外来化学療法のシステムを確立

〝街角がん診療〟のフロントランナー がん治療のコンビニ化を目指す

取材・文●伊波達也
発行:2014年10月
更新:2015年8月

  

渡辺 亨 
医療法人圭友会 浜松オンコロジーセンター院長

浜松オンコロジーセンター院長の渡辺 亨さん

年間約6万8千人が罹患し、約1万人が亡くなる乳がん。しかし、乳がん治療の進歩は目覚ましく、特に薬物療法は個別化治療により近づいている。そんな臨床の現場で尽力してきたのが、浜松オンコロジーセンター院長の渡辺亨さんだ。現在は浜松市に拠点を置き、地域がん医療の新しい形態を模索している。

わたなべ とおる 1955年、静岡県浜松市生まれ。1980年、北海道大学医学部卒業。呼吸器内科入局。研修後、82年、国立がんセンター病院(現国立がん研究センター中央病院)腫瘍内科レジデント。その後、米国ヴァンダービルド大学病院への留学を経て、国立がんセンター中央病院内科医長、国際医療福祉大学臨床医学研究センター教授、山王メディカルプラザオンコロジーセンター長を務め、05年に同センターを開設

〝がん治療のコンビニ〟を体現

「がんは特別な病気じゃない、とよく言われますよね。2人に1人が罹り、3人に1人が死亡する病気であると。でも特別な病気じゃないと言いながら、診療態勢など、その対応については、極めて特別です。誰でもなりうる病気であるなら、もっと一般的な対応ができる態勢をとってしかるべきです。

つまり、自分が生活している町で、安心して最良の治療を受けられるようにするべきなのです。それで、私は 〝街角がん診療〟を標榜して、地域でのがん診療に当たっているのです。言ってみれば〝がん治療のコンビニ〟です」

そう話すのは、浜松オンコロジーセンター院長の渡辺亨さんだ。JR浜松駅から徒歩で約10分のところにある同センターは、外観からは、普通の街の診療所という印象だ。腫瘍内科医と薬剤師2人、看護師4人、放射線技師1人に事務スタッフを含め10数名の陣容と、必要最小限の設備により運営されているが、渡辺さんが説明する通り、同センターでは、そんな規模の診療所で、日本でも最先端の乳がんの薬物療法(化学療法、ホルモン療法、分子標的治療)を受けることができる。

「乳がんの手術は約1週間の入院で済みますが、術前、術後の薬物療法、再発後のケアなど、病気との長い付き合いが必要です。ですから、治療は日常生活や社会生活を犠牲にしないで、通院しながら手軽に受けられることが大切なのです」

手術や放射線治療は、浜松医療センター、聖隷浜松病院、浜松医大病院などで実施してもらい、浜松医療センター、浜松医大の医師が、非常勤で同センターの乳腺外科診療や検診業務にも当たっている。

そして、渡辺さんは、術前・術後での薬物療法や再発転移後の薬物療法とそのフォローアップや、緩和医療を担当している。また、全国から訪れるセカンドオピニオンにも応じる。乳がん以外にも卵巣がんなど、薬物療法が重要な役割をもつがんの治療にも対応し、生活習慣病をはじめとする一般内科診療も行う。正に新しいがんの高機能診療所としての形を体現している。

〝街角がん診療〟のメッカ、浜松オンコロジーセンター

我が国の乳がん化学療法を先導

渡辺さんは、30年間以上、日本のがん治療の最前線である、国立がんセンター中央病院(現国立がん研究センター中央病院)などで、がんの薬物療法に従事してきた。中でも、乳がんの薬物療法を牽引する存在として、診療、研究、教育に携わっている。

そんな臨床の現場で、日々、診療に当たりながら、ある時から地域医療の大切さを痛感するようになる。

「当時から、国立がんセンターには、全国津々浦々から、時間とお金をかけて、泊まりがけで薬物療法に訪れる患者さんが大勢いました。がん治療の中心的医療施設であるんだという自負はありつつも、よく考えると、それはおかしいのではないかと思ったんです。自分の生まれ育った町で生活や仕事を続けながら、終末期まで、切れ目なしで治療を受けられ、安心して最期を迎ええられるというのが、本来のがん治療なのではないかと考えたわけです」

師匠の一言で、地域がん医療への志固まる

国立がんセンターでは、80年代から、外来での化学療法を開始していた。渡辺さんも外来での抗がん薬治療の意義を強く主張していた。

「治療を始めた当初は、批判を浴びました。入院しないで抗がん薬治療をするなんて、がんセンターだからできるのだと言われていたのです。しかし、その後、外来化学療法は、当たり前にできるようになりました」

渡辺さんは、外来での化学療法ができるのであれば、がん専門の施設や大学病院、大型病院だけではなく、日本中で各地域の地元の診療所レベルで治療を受けられるようにすることが患者のためになる。そんなことを考えて続けて、地域でのがん医療への思いは、日増しに強くなっていたある日、渡辺さんの師匠である、阿部薫医師(元国立がんセンター総長)の一言に背中を押された。

「〝お前の考えているのは、要するにがん治療のコンビニだろ。それは面白い〟と言われたんです。それでハッと閃いて、志が固まっていきました」

渡辺さんは、国立がんセンターを退職した後、東京の山王メディカルプラザで、オンコロジーセンターを立ち上げた。そこで外来化学療法のシステムを確立したときに、手応えを感じたと振り返る。

そして、2005年5月、郷里の浜松市へ戻り、実家の診療所に「浜松オンコロジーセンター」を開設した。

3代にわたり地域医療へ尽力

渡辺さんは、医家の3代目だ。祖父、父もともに浜松の地で地域医療に尽力した人物だ。

「祖父は、診療所をやりながら、仲間とともに結核療養所(サナトリウム)を立ち上げました。現在の聖隷三方原病院の前身です。父は医学研究を志し、大学に残ろうと考えていたようですが、祖父が病に倒れ、実家を継ぐために、やむなく浜松へ戻ってきたんです。父も診療所をやりつつ、地元の医師会の人々とともに、現在の浜松医療センターの前身である浜松市医師会中央病院を設立して、地域医療に携わりました」

そんな渡辺さんも地域医療という同じ道を歩むことになったのは、やはり血筋なのかもしれない。

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