乳がんで手術、抗がん薬治療を経てホルモン療法中のお笑い芸人だいたひかるさん(41歳) 「夫と2人、笑い合って生きていきます」

取材・文●菊池亜希子
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年3月
更新:2017年3月

  

だいた ひかる
1975年埼玉県生まれ。美容学校を卒業後、美容師に。98年お笑い芸人としてデビュー。02年「R-1ぐらんぷり」初代チャンピオンに。「私だけでしょうか?」「どーでもいいですよー」など独特な言い回しとつぶやく口調が特徴。2013年に結婚、2016年2月、ステージ(病期)ⅡBの乳がんで右乳房全摘術を受けた

2002年「R-1ぐらんぷり」初代チャンピオンに輝き、「私だけでしょうか……」と表情を変えず淡々とつぶやく芸風で注目を集めた、お笑い芸人だいたひかるさん。2013年、最愛の伴侶を得て新たな出発を始めたわずか3年後、乳がんという試練がだいたさんを襲った。術後1年、闘病を経た今思うこと、伝えたいこととは――。

2人にとっての金メダル

旦那さんが用意した「大丈夫」と書かれた貼り紙。検査結果が出るまでの間、家の至る所に「大丈夫」という文字が貼ってあった

かねてから不妊治療をしていただいたさんは、昨年(2016年)1月2日、体外受精の最終段階、受精した卵を子宮に戻す予定だった。仕事もオフにして臨んだ体外受精だったが、移殖1週間前、ふいに生理が始まり、急遽中止に。気落ちしながらも、急に時間ができたので、区の乳がん検診クーポンが届いていたことを思い出し、受けに行ってみた。

「触診の時点で〝右しこりあり〟と言われて、マンモグラフィを受けて。その後は、あれよあれよという間に〝がん患者〟になっていきました」

マンモグラフィの結果を受けて、針生検(組織検査)へ。

「結果が出るまでの2週間、夫は『大丈夫』と書いた貼り紙を、家中の壁にペタペタ貼っていました。まるで家が差し押さえられたみたいに。でも私、何となく嫌な予感がしてたんです。普通に歩道を歩いていたら、突然、向こうが土砂崩れになっていて、気づかずに踏み出して落ちて行っている……そんな感覚でした」

1月26日、夫と共に検査結果を聞きにいった。27㎜の乳がん。リンパ節に転移しているかどうかは、手術をしてみないとわからない。手術前の診断では、ステージ(病期)ⅡAとの見解だった。まずは手術で腫瘍部位の切除が必須。治療法について医師が説明しているとわかってはいたが、お経みたいに聞こえて、医師の言葉が頭の上を素通りした。聞こえてはいるが理解できなかったという。

「お勧めは何ですか?」

レストランでの注文時の言葉のようだが、気持ちは切羽詰まっていた。とにかく今、自分がすべきことを知りたかった。

医師は「全摘です」と明言した。

その日のうちに夫と話し、全摘を決めた。医師からは、温存手術という治療選択肢も示されてはいたが、「再発リスクを残さないよう悪いところを全部とって欲しい」という夫の言葉が決め手だった。そこに迷いはなかった。

実は、病院から帰宅した直後、夫が涙をこらえて、ブルブル震えながらだいたさんに言ったのだ。

「ひかるちゃんは俺と結婚して、1つもいいことないんじゃないか」と。「それはあなたでしょ……」と思いながら、「あなたが泣いたら私も泣いちゃうから」と涙を制した。

それから2人は1度も泣いていない。泣かないと誓い合ったわけではないが、あのとき、病気を治して普通の生活を取り戻すことが、2人にとっての金メダルになった。「それを本気で取りに行こう!」と心に決めたという。

後悔だけはしたくない

2月25日、右乳房全摘術。同時に行ったセンチネルリンパ節生検でリンパ節転移が判明し、右腋窩(えきか)リンパ節郭清(かくせい)も行った。乳がんのタイプは、ホルモン受容体陽性(ER+)、HER2陰性。リンパ節転移があったことで、ステージはⅡBと確定。術後は半年間の抗がん薬治療、その後、ホルモン療法を行うことになった。

実はそのとき、だいたさんは、抗がん薬治療することをいったん躊躇している。

「手術で悪いところを取ったのに……という思い、そして子どものこともありました。抗がん薬治療は子宮にもダメージが大きい。そうでなくても40歳というギリギリの年齢なのに、さらに抗がん薬治療の影響で、そのまま閉経する可能性だってある。命をとるか、子どもをとるか、の選択でした」

そんな彼女に、夫は言った。「子どもがいなくても、夫婦2人、仲良く笑って暮らせれば十分じゃないか。子どもだけ残されて、ひかるちゃんに死なれたら、俺、1人になっちゃうよ」と。

思えば、1月2日に不妊治療ができなかったことが始まりだった。もし、あのとき治療ができて子どもを授かっていたら、乳がん検診は先送りになり、見つけたときは手遅れだったかもしれない。

「こうして見つけることができて、治療できることが幸せだと僕は思うよ。今やれることを全部やって、あとは安心して暮らそう」

夫の言葉に腹を括った。あのときやっておけばよかったとだけは思いたくない、と。担当医からも「女性の平均寿命は84歳。それを目指していきましょう」と言われ、奮起した。

「人間って、生まれて、成長して、老いて、ときに病気して、最後は亡くなる。その流れはわかっていたけど、思ったより前倒しで来たなあ、と思いました。ここから人生をどう組み立て直すかを、手術前からをずっと考えていましたが、このときようやく、夫と2人で笑い合って生きていく道が見えました」

抗がん薬、怖れるに足らず

「抗がん薬治療って壮絶なイメージがありますが、それは昔のこと。あんまり大げさになることはないんだと実感しました」と語るだいたさん

3月3日退院。4月11日、抗がん薬治療を開始した。3週間おきに合計8回の抗がん薬投与。前半4回は5-FU、ファルモルビシン、エンドキサンの3剤を投与するFEC療法。後半4回はアブラキサン投与という内容だった。

現在、抗がん薬投与は外来で行うことが多い。だいたさんは担当医の元で抗がん薬治療を受けたいと望んだが、担当医が別の病院に移動してしまい、通院が困難に。そこで3週間に1度、抗がん薬投与前日から4日間ほど、担当医の赴任先である病院へ入院して抗がん薬治療を受けることを決めた。

「抗がん薬投与したら、毎日吐いて、何も食べられなくなって……と覚悟していたら、そんなこと全然なくて。FECは、軽い2日酔いみたいな感じと、脱毛くらい。味覚障害が出るかもと言われましたが、大丈夫でした。結局、1度も嘔吐せず、逆に体重が増えたほど。副作用に倦怠感というのも書いてあったんだけど、だるさは持ち前のやる気のなさかなって(笑)。買い物にも行けたし、マラソンもしてましたよ。アブラキサンはFECよりは少しきつかったかな。節々が痛くなって、とくに指先や足先の関節を動かすのがつらかったです。錠剤をプチッと出すのがなかなかできなくて。でも、『痛い痛い』と思っていても仕方がないから、気持ちを切り替えたくて、色々考えていました。もし今、札束を渡されて、数えた分だけ持っていっていいよと言われたら、私、全部数えられるなーとか(笑)」

アブラキサンによる関節の痛みは、投与した3日後が最も強く、そこから徐々に抜けていった。痛くて、動くのがつらいだいたさんを、夫は常に、少しずつでいいから体を動かすよう促したという。

「気を流したほうがいい、血液を流したほうがいい、といつも言われていました。彼がお見舞いに来るときは、お題をくれるんです。○○買っといて、と。その日は、朝起きて、ご飯を食べたら、よし行くぞ! とベッドから出て、病院の売店まで買い物に行くわけです。関節が痛くて、月面着陸か超合金かっていう動きでしたけどね」

昨年10月、半年間の抗がん薬治療を終えて、ホルモン療法が始まった。毎朝1錠、ノルバデックスを服用している。ホルモン療法の副作用は更年期障害のような症状と言われるが……。

「ホットフラッシュ(ほてり、紅潮)? あるといえば、あるかな。でも、恥ずかしいときにポッと赤くなったりするでしょ。そんな感じ。冬だし、温かくてちょうどいいかな。〝自力湯たんぽ〟ですよ。副作用なんて思うと病人になっちゃうから」

5-FU=一般名フルオロウラシル ファルモルビシン=一般名エピルビシン エンドキサン=一般名シクロホスファミド アブラキサン=一般名パクリタキセル(アルブミン懸濁型) ノルバデックス=一般名タモキシフェン

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