TPP担当閣僚在任中、舌がんが見つかった甘利 明さん(67歳) 自分が成し遂げるべきことを強く意識するようになりました
1949年神奈川県厚木市出身。慶應義塾大学卒業後はソニーに勤務、74年に退社し、父・甘利正氏の秘書となる。83年に正氏が政界引退を表明し、第37回衆議院議員総選挙に出馬して初当選。98年、小渕内閣で労働大臣として初入閣し、その後は経済産業大臣、内閣府特命担当大臣(規制改革)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)などの要職を歴任。第2次安倍内閣がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)締結交渉への参加を決定したことを受け、TPP担当国務大臣に就任。13年11月に早期舌がんが発覚、手術を受け、術後2週間後で公務に復帰した
がんは、最悪のタイミングで見つかった。当時、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉が最大の山場を迎えていた2013年11月、担当大臣であった甘利明さんに舌がんが見つかった。TPP交渉はおろか、舌の切除範囲によっては政治生命を絶たなければならない。甘利さんは安倍総理に辞意を申し出た――。
前兆は舌のピリッとした痛み
舌がんの初期症状で多いのは、舌に白い斑点ができる、硬いしこりがあるといった症状だが、2013年11月に舌がんが見つかった甘利明さんの場合は、就寝前に舌に感じたピリッとした痛みだった。
それが初めて出たのは、がんが見つかるひと月半前の2013年10月のことだった。甘利さんはその痛みが初めて出たとき、口内炎によるものだろうと思ってぐっすり寝ることにした。口内炎は睡眠不足のときに出ることが多かったからだ。
これまでは、そうするだけで口内炎は治まっていた。しかし今回は違った。いったんは治まったように見えたが、2、3日すると、また舌にピリッとした痛みが出たのだ。
いつもと様子が違うので、甘利さんは鏡に顔を近づけて口の中をチェックした。
「綿棒をもって何カ所か押さえながら細かく見ていったんです。そしたら舌の右縁に小さな潰瘍のようなものが見つかったんです。ピリッとした痛みの正体はこれかと思いました」
翌日、公務の合間を縫って国会内の耳鼻咽喉科で診てもらったところ、医師から口内炎の塗り薬を処方された。しかし朝晩、それを10日ほど患部に塗り続けても、ピリッとした痛みは治まらない。それに加え、できていた小さな潰瘍も、少し深くなっているように見えた。
「薬を塗っていても治らない……口内炎以外の病気が疑われるのではないですか?」
再度耳鼻咽喉科を訪ねてそのことを伝えると、医師は舌の潰瘍ができている部分を入念に観察した上で、専門医に診てもらう必要があるとし、紹介状を書いて甘利さんに手渡した。
「私自身は、翌週紹介していただいた医師を訪ねるつもりだったんですが、家内にそのことを話したら、毎年人間ドックを受けている大学病院で、すぐに専門医に診てもらったほうがいいと強く言われたんです。家内は医者でして、私よりはるかに医学的な知識があるので、それに従うことにしました」
大学病院では、口腔外科を専門にする歯科医の診察を受けた。
その際、甘利さんは医師から、①難治性(なんちせい)の口内炎、②白板症(はくばんしょう)、③舌がんの3つの可能性が疑われるが、CT検査と生検の結果を見た上でないと結論は出せないと言われた。そこですぐさま、甘利さんは検査を受けることになった。
衝撃のセカンドオピニオン
後日、甘利さんは医師から、検査結果を聞くことになる。
「舌がんだと告知されました。ショックでしたね。舌がんは、あくまでも3つある可能性のうちの1つだと思っていましたから」
告知のあと、医師は甘利さんになるべく早く手術を受けることを勧めた。医師からは、早期なので舌の右縁を5~10mm幅で切除するだけで済むとの治療方針を伝えられた。
念のため、甘利さんは他の医師にもセカンドオピニオンとして意見を求めたいと申し出た。もしここで、最初の医師と同じ見解が出れば、甘利さんはすぐに手術を受ける腹を固めたかもしれない。しかし、セカンドオピニオンを求めた医師が出した所見は、それとは大きく異なるものだった。
甘利さんの舌は、組織を採取した影響からか、中央部に小さなしこりが出来ていたのだが、セカンドオピニオンの医師は、これをがんの転移の可能性があると指摘、舌を3分の1ほど切除する手術が必要との見解を示した。
「大学病院で舌がんを告知された時もショックでしたが、こちらのほうがもっとショックでした。3分の1も舌を切ってしまうと、まともに話せなくなりますから、政治家を辞めなくてはいけない。かなり衝撃的でした」
折しも、TPP交渉が山場を迎えており、非常に大事な局面を迎えていた時期だった。TPP交渉も途中で断念せざるを得ないのか……様々な考えが頭の中をよぎったという。
どうするべきか――。甘利さんは再度、サードオピニオンを求めることにした。応対した医師は、舌がんの治療で顕著な実績があるエキスパートだった。その医師を知るきっかけになったのは、ある口腔外科の権威から、甘利さんの事務所にかかってきた1本の電話だった。
「面識のない方だったんですが、ありがたいことに『甘利先生は国の宝だから、何としてでも元気に復帰していただきたい。余計なおせっかいかも知れないが、自分の後輩に舌がんでは日本一の呼び声のある専門医がいるので、ぜひ彼に執刀してもらいたい』という申し出があったのです。名前が出た先生は、確かに舌がんの治療ではよく知られた方でしたので、サードオピニオンをお願いすることにしました」
その医師の所見は明快で、舌の中央部にできたしこりのようなものはがんの転移ではなく、舌の3分の1を切除する必要はないというもので、治療法に関しても、最初に診てもらった大学病院の見解とほぼ同じであった。
甘利さんは最初に診察を受けた病院で治療を受けるか、サードオピニオンを受けた病院で治療を受けるか、しばし悩んだ。が、最終的には、最初に診断してもらった病院で手術を受けることに決めた。
しかし、すぐに入院したわけではない。その前に、やっておくべきことがあった。
安倍総理に辞意を申し出
入院前、甘利さんは官邸に赴き、安倍総理に舌がんが見つかり、入院せざるを得なくなったことを伝えた上で、「周りに多大なご迷惑をおかけすることになるので、閣僚は断念せざるを得ません」と辞意を伝えた。
それを聞いた安倍総理は強い口調で、「そんな必要は全くありません。ゆっくり休まれて、復帰なさればいいだけのことです」と慰留。さらに、「あなたにはがんを克服して立派に復帰していただきたい。そうすることで、がんで思い悩んでいる方たちに勇気を与えることにもなります」と付け加えた。
辞意を撤回した甘利さんは、入院中にシンガポールで開催されるTPP閣僚会合に代理として西村稔内閣府副大臣を派遣することに決めた上で、病院に入院した。
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