医療関係者は常に患者を励まし続けて欲しい 胃がんⅢ期の後に食道がんⅢ期。そのうえ奥さんもホジキンリンパ腫に。それでも明るく楽しく生きていく医療ジャーナリストの松井壽一さん

取材・文●髙橋良典
撮影●「がんサポート」編集部
(2018年2月)

  
まつい じゅいち
1936年東京生まれ。早稲田大学卒。(株)薬業時報社(現、じほう社)入社。編集局長、取締役を歴任後、退社。以後フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演活動に務めている。また毎月、「ケンコウ奉仕」の芸名で浅草木馬亭にアマ漫談家として出演している。「寅さんファンクラブ」会長。東京医療学院大学非常勤講師。NPO日本医学ジャーナリスト協会理事。著書に『薬の文化誌』『薬の社会誌』『がんを友に生きる』など多数

医療ジャーナリストとして活躍する傍ら「寅さんファンクラブ」会長も務めて多忙な生活を送っていた松井壽一さんが胃がんのⅢ期と診断される。今から24年前の平成6年夏のことだった。毎年胃部検診を受けていた松井さんとしては納得がいかなかった。

それから22年経った平成28年3月に、今度は食道がんⅢ期と診断された。2つの大病を乗り越えて80歳にして今なお元気一杯、講演や舞台にと活躍の幅を広げている松井さんにその秘訣を訊いた。

大便の色が黒かった

松井さんが異変を感じたのは平成6年の夏のことだった。福岡や札幌へ日帰り出張の帰りにいつもなら空港で生ビールを飲むのを楽しみにしていたのに飲んでもおいしいと感じなかったり、まったく飲む気も起らなかったりもした。

しかし、胃そのものがおかしいという自覚症状はなかった。後になって気づいたのだが、そういえばその前から大便の色が黒かったという。

「胃の患部から出血していたのでしょうね。尾籠(びろう)な話で申し訳ありませんが、毎朝の便の色を見ることは自分の健康状態を判断する上で大切なことだと思います」と松井さんは言う。

毎年検診を受けているのに何故?

8月18日、毎年検診を受けている豊島区医師会の検査センターに行って胃部検診を受けた松井さんは検査が例年より繰り返しが多かったり、「変だなあ」という声が聞こえてきたりして不安になった。

案の定、要精密検査の案内が来て9月16日に再び検査に行くことになった。

その検査終了後、3度目の検査の案内が来て21日に内視鏡検査をする。

内視鏡検査終了後の23日朝、リビングに降りて行くと奥さんから「胃がんの第Ⅲ期」だと告げられた。前日、近所の診療所の医師から連絡があったのだそうだ。

松井さんは奥さんから「胃がんのⅢ期」だと告げられ、「毎年同じ時期に胃部検診を受けている。昨年も一昨年も『異常なし』の結果が出ているのに今年になっていきなり『第Ⅲ期です』とは一体どういうことなのか。以前の検診で見過ごしていたのではないか」という気持ちをどうしても抑えることができなかった。

9月29日、早朝8時に大塚にある癌研究会附属病院(現、がん研有明病院)に行き、改めて血液採取、X線撮影(胸部と腹部)、超音波検査など一通りの検査を受けた。10月6日には胃の内部撮影、11日にはCT検査、17日には胃の内部組織4カ所を採取され、20日には腹部の超音波検査と立て続けに検査を受けた。

以上の結果をもとに28日主治医と面談する。各種検査の結果、幽門部に出来た悪性腫瘍でステージⅢと検診での結果と同じ診断が下された。当時胃がんのステージⅢでの5年生存率は30%だった。松井さんに不安はなかったのだろうか。

「不安はなかったと言えば嘘になりますが、その30%に入ればいいと思っていましたから」

ただこの頃はがんといえば死に直結するイメージがあり、松井さんも心の底では悶々とすることになる。

「これはよくなります」の言葉に励まされる

インタビュー中の松井さん

11月19日入院、12月5日に手術と日程が決まった。

松井さんは9月29日の午前の検査を終えた後、奥さんと京都に向かっていた。松竹シネクラブと「寅さんファンクラブ」一行の一員として京都国際映画祭に参加するためでもあったが、実はもう1つの目的があったのだ。

それは京都グランドホテルに滞在している真言宗大阿闍梨池口惠観法主から加持祈祷(かじきとう)を受けるためである。

池口法主は百万枚護摩行達成行者としてつとに知られた修験者である。

その池口法主のお加持で、病気がよくなった人を何人も見てきた松井さんは池口法主にお加持をお願いしたのである。「溺れる者は藁をもつかむ」の心境だったのだろうか。

池口法主は早速、松井さんの背後に回りお加持を始めた。数珠と五鈷(ごこ)を持ち真言を唱えながら背中をさすってくれる。お加持が終わると池口法主は「よくなりますよ。今夜はここに泊まって明日もう一度お加持をしましょう」と言われた。

松井さんはその言葉に素直に従い奥さんを京都駅まで送って、ホテルに引き返した。

松井さんは今も「池口法主の『これはよくなります』の言葉にどれだけ励まされたことか」と語る。

そして翌日午前にもう一度お加持をしてもらって帰京した。

私だけじゃないんだと正直ホッとした

癌研附属病院で最初に撮ったレントゲン写真には胃の上部の影がハッキリ写っているのに、手術前のレントゲン写真ではそれが消えていた。もし上部にも悪性腫瘍があったら胃は全摘されていて、今の自分はなかったのではないか。なぜ上部のカゲが消えたのか。

松井さんは「池口法主のお加持のおかげだと思っています」と話す。

11月19日朝9時、癌附属病院に入院し12月5日が手術の日だ。

初めての大きな手術を前に松井さんは、「この期に及んでもそのまま病院から逃げ出したいという衝動にかられました」と言う。

「逃げ出さなかったというより逃げ出せなかったのは、家人と息子が側に立っており看護師さんもいたからです。ギリギリの見栄があって踏み止まれましたよ」

それだけ初めての手術は、松井さんにとっては重圧だったのだろう。

後日、主治医にこの話をしたら、「その気持ちその心理状態、よく理解できますよ」と言ってくれ、事実、実際に逃げ出した患者さんもいたとも話してくれた。

「私だけじゃないんだ、と正直ホッとしましたよ」と松井さんは笑う。

胃がんの手術のおかげで理想の体重まで落ちました

インタビュー中の松井さん

胃の上部(噴門部)の3分の1を残し中・下部(幽門部)と脾臓(ひぞう)、胆のう、リンパを切除する手術は9時20分に始まり11時過ぎに無事終了したことで松井さんのがん闘病は山を1つ越えたことになる。

しかし、術後は痛み、不快感、脱力感が断続的に襲ってきて悪戦苦闘の数日間となった。

肘の痛みもひどかった。寝ていても掛布団にも触れないくらい痛い。パジャマを着たり脱いだりしても痛い。その都度、痛み止めの注射をしてくれるのだがすぐに痛みがぶり返す。

これが1週間ぐらい続いた。

もう1つ手術した傷の縫い目から体液が滲み出てくるのには困まった。

「その度に縫ってくれるんだけど、またすぐに滲み出てくるんです。パジャマもビショビショになって本当に困りました」

そんな後遺症に悩まされながらも松井さんは無事12月20日に退院する。

退院後、松井さんの体重は65㎏まで落ちていた。

「最盛期80㎏あって医師から痩せなさいと言われていたが、胃がんを患ったおかげで一気にほぼ理想の体重近くまで落ちました」

ただ胃がんで入院したことは周りの誰にも話していなかったので、体重が落ちたことを説明するのに原稿を書くため山籠もりをしていたなど、苦しい説明をしなくてはならなかた。

それと好きだったお酒は術後しばらくビールも日本酒も味がまったくしなかった、という。ただワインだけはなんとなく味がしたので赤ワインを飲んでいた。

ビールや日本酒の味が戻ったのは術後半年が経過してからだった。

退院後2カ月に1度行っていた検診も半年に1度、1年に1度になり3年目で無罪放免となった。術後の経過は順調だった。

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