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NPO法人・女性特有のがんのサポートグループ オレンジティ 理事長/河村裕美、運営スタッフ/工藤千賀子
強い患者でありたい、優しい関係を育てたい
かわむら ひろみ
32歳のとき、子宮頸がん1b期の診断を受け、広汎子宮全摘出術と両卵巣摘出、リンパ節を郭清する。術後の入院中から始まった、更年期障害などの術後後遺症などに悩まされながら、サポートグループの必要性を感じ、オレンジティを立ち上げる。
くどう ちかこ
乳がん歴8年目。オレンジティでは患者とその家族のサポートに重点をおき、ともに学んでいきたい、と語る。一人でも多くの患者の心の声を聴きたいと、4月からは沼津でも「おしゃべりルーム」を開く。
たわら もえこ
大阪外国語大学卒。サンケイ新聞記者を経て1965年より評論家・エッセイストとして活躍。95年より群馬県赤城山麓の「俵萠子美術館」館長。96年乳がんで右乳房切除。01年11月、「1・2の3で温泉に入る会」発足。
静岡であることにこだわって
俵 オレンジティというのは、どこからネーミングしたのかしら。
河村 静岡をホームグラウンドとしたサポートグループにしたい、という意味から、静岡の名産といえば、お茶とみかん、ですよね。なんとなくシャレてるでしょう? これで行こう! と(笑)。
俵 この会の独自性は、女性特有のがんというくくりにあるのね。
1・2の3の会はとくに明文化していたわけではないけれど、たまたま乳がんの人たちが集まったこともあって、乳がん患者の会として活動を始めたの。でも、現在ではほかのがんの人も、交通事故ややけどで大きな傷が残ったという人もいます。
河村さんはとてもお若いけれど、会員の平均年齢はおいくつぐらい?
河村 30代後半から、40代なかばくらいでしょうか。
私は4年前の32歳のとき、結婚と前後して子宮頸がんであることがわかって、まつばらけいさんが主宰する患者会で、子宮・卵巣がんのサポートグループ「あいあい」に参加したんです。それで、まつばらさんから「東京へは来られない患者もいる。静岡でサポートグループを作っては?」という連絡が来たんです。「河村さんががんばって、静岡で患者会を作って! 応援します」という励ましの言葉に、1回目の「わかちあいのミーティング」を開こうと。2002年1月から会としての活動を始めました。
俵 最初のミーティングはどんな内容で、何人くらい集まったの?
河村 30人、と見積もって用意した会場に、45人も集まりました。まつばらさんに、サポートグループの必要性についてお話していただいて、そのあとはがんの部位別に10人ずつくらいの小グループに分かれて、体験を語り合いました。
もう、参加者は同じ思いを共有している人に出会えた、ということに感激して、泣けて泣けてしかたがない。そんな会でした。
工藤 私は首都圏を中心にした乳がん患者会に参加していたのですが、静岡まではなかなか活動が行き渡らない、と感じていたんです。オレンジティはとても間口の広い考え方を持った会ですし、いろいろな会とリンクしながら活動しよう、という姿勢に共感しました。
患者の自立と共感を柱に
利点をフルに活用し、 事業化を目指す
俵 河村さんが最初に呼びかけられたときのテーマは?
河村 患者として強くありたい。そのためには知識を身につけて、前に進む必要がある、ということ。それからやっぱり心のケアとサポートの必要、この二つが柱でした。
俵 活動を始めてから2年という期間で、NPO化までがとっても早かったのは、どんな理由から?
河村 私は公務員として行政側で仕事をしているので、今後の運営のためにも行政とのコラボレーションは必要だと考えています。
たとえば行政から委託されて、がんの予防についての教室などを、私たちの会の事業として運営していきたい。人材を養成して派遣する。そういうことは、NPO法人化して実績を積んでこそ、実現できることですから。
幸い事務的な書類の処理などは、仕事がら得意でしたから(笑)。NPOの申請も、設立登記もすべて、自分でしたんです。
俵 オレンジティは会費をとっていないのね。通信などの運営費はどうしているの?
河村 会費はないけれど、会合の参加費はあります。そこから運営費も出るように計算しています。あとは参加者のカンパですね。
会費を取れば、参加者も出入りがしばられるし、会としても「会費を取っているのだから」と、あれもこれもとやらなくてはならない、という圧迫感がでてきます。患者会として、それぞれの会員が自分にとって一番居心地のいい場所にいられるという、そのために参加者が自由に出入りできる場にしたかったんです。
俵 私も、実は1・2の3の会が、各県でそれぞれにNPOとして独自に活動して、本部としてはゆるやかに団結していく、ということを夢見ているんです。全国のいろいろな患者会が、必要に応じて手をつないでいくことが理想だと思っています。
工藤 全国的でなければできない活動と、地方でなければできない活動があると思います。でも、実際になにかで手を結ぼうというのは、患者会の抱える閉鎖性とあいまって、難しい問題でもあります。
仲間がいる、という勇気
河村 オレンジティの名簿は非公開なので、会報の発送も私一人でやっています。会員のプライバシーを守るために、たとえスタッフであっても名簿を見ることはできません。安心して会に参加していただきたいので。
俵 それでは大変でしょう。うちは400人の会員がいるので、事務局を置いています。入会の証明書とバッジは送りますが、温泉に入るときのピンクのタオルは個人購入です。
河村 温泉は貸切りで入るのですか?
俵 それでは意味がありません。もちろん一般の人たちと一緒です。でも、ピンクのタオルによって、仲間がいるという勇気が湧いてくる。で、結局はそうやって温泉に入っても、そのタオルを目印に、なんとなく会員同士が集まったりはするんですけれどね(笑)。
あなたたちも最初に涙にくれた、というのは、そこにどんな共感があったのかしら。
河村 やっぱり子どもが生めない、ということが、大きなポイントの一つでした。それまで生めないという自分に、とても大きな引け目を感じていましたから。身内にも、こんな体になった自分が申し訳なくて、つらいとは言えなかった。
それを「つらいの」と言えたとたんに、泣けてしまったんです。
俵 すでに出産を経験した人と、未経験のままがん患者となった人との心の交流は、どんなふうに考えていますか?
年代的な問題は、会としての活動を複雑にすることもありますね。私はたとえば30代の乳がんの会員に対する「あなたは若いからかわいそう」という言葉に、とても抵抗感があります。
工藤 あなたはまだマシ、とか、かわいそう、とかいう見方は、何を基準にするのでしょうね。そういう自分のまわりに垣根を作るような議論は、たとえば初発の人と再発の人が話しをしていて、「あなたは再発していないから、私の気持ちがわからないのよ」ということとも似ていますよね。初発であろうが再発であろうが、病を背負って生きていく仲間として向き合う、その姿勢が大切だと思うのですが。
河村 そう、でもある一面では、それが社会という存在そのものなのだと思います。それをまとめようとすると、どうしても無理が起こる。そういう視点で発言されたら、「あなたはそう思うのね」というしかない。
工藤 私が参加しているメーリングリストでは、再発・転移している人たちだけの別の会があって、初発の告知で動転している人にはちょっと聞かせられないかな、ということもあります。同じ思いを共有していることの重さは、常に考えさせられますね。
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