交流してみたいと思うようになっていきました。脳外科の病棟に入院していたのですが、同室の患者さんたちは、自分の年の倍以上の患者さんたちばかりで、自分のような若い患者さんは全くいなくて、悩みや不安を相談する相手がまったくいなくて、入院中はずっと孤独を感じていました」
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