失敗してもいいから、後悔せずに生きていく 悪性リンパ腫と闘って、見事復帰を果たした人気ロックバンドSOPHIAの都啓一さん
1971年10月6日生まれ。兵庫県伊丹市出身。人気ロックバンドSOPHIAのキーボード奏者として1994年より活動を開始。1995年にメジャーデビュー。以降、バンド活動の傍ら、他のミュージシャンへの楽曲提供やプロデュース業も行う
人気ロックバンドSOPHIAのキーボード奏者・都啓一さんは昨年、悪性リンパ腫に罹り、ファンにそれを公表、病気と闘うことを誓って闘病生活に入った。それから1年、彼は音楽活動に見事復帰、この夏、再び武道館のステージに立とうとしている。
ツアー前の健診で悪性リンパ腫と判明
SOPHIAの全国ツアーは長丁場になるため、都さんはツアーに出る前、必ず懇意にしている内科医の健診を受け、万全の体調で臨むようにしている。それまでは何事もなかったが、昨年2月初旬に健診を受けた際、いつもと様子が違った。
医師に股の付け根のところに親指大の腫れができていることを話すと、医師は「すぐに検査をしましょう」と言ってエコーによる診察を行い、さらに翌日MRIまでやっている。
それから数日後、都さんはリハーサルが終わってスタジオを出たとき、携帯電話に医師から「すぐに来院して欲しい」というメッセージが残されているのを見て、即座に車を走らせた。
「病院にいくとMRIの所見が書かれたものを見せられたんです。そこには悪性リンパ腫の疑いがあると書かれていました。ショックはなかったです。どこにも痛みはないし、悪性リンパ腫は白血病に似た血液のがんという程度の認識しかなかったですから。すごく冷静で、すぐにお医者さんに、疑いというのはどの程度の疑いなのか? もし悪性リンパ腫であった場合、治るのか? ちゃんとツアーをまわることができるのか? そういったことを尋ねました」
悪性リンパ腫についてどう説明すればいいか
それに対し医師は、悪性リンパ腫である可能性が高いこと、ツアーを回れるかどうかは、悪性リンパ腫のどういうタイプなのか、生検をしてそれを特定しないことにはなんともいえないこと、例え悪性度の高いタイプであったとしても、薬の進歩等で根治するケースが多くなっていることなどを説明した。
ひと通り話を聞いたあと、都さんはその医師に、一緒に家についてきてもらうことにした。簡単に説明できる病気ではないので奥さんにうまく伝わるか自信がなかったからだ。都さんの奥さんは、歌手の久宝留理子さん。おしどり夫婦で2人の間には8歳と5歳になる子供がいる。
「悪性リンパ腫というのは、がんでも胃がんや肺がんみたいにがんという名前が付いていないじゃないですか。いろんな種類があって、進行の早さや治療法も千差万別というお話でした。ですから僕の言い方が下手だったら『悪性リンパ腫って診断されたんだけど、治るらしいよ』『そうなんだ』で終わっちゃう恐れがあるし、深刻に言い過ぎると『ツアーどころじゃないわよ』って言われかねない。だからここはお医者さんに話してもらったほうがいいと思ったんです」
その後、紹介された総合病院でCT、骨髄穿刺、リンパ節生検等による詳しい検査を受けた結果、ろ胞性リンパ腫であることがわかった。
病名告知も前向きに捉えられた
ろ胞性リンパ腫は、わが国において、悪性リンパ腫の10~15パーセントを占める。特徴は進行速度の遅さと、化学療法で1度治癒したように見えても、再発のリスクが高いことだ。
ろ胞性リンパ腫は症状がほとんどないため、リンパ節の腫脹がかなり大きくなってから見つかることが多いが、都さんも大きなリンパ節の腫脹が腹部の中央にあったほか、鎖骨下などにも腫脹ができていた。それに加え、骨髄にもがん化した細胞の浸潤が見られた。
告知されたとき、都さんはそれをどう受け止めたのだろう?
「ラッキーという気持ちが強かったです。進行が遅いのですぐに入院する必要はなく、すでに始まっていたツアーに最後まで出ることができるからです。それに高い確率で再発するといっても、すぐに再発するわけではないので、長期的に見れば新しい薬や治療法がどんどん開発されており、その恩恵にあずかるまでの時間稼ぎができると思ったのです」
このように都さんは病気を前向きに受け止めることができた。
セカンドオピニオンを受けたものの……
奥さんの久宝さんともども、悪性リンパ腫のことを少しでも理解しようという気持ちが強くなっていた都さんは、前述の懇意にしている内科医に勧められて、医師交流の一環でアメリカから来日していた日本人のがん専門医にもセカンドオピニオンを受けた。しかし、このときは予期せぬカルチャーショックを受けている。
「厳しいことをズバズバ言われてショックでした。ろ胞性リンパ腫は1度なると寛解になっても平均2年半で再発するとか、再発を繰り返すうちに効く治療法がなくなり、平均生存期間は10年だとか。ゼヴァリン(*)という新しい抗がん剤があるけど、1回の治療に500万円かかるから、あなたは経済的に無理でしょうとか。さすがにこれをいわれたときはカチンときました(笑)。『じゃあ500万出してゼヴァリンをやれば治るんですか?』って聞いたら『ろ胞性は治癒しません』とおっしゃるので『じゃあ、やりません!』と、感情的なやり取りになってしまいました。向こうでは厳しいことを言っておかないと、訴訟問題になるリスクがあるのでそんな言い方をするようなんですが、もう少し患者の気持ちも考えてくれよと思いました。ぼくは怒りのほうが強かったけど、家内はかなりショックを受けていました」
*ゼヴァリン= 一般名イブリツモマブチウキセタン
ツアー中にファンに公表
悪性リンパ腫の疑いがあるといわれた時点で、リーダーでヴォーカルの松岡充さんらSOPHIAのメンバーには、病気のことは伝え、自分が欠けてもツアーができるように、キーボードのパートを録音したテープは用意してあった。しかしステージに出ることにこだわりを持つ都さんは、1度も穴を開けることなく各地を回った。
生検のために入院した3日後に埼玉の戸田で公演があったが、鼠頸部を切開していたにもかかわらず、都さんは松葉杖を付いてステージに登場。いつもは立って弾くキーボードを椅子に座って演奏した。
彼が頭を悩ませたのは、ファンにどのように病気のことを知らせるかということだった。
「座って演奏しているのでファンは絶対におかしいと思っているはずです。だからツアー中に公表しました。ちゃんと言って闘病生活に入り、終わったらきちんと報告して戻ってくればいいと思ったんです」
都さんはその言葉通りステージ上から悪性リンパ腫の治療に入ることを伝え、メディアに対しても久宝留理子さんと連名でその旨を知らせるFAXを送った。そして4月10日に行われた中野サンプラザでの追加公演を最後に、活動を休止して闘病生活に入った。
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