「同じ舌がんの人の役に立てれば」と綴った絵日記から生まれるエネルギー ささえてくれる人への感謝を絵に描きとめておきたい
(シルクスクリーン印刷会社勤務/兼業作家)
よしみ たけし
1956年生まれ。京都精華短期大学(現・京都精華大学)美術科デザインコース卒業後、大阪のデザインスタジオに弟子入り。のちにシルクスクリーン刷り師として、活動の場を広げる。シルクスクリーン専門の印刷会社に勤務していた2009年9月、舌がんが見つかり手術、放射線治療を受ける
「舌にデンボができましてん」。吉見健さんが描いた舌がんの治療絵日記だ。
検査、手術、放射線治療。食べ物がうまく飲み込めず、味も分からない。
気力体力ともに限界だったそのとき、「治療は1人でやっているのではない。支えてくれる人がいる」と気付いた。
その感謝の気持ちとともに、治療絵日記を描いた。
同病の患者さんに役立つことを願いながら。
凄絶なのにユーモラスな「舌がん治療絵日記」
『舌にデンボができましてん』。これは舌がんの闘病をあますことなく伝える「治療絵日記」のタイトルだ。作者は大阪府在住の吉見健さん。シルクスクリーン版画・水彩画のクリエイターである。
ページをめくると、舌の異変から舌がんの診断、手術、放射線治療と厳しい合併症や機能障害が次々と目に飛び込んでくる。それは凄絶という表現がぴったりなのだが、独特のタッチと大阪人らしいユーモラスな語り口で、悲壮感がない。
「とはいっても、初めのころはあまりに描けなくて情けなかったんです。ただ、上手く描きたい、わかりやすく描きたい一心でした。もしかしたら、病気を治すことよりも一所懸命だったかもしれません。変な患者ですね。器具の絵を描かねばあかんから、治療の説明を聞くより、器具の形を覚えるのに必死なのです。目を閉じて治療時間をやり過ごすのではなく、見開いて観察しました。おかげで受け身ではない、ちょっと変わったかたちの『積極さ』を持って治療に臨めました」
入院初日、持参したスケッチブックに食事の絵を描いたことから、4年間にわたる舌がん闘病生活の記録が生まれた。
「こんな経験は、滅多にできないなと思って描きました。忘れてしまうのがもったいないと思ったのです。今でこそ、患者さんのブログなど、舌がん患者さんの状況を知る手がかりがあるのですが、僕のときには情報がほとんどありませんでした。この絵日記を舌がんの患者さんに見てもらって、少しでも参考にしていただければ嬉しいです」
と、吉見さんは話す。
舌がんの治療は過酷だ。その厳しさを吉見さんは、どう体験し乗り越えたのだろう。
舌がんというがんがあることも知らなかった
2009年春、舌にできた痛みのないできものを吉見さんは口こうないえん内炎だと思い、市販薬を塗って対処していた。しかし、どうも治りが悪い。近所の歯科医院を受診したのは9月。そこで歯科医から、大阪医科大学付属病院口腔外科を受診するよう勧められる。
【9月17日】
診療所で撮った写真をもってヨメさんと病院で合流。ふたりで主治医から説明を受ける。
『舌にできた悪性の腫瘍。つまり舌がんです。そして頸部のリンパ節に転移しています』
『悪性腫瘍』、『舌がん』、『転移』……。単語が、頭の上でクルクルまわっていた。
舌がんの3期と診断されたが、病期というのが吉見さんには理解できなかった。そもそも舌がんというがんがあることを、初めて知ったくらいだ。
「口内炎なら粘膜の部分にできるのに、舌にできるのはおかしいと、もっと早くから疑いをもっていれば……」
9月30日に入院、10月2日に手術をすることが決まり、入院直前の9月28日、吉見さんは奥さんとともに手術について話を再度聞いた。
「舌の半分と転移のあるリンパ節を切除します」「左顎下から首にかけて切開し、患部の場所によっては顎の骨を割ります」がんという病気よりも、手術自体が恐ろしく、その時点でもなお、自分が手術を受けることが信じられない気持ちだった。
「顎を割ると顔が変わるのではないだろうかとか、舌を半分取るとどうなるのだろうとか、わからないことばかりでしたが、調べても舌がんについての情報がなく、主治医に任せるしかありませんでした」
予定どおり手術は行われ、10時間にわたる大手術は成功した。
「鼻チューブを抜いた吉見さん」で有名に
術後は、痛くて不快で、血や膿やドロドロしたものとの闘いの連続だった。その手始めは、麻酔から覚めたら鼻から胃にかけて挿入されていた鼻チューブの痛みだった。
【10月9日】
あまりに、あまりにも『鼻チューブ』が、不快。微妙にベッドに角度をつけないと、先端が胃壁にあたり刺激され、眠れない。目が覚めてしまう。鼻チューブをズルリと抜いた。確信犯のように。そうさ、細いチューブに変えてもらうためさ。とんでもない事をやらかした、みたい。主治医、看護師みんなに激怒された。おまけに、外来でも『チューブを抜いたヨシミさん』で、メジャーになった。
だが、痛みは鼻チューブだけではなかった。傷口も、歯石とりも、大きく口を開けたままの診察も、すべてが痛かった。予期せぬ不快も、吉見さんに襲いかかった。
【10月16日】応急処置
朝、1階の売店へ新聞を買いに戻るとき、一瞬、体周りに異様なにおい。あごを思わずティッシュでぬぐうと……不気味な色と異臭。慌てて6階へ。詰め所で応急処置をしてもらう。
血まみれの首回り。食事とかで大量に出た唾液、お茶、水、食べ物等が一体になったものが舌の縫い目のほんの小さなほころびからたまっていき、首の縫い目との間を通路として押し出されて、出てきたらしい。(中略)K先生は言う。「うん、大丈夫、大丈夫。化膿してるんと違うし、感染もしてない。OK、OK」。って、かるー。めっちゃくさいんや! 昼食後、T先生がやってきて診察。(中略)T先生とK先生のふたりがかり。「ごめんなさいネ、もうちょっと開けててくださいね、ごめんなさいネ……」──。
吉見さんの日記では、不快な状況も淡々と軽快に描かれる。
「これは何?」食べてもわからない嚥下食
舌がんの手術ではしゃべったり、飲み込んだりする機能の障害が頻発する。舌を半分切除した吉見さんも、嚥下と言語の両方の障害を抱えることになった。
食事は、手術後の経鼻食から始まり、10日たつと鼻チューブはつけたまま医療用高カロリーゼリーに。口から食べられることはありがたいと感じたが、舌の使い方がわからず、飲み込めなくて舌の裏にたまることに困惑してしまう。
【10月13日】
完全嚥下食で、ほぼペースト状。5分粥、なんかわからんドロドロしたの、(中略)一口含んでみると卵豆腐みたい。いや、かぼちゃの味がする……何? これ?? こげ茶の2本の棒。わからん…何! 鶏の味? 6月半ばの学校のプール色のどろどろ。すくって口にもっていくのにかなり抵抗がある。何これ? においも何もない…何? 何これ??
食事がすっかり変わってしまう体験。そのことに困惑したのは、確かだ。だが、絵に描きたいと思うと、ネガティブな気持ちも発散されていく。吉見さんは、食べ物にとろみをつけて飲み込みやすくして食べることにした。新聞を買いに売店に行くのもつらいほど低下した体力を、どんな方法であろうと、とにかく食べることで回復させたかったからだ。
心身ともに限界に達した放射線治療
退院後の2009年11月から、総線量30グレイを30回分割で照射する放射線治療が始まった。自分で車を運転して毎日通院していた吉見さんは、ある日、運転の最中に左目の視界が少しずつ狭くなっていくのを感じ、口腔外科で目が見えなくなったと訴えた。急きょ眼科で診察を受けたところ、網膜剥離との診断。緊急入院、左目を手術することになった。またもや手術という試練である。このことを知って駆けつけてくれたのは、口腔外科外来の主任看護師さんだった。その姿を見ると思わず泣けてきた。気持ちが弱っていた。
そこへ放射線治療を再開し、15回目の照射が過ぎたころのこと。放射線が体に与える影響は予想をはるかに超えていた。だるくて、どうしようもなくしんどい。嚥下困難のうえに味覚障害が加わり、食べられなくなった。体重が激減、体力が落ち、とても放射線治療に耐えられる状況ではない。心身ともに最悪な状態だった。
明日の照射で終わりというそのとき、主治医に入院させてほしいと願い出た。
「放射線治療は負担が少ないと言われますけど、そんなことはないと思いました。具合が悪くなればなんでも放射線が悪いと思ってしまう。放射線科では否定されるけど、網膜剥離も放射線の影響だと思えてくるのです」
全身状態が悪化した吉見さんの入院生活は大晦日まで続いた。今度の入院では、食事が1番つらい時間になってしまった。味噌汁の具のキャベツは、口の中を傷つける凶器。酢豚はただ生臭いだけ。メロンは沁みるので、天敵となった。
【12月26日】
何も考えず、何も見ず、何も思わず、ただただ口に入れ、噛んで、流し込むべし!
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