がん哲学「樋野に訊け」 9 今月の言葉「人は常に分かれ道に立っている」

樋野興夫 順天堂大学医学部病理・腫瘍学講座教授
取材・文●常蔭純一
発行:2017年4月
更新:2017年4月

  

仕事も楽しみも犠牲にしたのに、がんになってしまった

S・Gさん 48歳男性/会社員/東京都

 昨年(2016年)の10月、会社の定期検診で肺がんが見つかりました。幸い、がんはごく微小で、内視鏡手術で切除することができました。でも、だからといって私の心は晴れません。というのは私には納得できないことがあるのです。それはなぜ私ががんになったのか、ということです。私の家系はいわゆるがん家系ではなく、私自身も若い頃から「健康オタク」と友人たちからからかわれるほど、心身両面で健康管理に気を遣ってきました。毎朝、出勤前には1時間のジョギングを欠かさないし、食生活では栄養面に偏りがないように、ビタミン類を中心に、積極的にサプリメントも摂ってきました。

また余計なストレスを溜め込まないように仕事でも無理を避け、そのために出世争いでは、同期入社の友人たちから大きく後れをとってきたほどです。つまり私は健康のために、娯楽も出世も犠牲にしてきたと。その私ががんになってしまっているのです。

周囲を見渡すと、私とは比較にならないほど、いい加減な暮らしを続けてきた上司や同僚が、病気などどこ吹く風と、元気でピンピンしています。連日の暴飲暴食で、完全なメタボ体型の上司も、仕事中毒のように、毎日、遅くまで残業している同僚も、こと健康に関しては何の悩みもなさそうです。なのに人一倍、健康に気を遣っていた私ががんになり、再発の不安に脅えている。皮肉なことこの上ありません。

私はそのことが不条理に思えてならないのです。そのことを考えると、医師が熱心に勧めてくれる再発予防にも身が入りません。否、その前に人間の存在とは不公平なものだと、何にもやる気が起こらなくなってしまうのです。最近では、仕事をするのもばかばかしくなって、会社なんか辞めてやろうかという気も募ります。いっそ、自分もやけになって好き放題の生活をしてやろうかとも思います。人間がもともと不公平にできているのは理解しているし、自分の考えが歪んでいることはわかっています。

でも、何で自分が、という気持ちを断ち切ることができないでいるのです。どうすれば、前向きな日々を取り戻すことができるのでしょうか。

がん患者に共通する「なぜ、自分が」という不条理感

ひの おきお 1954年島根県生まれ。(財)癌研究会癌研究所病理部、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センター、米国フォクスチェースがんセンター、(財)癌研究会癌研究所実験病理部長を経て現職。2008年「がん哲学外来」を開設、全国に「がん哲学カフェ」を広める。著書に『見上げれば、必ずどこかに青空が』(ビジネス社)など多数

 がんになると程度の差はあれ、多くの人たちに共通する心理傾向が現われます。それは「なぜ、自分が」という、がん罹患を不条理に思う意識です。当然ながら、この意識が軽い人は病気と早く共存できるようになるし、逆の場合には、精神的な立ち直りに時間がかかります。S・Gさんの場合は、ずっと以前から、生活のさまざまな側面で、健康管理に気遣ってきただけに、がんになったことを不条理に思う気持ちが強く現われるのも、ごく自然な成り行きと言えるでしょう。

しかし、ここでS・Gさんには今一度、翻って考え直してみて欲しい。と、いうのは、私はこの人は大きな勘違いをしているのではないかと思うからです。

S・Gさんがタバコも止め、酒席も控え、さらに出世争いで後れをとるまでに健康に気遣っていたのは事実でしょう。そのことで、がんになる確率は他の人に比べて、多少は減少するかもしれません。しかし、それはあくまでも確率論にすぎません。がんにならないという確実な保証を得たわけではないのです。

現実を見ると、現代は日本人の2人に1人ががんを患っている時代です。誰ががんになるかは、それこそ神のみぞ知る。にもかかわらず、S・Gさんは健康管理を徹底することで、「自分はがんにならない」という保険を買ったように思い込んでいた。そして、心ひそかに「自分は他の人たちとは違う」と、1人決めしていたのです。そこに「心の落とし穴」があったように思われてなりません。

私が敬愛する幕末の偉人、勝海舟は「自分の力でどうにもならないことは、心の隅でそっと心配しておけばいい」と語っています。この言葉には、字面から想像するよりもずっと深い意味が込められています。それは、自分でコントロールできないことは、しっかりと覚悟を決めておけ、そうすれば、心の隅に留め置くだけで、不測の事態にも対応できると言っているのです。勝海舟はそのときにしっかりと覚悟する様を「そっと」と表現しているのです。残念ながらS・Gさんは、自分はがんにならないと決め込んでいたために、その覚悟が持つことができなかった。それがいまの心の迷いにつながっているのではないでしょうか。

いつ現われるかわからない人生の分岐点

では、どうすればS・Gさんは自らの状況を不条理に思う気持ちを断ち切ることができるのでしょうか。そこで私は1つの言葉を贈りたいと思います。それは「私たちは常に人生の分かれ道に立っている」ということです。

がん哲学外来などで、がん患者さんと面談するたびに、私は決まって、「そろそろ自分の本来の役割に気づかれる時期かもしれませんね」と話します。誰にとっても仕事や趣味は大切で、人生に欠かすことのできないものです。しかし実はそれとは別に、誰しもがその人だけに与えられた「本来の役割」を担っているのです。

もちろん、その役割とは人によってまちまちで、実際にそのことに出会うまでは、そうとは気づきません。ただ、私の経験から言うと、自分以外の誰かを支え続けていくということが多いものです。そして、そのことに気づくと、例外なくその人の生き方は一変します。自分の役割を理解し、その役割をまっとうすることで、その人の人生は、遣り甲斐(やりがい)と充実感に満ちたものに変わってくるのです。

私が言う「人生の分かれ道」とは、その役割に気づいて生き方を変える分岐点ということです。その分岐点は、いつどんな形で現れるかわかりません。そのことを考えると、「人は常に分かれ道に立っている」といっていい。そして、S・Gさんの場合は、がんになったことが人生の岐路につながっていると、私には思えてならないのです。

では、どうすれば新たな生き方を見つけることができるのか。そのきっかけになるのが「人との出会い」です。キーマンとなる人物はどこにいるかしれません。ひょっとすると、家族やS・Gさんが今、勤めている会社内など、身近なところにいるのかもしれません。そんな大切な人と出会うためには、何より、自分自身を変える必要があるでしょう。

質問からは「仕事なんかいつでも辞めてやる」と、ふてくされた表情のS・Gさんが思い浮かびます。それでは新たな出会いも期待できないでしょう。

最初はちょっときついかもしれません。でも、無理にでも笑顔を作って、人の輪の中に飛び込んでみてはどうでしょう。そこから思いがけない人との出会いが生まれ、人生そのものが好循環に向かっていくでしょう。そしてその中から自らの役割をも理解するようになる。今こそが人生の大きな分かれ道であることを自らにいい聞かせ、新たな人生を切り拓いていただきたいと願います。

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