病気になっても、今まで通り、普段通りに――。 大腸がんの肝転移が見つかった、元プロ野球選手の大島康徳さん(66歳)

取材・文●吉田健城
撮影●「がんサポート」編集部
発行:2017年5月
更新:2019年7月

  

おおしま やすのり
1950年10月生まれ。大分県出身。中日ドラゴンズから日本ハムファイターズに移籍し、当時史上最年長の39歳11カ月で通算2,000本安打を達成。豪快にすくい上げるバッティングで本塁打を量産するスラッガーとして、中日・日ハム両球団の主軸として活躍。日ハム退団後、同球団監督を経て現在プロ野球解説者であり、名球会会員。昨年(2016年)10月に大腸がんが発覚。肝臓に転移しており、11月に手術、現在は抗がん薬治療中

昨年(2016年)10月、大腸がんの肝転移が見つかった、元プロ野球選手の大島康徳さん。手術を受け、現在は抗がん薬治療中だ。病気になったとしても、何も変わらない。今まで通り、普段通り――。だからこそ、病気についても公表した。「病気になったとしても、特別扱いせず、いつも通りに接して欲しいですね」。大島さんはそう笑って現在の心境を語った。

自覚症状は全くなし

中日ドラゴンズ・日本ハムファイターズ両球団の主軸として活躍した大島さん。日ハム退団後は、同球団監督も務めた

プロ野球解説でおなじみの大島康徳さんは、現役時代、本塁打王に輝いたこともある強打者だった。闘争心旺盛な熱血漢だったので怪我や生傷は絶えなかったが、体は頑健そのもので、ベテランになっても高い身体能力を維持し、44歳まで現役生活を続けた。現役引退後も病気とは無縁で、60代半ばまで入院するような病気は1度もしたことがなかった。

その大島さんが近所の総合病院でがんを告知されたのは、昨年10月のことである。大腸のS状結腸にできたがんは肝臓に転移しており、ステージ(病期)はⅣ期だった。

がんが見つかったきっかけは、大島さんが少し痩せたことに違和感を覚えた奥さんが、病院に行って詳しい検査を受けることを勧めたからだ。

しかし、すんなり事が運んだわけではない。人一倍健康に自信があり、自分の体のことは自分が1番よく知っていると確信している大島さんは、初め聞く耳を持たなかった。

「その少し前に受けた定期健診で血糖値がちょっと高かったので、妻には言わずに、自分で食べる量を制限していたんです。少し痩せたのは、そのせいだと考えていたので、行く必要はないと思っていました」

そう言っても奥さんは引き下がらず「そういう痩せ方とは違う気がする」と言って、しきりに病院で検査を受けるように言った。

大島さんは、もともと病院嫌いである上、昔気質(かたぎ)の硬骨感である。頑として拒み夫婦喧嘩になった。

しかし、そうなった時の対処法を奥さんは心得ている。「それならかかりつけの先生に、血液検査だけでもいいからしてもらって下さい」と妥協案を出すと、大島さんも折れて、渋々ではあるが行きつけの医師のところで血液検査を受けることになった。

血液検査の結果は思いもよらぬものだった。医師は、肝機能の数値が異常に上がっていることを大島さんに伝え、設備が整っている施設でエコーなど詳しい検査を受けるよう勧め、すぐさま近くの総合病院に予約を入れた。

そうは言われても、大島さん自身、自覚症状は全くない。病院へ行く気はさらさらなかった。しかし、ひょんなことから、奥さんがこの状況を知るところとなり、「一緒に病院へついていくから」と言われてしまい……、半ば強制的に、大島さんは病院へ行くことになったという。

その結果、医師から「精密検査をしてみないと断定はできないが」とした上で、恐らく大腸がんであり、肝臓にも転移している疑いが濃厚だと伝えられた。

突然のがん宣告だった。

手術を断固拒否

医師からは続けて、きちんと調べるためには大腸の内視鏡(大腸カメラ)検査をする必要があるが、場合によってはそのまま手術に流れ込む可能性もあるので、手術を受けるという覚悟で検査に臨むよう言われた。それと同時に、医療機関についても、もし希望の病院があれば、紹介状を書く旨、伝えられたという。

「自分がまさか病気になるとは思わなかったけれど、先生から『がんだろう』と言われても、とくに不安もなく『なんだよ。がんかよ』という感じで受け止めていました。そのときに、このまま何もしなければ、状況としては厳しくなるだろうといったことも言われましたが、覚悟はありました。現役時代、色んな修羅場をくぐってきたし、自分の生き方として、行き当たりばったり、なるようにしかならないという考えがあったので、とくにショックもなかったです」

手術についても、大島さんは当初、受けるつもりはなかった。

「先生にも、『手術はしません』とハッキリと言いました。何が起きても、なるようにしかならない。ジタバタしても始まらないと考えるほうなので」

治療をしないと伝えた大島さんに医師は「それもあなたの生き方ですから、自由です。ただ、今だったら大島さんは体力があるので、治療も頑張れる。だから、治療を受ける道を選んだほうがいいのではないですか?」と伝えた。

医師からそうは言われたものの、大島さんの心は動かなかった。

泣いている息子の姿

断固手術を拒否する大島さん――。ただその一方で、奥さんは、何とか治療を受けさせたいと、どこか良い病院がないかを探していた。色々と思案した結果、近所に住む都内の大学病院に勤務する夫婦に相談してみることにした。すると、その夫婦のご厚意で、すぐに大学病院で診察が受けられるよう、手はずを整えてくれたという。

実は奥さんが奔走している間、大島さんは仕事で地方に出かけており、1泊2日で家を留守にしていた。翌日帰宅してからそのことを聞かされた大島さんだったが「俺は、行かないよ!」と突っぱねたという。大島さんは1度決めたら簡単には変えない一徹者である。しかし、息子さんの様子が、その態度を翻意させたという。

「息子たちに泣かれてしまったんですよ。次男なんか泣きながら家に帰ってきて……。やっぱり、こいつら泣かしちゃまずいよな、と。手術は断固拒否するつもりだったんだけれど、泣いている姿を見たら、病院へ行かないとしょうがないかなと思い直しました」

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