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シリーズ対談 田原節子のもっと聞きたい ゲスト・田原総一朗さん
闘病生活が長引いてこそ、闘いがいがある生活です
田原総一朗
たはら そういちろう
ジャーナリスト
1934年滋賀県に生まれる。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画に入社、ドキュメンタリーフィルムの制作などに携わり、東京12チャンネルに移る。1977年にフリーとして独立後はノンフィクション分野において多くの著作を発表しつつ、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」、「サンデープロジェクト」等に出演。1998年には戦後の放送ジャーナリストに与えられる「城戸叉一賞」を受賞している。2003年、節子氏との共著『私たちの愛』を出版。
田原節子
たはら せつこ
エッセイスト
1936年東京に生まれる。早稲田大学文学部卒業後、日本テレビにアナウンサーとして勤務する。結婚・出産後、アナウンサーからの配置転換命令を受け、納得できずに裁判に訴え勝訴する。以後は10年間をCMプロデューサーとして勤務した後退社、現在は田原事務所代表取締役を務める。村上節子の名で女性問題を始めとするテーマで、各方面に執筆活動を行っている。
新鮮で楽しかった妻のケア
今までは常に夫の仕事を厳しく、
そして豊かに支える存在であった妻が、
今は夫に妻を支えるという、
新たな経験を与える存在となった
節子 入院中の対談になってしまいましたけれども、私がけっこう長く入退院を繰り返して、毎日病院に通って来るのは大変ですか。
総一朗 全然大変じゃない。引力みたいものだから。どこかで時間があけば、すっと来ちゃう(笑)。むしろ見舞いが終わって、家に帰って、あっ、いないんだなというほうが大変だよ。
節子 私は、毎日申し訳ないと思ってますよ。
総一朗 でも、申し訳ないと思われる理由は何にもない。むしろ、君自身が病気に罹って大変なんだよね。本当ならば、いっぱい、やりたいことがあるはずだし。
節子 がんの生活が始まってから、5年になります。5年って、長いでしょう?病気の人間がそばにいるという緊張感からも解放されませんよね。
総一朗 僕は、そんなふうには考えない。長くて6カ月といわれたのに、5年もがんとの戦いを続けられてきたというのは、半ば成功だと思う。むしろ、ここまで長くこられて良かったなと思ってますよ。とっても面白いと思ってるの。
節子 新しい体験だからですか?
総一朗 新しい体験というのは、実はそんなに好きじゃないんだけど。
結婚してから、妻が面倒を見てくれるということが、いつの間にか当たり前だと思うようになっていた。それが、お互いに世話し合うのが当たり前になった。妻の体を洗うようになり、頭を洗うようになり、とても新鮮で、面白かった(笑)。君は犬洗いとかなんとかいってるけど、僕は女房を洗ってるんだ。
節子 何か、自分がペットになって、洗われてる感じがするのね。
総一朗 この人は、なかなかうるさい人だけれど、洗ってる間はおとなしい。少なくとも洗われながらは怒らないからね。
介護が仕事の励みに
総一朗 僕にとっては、妻のことは義務感とかではなく、励みになっています。彼女が入院してから、僕の仕事は余計に忙しくなった。
節子 私が病気になったのは、ちょうど総一朗の60代後半で、仕事に関しては、最後の段階を一つひとつていねいにステップを踏んでいこうとしてるときでした。総一朗が車イスに乗り、ヨレヨレになりながら、最後の数年間の仕事の仕納めをする。それを私が健気に介護して、それでいい仕事をさせるという、非常に美しいお話の展開になるはずだったのに。だから、私が介護されちゃうというのは、私としては格好のつかない話です。
総一朗 反対に僕が車イスを押す側になって、仕事にエンド・マークが打てなくなった。そういえば君が病気になって、僕の寿命が延びてるって、誰かがいってたね。
節子 総一朗という人は、以前なら毎年のように何かしら起こって、1カ月くらい倒れたりしてたでしょう?それがこの5年間、1度も倒れてないものね。
総一朗 君の闘いぶりに逆に励まされて、そういう闘いがあることを発見して、感動してます。これからもまだ10回以上、入院するんじゃないか、と思ってるし、さあやりましょう!という気持ちです。
どこまでも、とことん闘う
節子 意識としては、今でも体力が有り余る私、かろうじて仕事をし続けられる夫というのが抜けない。にもかかわらず、闘病が4年8カ月にいたって、この5月から転移が次々に現れちゃった。今までいろんな治療を受け、抗がん剤は4種類ぐらいやってきて、病人らしくない普通の生活をある程度続けられたのに、ここにきて、脊椎、網膜の後ろの脈絡膜、脳、そして今度は大腿骨頸部の転移と、立て続けに起こりました。今は、外へ出かけるときは車イスで、家の中は松葉杖です。
私はなぜか、これだけ抗がん剤を入れても、消化器系とか呼吸器系とか、内臓はあまりダメージを受けていません。でも、内臓以外の部分は、次から次へと何かしら起こっています。
総一朗 逆に言うと、内蔵が強過ぎて、そこではがんがかなわないわけね。しょうがないから、がんは周辺、部分ばかりを攻めてる。
節子 だから脳に転移したときも、しゃべれなくなるというようなことにはならなかった。
総一朗 ちょっと意外な展開ですよね。彼女の友達なんかにしても、体が弱ったり、白血球が下がったりして、あるとき抗がん剤の治療ができなくなり、死に向かう人が多いんですよ。
節子 いつまでもつかどうかわかりません。
総一朗 僕から見ると、ずい分派手な闘いをやってるな、という感じ。僕は、医者に何度か聞いたんですよ。あんまり闘っていると、体のほうに障害が起きて、いつか静かにするというようなときが来るんでしょうかって。そしたら、そんなことはない、奥さんの体はどこまでも戦える体ですから、とことんやりますよと言うんだよね。
節子 本当?
総一朗 本当。だから、それを聞いて、逆に強い励ましを受けた感じ。これからも10回以上入院するんじゃないかと思ってるんだけど、とことんやりましょう。
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