ホルモン薬でも副作用はある。ためらわないで、相談してもいいのだよ 乳がんホルモン療法の副作用でうつ状態も体験したと語るジャズピアニストの国府弘子さん(55歳)
東京都出身。ピアニスト・作曲家。国立音楽大学ピアノ科在学中にジャズに目覚め卒業後単身渡米、ジャズ界の重鎮バリー・ハリス氏に師事し、帰国後デビュー。2008年にはNHK教育テレビ「趣味悠々・国府弘子の今日からあなたもジャズピアニスト」に出演、人気を博す。あうんの呼吸の「国府弘子スペシャルトリオ」でも活動中。15年にはアルバム「ピアノ一丁!」を発売
「抗がん薬は副作用で大変ということを聞いていましたが、ホルモン薬でこんなにも大変だということは知りませんでした」。こう語るのはジャズピアニストの国府弘子さん。国府さんはホルモン薬の副作用でうつを経験。だからこそ、同じようにホルモン療法で苦しんで我慢している人に「主治医の先生にそのことを言ってもいいのだよ。相談してもいいのだよと伝えてあげたい」と語っている。
たまたま受けた検診で見つかった乳がん
ジャンルを超えて幅広い活躍をしているミュージシャンの中でも、国府弘子さんのマルチ才女ぶりは異彩を放っている。
ジャズピアニストとして自らのトリオやソロでステージに立つほか、オーケストラとの競演、ロックやラテンのアーティストとのコラボレーション、他楽器の名手との競演など、演奏活動の幅は多岐にわたる。
ピアニストとして多忙な毎日を送っていた国府さんに乳がんが見つかったのは2009年8月下旬のことだった。きっかけは旦那さんに勧められて受けた、区の検診だった。
「50歳の誕生日が来る直前に、区から検診の案内が来ていて、夫が『1度くらい受けてみたら?』と言うので、近くのクリニックに行ってマンモグラフィ検査を受けたら『異常あり・要再検査』となったのです」
そこで今度はエコー検査で調べたところ右胸に異常が見つかり、都心の大病院でさらに詳しい検査を受けたところ、早期の乳がんであることが判明した。
「しこりがあるとは全く気がつかなくて、『えっ?』という感じでした。仕事柄、先々のコンサートなども決まっていたし、また目先のコンサートも共演者の方たちとの準備に追われているのが通常なので、ショックというよりも、忙しかったのでスケジュールをどうしようかと思っていました」
職業柄、リンパ節郭清の有無が心配
がんがホルモン感受性のあるタイプだったため、主治医は術前ホルモン療法でがんを小さくしてから、部分切除による乳房温存手術を行い、さらに術後に再発リスクを減らす目的で放射線照射と5年間のホルモン療法を行う考えを国府さんに示した。主治医に全幅の信頼を置いていた国府さんは、今後の治療方針にそれほど不安はなかったものの、ただ1点、気になることもあった。それはがんがリンパ節に転移しているかどうかという点だった。
「主治医の先生からは、リンパ節に転移しているかどうかは、手術のときに調べてみないとわからないと言われました。もし転移があれば、腋の下(腋窩)を切除するリンパ節郭清を行う必要があるということでした」
ピアニストである国府さんにとって、リンパ節郭清をするかどうかは、職業柄大きな問題である。
「あるピアニストの方が、がんの手術で腋の下のリンパ節を切除した後、腕の腫れや機能低下で、まるで重い座布団を腋の下にぶら下げてピアノを弾いている感じになった、と何かに書かれているのを読みました。そうなったらどうしようと不安で一杯で、手術前は何日か続けて、座布団の夢を見たくらいでした」
手術後、放射線治療を開始
乳房温存手術を受けたのは09年11月のことだ。全身麻酔から目が覚めたとき、国府さんが真っ先に確認したのは、右胸の腋の下の状態だった。
「あっ、大丈夫。良かった……」
乳がんはリンパ節に転移しておらず、リンパ節郭清も行わずに済んだという。
手術後、傷が少し痛痒いということはあったものの、とくに異常はなく、予定通り1週間ほどの入院で退院した。
放射線治療は、年が明けた10年1月下旬から始まった。週5回、月曜から金曜まで毎日病院に通い、土日は仕事で地方に行くという日々。とくに放射線治療による副作用はなかったものの、「とにかく疲れていた」という。多忙な仕事を抱えながらの治療ということもあるが、その一方でホルモン薬の副作用の影響もあったのだ。
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