第3の居場所「元ちゃんハウス」に助けられ 中咽頭がんの患者会を立ち上げる
大平三四郎さん おおひら歯科医院院長
中咽頭がんに罹り、大学病院に入院していたおおひら歯科医院院長の大平三四郎さんは、退院が近づくにつれ、将来や再発の不安に怯えるようになっていった。そんなとき大学病院で1冊のパンフレットを目にする。それが、「元ちゃんハウス」と大平さんの運命の出会いだった。その出会いがあって大平さんは患者会を立ち上げ、共同代表になり、自身の経験を同じ病で悩んでいる患者さんに伝えていけたらと思っている。そんな大平さんにその思いを訊いた——。
ある日、右首筋にしこりが
それは2019年の春先のこと。石川県金沢市木越にあるおおひら歯科医院院長の大平三四郎さんが、たまたま右首筋を触ったとき、小さなしこりが出来ていることに気づいた。
指でつまんでみても痛くもなんともない。何か感染症に罹って腫れているのではないかと思い、抗生剤を飲んで、そのまま1カ月半近く放置していた。
「そのときは食欲も変わらずあり、体重も減ってなく、また痛みもなかったのでとくに意識はしていませんでした。でも、あるとき鏡を見て右耳下にあったしこりが前より少し大きくなっていることに気づいたんです」
「これはおかしい」と、知り合いの外科クリニックを受診して、レントゲンとCT検査を行った。しかし、「異常は認められない」と医師から言われた。
でも、「やっぱり何かおかしい」と思って、組織生検してくれるよう頼んだ。
結果、「悪性の疑いがあるので、大学病院に紹介状を書きます」と、医師から告げられたのだった。
「何でもないことはないと思ったので、組織生検をしてくれるよう頼みましたが、まさかがんの疑いがあると言われるとは思ってもみませんでした。でも、そのときは、まだどうなのかな、というクエスチョンマークが頭には付いていましたが……」
扁桃部にがんの疑い
5月上旬、紹介された金沢大学附属病院の耳鼻咽喉科を受診した。
検査の結果、やはり右耳の扁桃の部分が怪しいと、改めて扁桃部の組織を生検。その結果、リンパ節から転移したがんの可能性が高いという見立てだったが、この時点ではまだ原発巣がどこかわからず、「原発不明がん」という診断だった。
「がんということは、まったく頭の隅にもなかったので、『扁桃部のがんの疑いがある』と医師から告げられたときは、本当に青天の霹靂でしたね」
ただ、自分ががんに罹らないと思っていたのではなく、もし自分ががんになるなら内臓のがんだろうと思い込んでいたからだ。
早速、扁桃にある腫瘍を摘出する手術を行うことに決まったのだが、手術の順番待ちで実際に手術を受けたのは7月初旬になってからだった。
扁桃にある腫瘍とリンパ節の郭清手術が行われた。病理検査の結果、原発は右の扁桃部、即ち中咽頭がんと診断された。またP16遺伝子が陽性であったため、ヒトパピローマウイルス(HPV)感染が原因のがんであることも判明した。
ハッキリと確定診断がされる前は、主治医からステージはⅢもしくはⅣかも知れないと言われていたが、術後病理検査でステージⅠの中咽頭がんと確定した。
大平さんは1週間の入院ののち退院する。
手術で腫瘍とリンパ節を切除した後遺症はいま現在でも残っているという。
例えば、食事のとき最初の一口を噛むとズキッと右側に痛みが走る。もっともそれは最初だけで、その後は普通に食事は摂れるという。
「また首の右の部分の筋肉を切除していますから、引っ張られるような感覚があり、常に違和感があります」
術後化学放射線療法を受けるため再入院
術後1カ月経って、今度は術後化学放射線療法を行うため再入院する。
入院期間は2カ月以上だと言われ、大平さんは歯科医院を開業しているので「何とか通院でお願いします」と主治医に頼んだ。
ところが、主治医からは、「抗がん薬はかなり副作用の強い薬を使用すること、また放射線も毎日照射するので通院では難しいです。できれば入院してください」と言われて、泣く泣く入院して術後化学放射線療法を行うことを承諾せざるを得なかった。
「最初の入院のときは1週間程度だったので、歯科医院は代診をお願いしたのですが、再入院は2カ月以上入院が必要とのことで、さすがに休診せざるを得ませんでした」
抗がん薬はシスプラチン(商品名ランダ/プリプラチン)を4クールと、放射線治療を毎日行った。
「抗がん薬の副作用としては吐き気や嘔吐があり食欲不振になり、尿が出にくくなりました。また、放射線治療の後遺症としては唾液が出づらくなりました。いまもその症状があって、寝る前に喉が一番渇くのです。ですからペットボトルを常に横に置いておいて飲むのですが、朝起きると喉がカラカラですね」
退院が近づくにつれ不安で胸が
長かった2カ月の治療が終了して退院が近づくにつれ、大平さんは何ともいえない不安に駆られるようになっていった、という。
「歯科医院は2カ月近く休診していたので、診療を再開してもこれまでのように患者さんが来てくれるだろうか、といった将来に対する不安や再発の不安など、いろんな不安が頭をよぎってきました」
そんな不安を抱えていた大平さんの気持ちを救ったのは、同じ金沢市内にある「元ちゃんハウス」だった。
大平さんがその存在を知ったのは病院のエントランスに置かれていた1冊のパンフレットだった。手にとってそれを読んだとき、「ここには自分と同じような病気の人が必ず来ているはず、だったらそこに行って、その人たちがいまどんな気持ちでいるのか尋ねてみたい」と思った。
その「元ちゃんハウス」は病院のすぐ近く、歩いて行ける距離にあった。「一度、行ってみよう」と思った大平さんは、退院する1週間前に訪れてみた。
だが、何となくその日は中に入るのを躊躇してしまい、そのまま病院に戻った。
翌日、再び、「元ちゃんハウス」を訪れたとき、「大平さんどうしたのですか?」と偶然旧知の人物から声をかけられた。そこで自分は「中咽頭がんを患い、いま、金沢大学附属病院に入院して治療を受けていてもうすぐ退院すること、そして、退院するにあたっていろんな不安があるので、相談に来たのです」と彼に話した。
「元ちゃんハウス」とは大腸がん専門医だった西村元一さんが胃がんに罹患し、がん患者には聞いてほしいことがあるのに語れる場所がないという思いから、自宅でも病院でもない〝第3の居場所〟として2016年12月に立ち上げたものだ。その後、西村さんが亡くなったため、現在は奥さんの西村詠子さんが引き継いで運営にあたっている。
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