ドイツがん患者REPORT 35 「スペインからやって来た犬」

文・撮影●小西雄三
発行:2017年9月
更新:2017年9月

  

懲りずに夢を見ながら」ロックギタリストを夢みてドイツに渡った青年が生活に追われるうち大腸がんに‥

最近、僕は娘の犬のお守りをしています。家内が月曜の夕方、仕事帰りに娘のところから犬を預かってきて、木曜か金曜の夕方返しに行きます。娘はダイエット栄養士の勉強をしながら、就職に向けて実地訓練に入ったため、その間家で預かっているわけです。

日本では「犬を室内に残して、留守しても問題ない」と思われるでしょう。しかし、ドイツでは犬を引き取るとき、「6時間以上室内に監禁しないこと」という条件があります。また、「中型犬が室内トイレで用を足すのは犬の習性に反する虐待行為」とみなされるお国柄なのです。

ですから、家内が仕事に行く朝6時から帰宅する4時過ぎまで、僕が犬のお守りをすることになっています。悪天候や、体調がすぐれないときは犬の散歩は負担ですが、普段はほぼ1日中1人で家で過ごしているので、〝お犬様〟中心の生活はいろいろ変化があり、できる範囲で楽しんでいます。

スペインの野良犬だったティト

娘がその犬を知ったのは、2年前のSNS上に書かれていた「エマージェンシー」の一文からでした。

スペインの野良犬だったティト

ドイツにはペットの殺処分はありません。飼い主が何らかの事情で飼えなくなったり、迷子となってしまった場合、施設で新しい飼い主が見つかるまで暮らせます。生涯飼い主が見つからないペットは、施設で寿命を全うすることができます。

新しく犬を飼いたいときは、まず保護施設を見学して探します。犬種にステータスを求める人はブリーダーを探しますが。

引き取り手への規則がかなり厳しくて、前述のような基準をクリアしないと引き取らせてもらえず、問題点だと指摘されることもあります。

話がそれましたが、欧州には今でもたくさんの動物が殺処分されている現状があります。それを少しでも防ごうとドイツの動物救助団体が、他国の殺処分される動物をドイツの飼い主に斡旋。その1つの手段が、娘が見たSNSなのです。

もちろん飼い主を捜しますが、殺処分を回避するには一刻を争うので、まずは里親を探します。娘はこれに応募しました。当時も学生だったので飼い主にはなれない、でも2カ月間限定の里親ならと思い、夏休みの期間を利用して、何とか助けたいと思ったそうです。

1人では無理なときの保証として、子供に甘く、時間だけはたっぷりあると思われている僕に、緊急時の犬のお守りを頼んできたので、了承しました。

その犬はスペインで野良犬だったところを保護され、去勢と防疫処置を施されたそうです。犬を飛行機で輸送すると大金がかかるので、協力してくれる旅行者に頼み、手荷物の1つとしてドイツに輸送されたそうです。

犬の名前はティト。犬のパスポートのような荷札に生年月日と一緒に「ティト」と書かれていました。娘は飛行場にティトを引き取りに行き、その足で僕のところにやってきました。

初めて見るティトは、おどおどしてるくせに餌をもらおうとして媚びてる、小汚くて痩せこけた茶色い犬でした。そのティトが、今は誰にでも可愛がられるようになるとは、当時は想像もつきませんでした。

娘のトラウマ

もう20年以上前、娘が2歳になったとき、よそで飼えなくなった子犬を自宅に引き取りました。小さな娘と子犬は、姉妹のように育ちました。そうして1年後に息子が生まれ、僕たちの生活に大きな変化が生まれました。息子は大変強いアレルギー、アトピー、そして喘息を持って生まれてきたからです。

息子が生まれて数カ月経つと、普通の赤ちゃんとは違うと指摘されましたが、僕らは無知だったためなるべく普通の子供のように育てました。そのせいで息子の症状が悪化し、その後の彼の人生を困難にした原因の1つを作ってしまいました。当時の無知を本当に悔やみますが、過ぎてしまったことは仕方がないので、繰り返さないように心がけています。

「論理的に説明や理解できないことがあっても、いつかは解明される。それまではできる限りのことをする。民間療法やいろんなことを試すのもよいが、それはちゃんとした医療のベースがあってこそ」という現在の僕の考えは、この頃のいろんな悪い経験から出来上がったものです。

息子には、かなりきつい犬のアレルギーもありました。それでも犬アレルギーで犬を飼ってる人の話等、都合のよい話のみを信じて、犬を手放すことはしませんでした。

その考えが一変したのは、家族旅行中のギリシャのレスボス島で、息子をアレルギーとぜんそくのショックで、死の一歩手前にしてしまったからです。ぜんそくやアレルギーに「自然主義でやっていれば治っていくだろう」と安易に思っていて、危険な目に合わせていたことを、そのときに初めて自覚しました。

帰国後も、息子は一向によくならない。その大きな理由の1つが犬にあることは明らかで、決断のときが来ました。そのことに、僕以上にショックを受けたのは娘でした。

「弟のほうが後から来たんだから、弟をどこかへやってしまえばいいんだ。フェアじゃないよ!」と泣きながら言った言葉は、僕の記憶に深く刻まれました。

犬の引受先を友人に頼み、個人の施設に入れて新しい飼い主を見つけてもらいました。養子と同じく、僕らはそこの規則で誰に引き取られたかは知ることはできません。最後のとき、僕の友人と一緒に散歩に行けることを喜んで、小さな尻尾を振り振りドアから出て行った姿を、今も忘れられません。

犬がいなくなった後、1週間以上娘はショックでボーっとしていたと、幼稚園の保育士に言われました。娘は大きくなった後も、犬がいなくなった日のことは忘れていないようです。無くすことを極端に恐れるところがあり、原因の1つにそのときのことがあるんだろうと思っています。

だから、娘が犬の里親に申し込んだときも、飼い主が見つからずに引き取りたいと言ったときも、僕は反対などできませんでした。僕自身もそのときのことが心に残っていて、そのときにできなかったことを取り戻したいという気持ちは、よく理解できるからです。

毎日が学習のティト

ティトにとっては、毎日が新しいことの連続、学習の毎日だったことでしょう。餌と濡れて凍える心配がなくなった代わりに、自由ではなくなり、今までと違ったルールで生きていかなければならなくなりました。

何でも噛みたいだけ噛んでいいわけではないし、好きに穴を掘ることもままならない。ティトが来て間もない頃、僕が3時間ほど家を空けて帰ってくると、ソファが無残にも食いちぎられて破られていることがありました。

ベッドの上で

ドックフードより、パスタなど人間の食べるものに興味があるし、野良犬の習性か、餌をあげるとまずは机の下に隠れるとか。それも、だんだん慣れてきて、しなくなっては来ましたよ、最近は。

それに人通りが少ない道、公園、車の少ない幅広の歩道などで、リードなしでも散歩ができるようになりました。電車に乗るときや信号を渡るとき、人込みなどではもちろんリードはつけます。ドイツでは電車に犬と一緒にそのまま乗れます。ただ、物乞いをする行為は、いまだに治りません。先日も、わずか数百メートル会う人会う人の前に座り込み、お手をしながらねだっていました。こういうしつけは飼い主の責任。いつになったらやめてくれるのかな、とそれが悩みの種です。

難民と犬

ティトの幸せそうな顔を見ると、難民のニュースで見る彼らのことに思いをはせることがあります。両方に共通するのは、運、不運があるということ。内戦などで土地を追われ、生死をその個人の運にかけなければいけないということです。

娘の犬と同じような犬は大勢いて、そのうちドイツに来られて幸せな顔で眠っている犬はいったいどのくらいいるんだう? 同じように幸せを掴んだ難民、ある程度思い通りにいった難民はどのくらいいるのか? どうして、こういうことがいつまでも続くのだろうか? 経済的に豊かであれば救済できても、それでも一定数しか救うことはできない。

しかし、努力を絶えまず続けていかなければいけない、そこにむなしさを感じないのだろうか? などと、暇な僕は考えてしまいます。

犠牲を強いることや無駄な殺生は、がんで生き残ったことに罪悪感を感じることのある僕には、時々耐えられない苦痛になることがあるんです。

生きていることは幸運と背中合わせ

がんを告知された人は、運命という文字を突然目前に突きつけられた感じがすると思います。住んでいる場所を追われた難民や野良犬も、そんな運命を想像もしていなかったと思います。もちろん、がん患者のすべてが完治して、難民も野良犬もすべてが幸福になればよいのですが、現状では不可能なこと。誰もが気がついていないだけで、そういう状況に陥る可能性がある中で生きている。

きっと、今日も生きていること自体が通常ではない。そう思うと、ほとんどの苦痛や不満も、実はたいしたことではない、幸運だなって思えてくるのです。

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