腫瘍内科医のひとりごと 70 「体に聞くということ」

佐々木常雄 がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長
発行:2016年10月
更新:2016年9月

  

ささき つねお 1945年山形県出身。青森県立中央病院、国立がんセンターを経て75年都立駒込病院化学療法科。現在、がん・感染症センター都立駒込病院名誉院長。著書に『がんを生きる』(講談社現代新書)など多数

ここ数年、「治療法はもうありません」「あと3カ月の命です」と告げられたたくさんの患者さんが相談に来られました。

とてもつらい気持ちでおられる患者さんは、奈落からどうやって這い上がれるのか。私は「宗教」ではなくて、患者さん自身が死の恐怖をのり越えられる、平穏な心になれる「術」をどうしても知りたいと思いました。

以前、この奈落から這い上がった国文学者の患者Kさんから、「誰しも心の奥には安寧になれる心を持っています。予想もつかない『何かのきっかけ』で、その奥の心が出てきて安寧になれるのです」と、そして「死を宣告され、つらい日々を過ごした後、あるときベッドの中で、ふと幼少時に親しかった友人を思い出した。これは単に思い出すのではなく、あのとき過したことが、濃縮したプロセスが頭の中を通ったとき、安寧な心を、そして生きる確信を得た」と教わりました。

どうしてこれで安心できたのか。そして、その『何かのきっかけ』にどうしたら会えるのか、なかなかわからないでいました。それでも、きっと誰しも心の奥に安寧になれる要素を持っている、ということは本当であろうと思っていました。

人生を「再体験する」なかで得られた

あるとき、悪性リンパ腫の青年が、私が探している「死の恐怖をのり越えられる術」の条件に合うような体験をしたと手紙をくれました。

彼が書いた本の一部を抜粋して紹介します。

「病気になって死が身近に感じたことは、理屈抜きで『死にたくない』ということと、自分の死はニュースで伝えられる多くの死よりも特別なものだということです」

「死の問題を考え続けていると、1つだけ分かったことがありました。それは死の問題は頭で考えても決着がつかないということです。

……しかし、答えがでるかどうかに僕の命がかかっていましたので、とにかく考えることだけはやめないでいると、『考える型』のようなものが自然に身についてきました。それは『体に聞く』という方法です。

……具体的に動くという意味で……自分の人生を振り返るようにして過ごした場所を順々に巡って人生を再体験することを思いついた」

「……マンション近くの小川まで来ると……足もとの落ち葉をひろって指でもてあそびながら、川を眺め続けました。……どれくらいそこで過ごしていたか分かりませんが、気づくと足もとに枯葉がたくさん落ちていました。大量の落ち葉を見て、ふっとこう思いました。『死は特別なことではなく自然なことだ。そして僕も自然の一部である。だから僕が死ぬのは自然なことだ』

……この旅行に満足し……、もう少しで解決できる所まで問題を追い詰めたと思っていたのに、死を考えることが僕の中では必要のないことになった感じがして考えようとしませんでした」

彼はその後、骨髄移植を受ける決断をしたのでした。

私は、この青年の体験から、死の問題を「頭で考える」ではなく、「体に聞く」ということが、心の奥の安寧になれる要素を引き出す糸口になるのかもしれないと思いました。

『体に聞く骨髄移植』簱谷一紀著 文芸社 2009

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