闘病記

がん治療も自分で選ぶ時代に~菅原文太の膀胱がん治療体験に学ぶ~ 菅原文太(映画俳優) × 中川恵一(東京大学医学部放射線教室准教授)

2012年12月

日本を代表する映画俳優の菅原文太さんが膀胱がんを発症し膀胱全摘を覚悟した。しかし、人工膀胱の袋を見た文太さんは……。幸運な出会いの末、膀胱温存療法に辿り着く。そんな文太さんの貴重な体験を踏まえ日本のがん医療が抱えている問題点について東大准教授の中川恵一さんと縦横に語り合ってもらった。 すがわら ぶんた1933年宮城県仙台市生まれ。早稲田大学第2法学部中退。1958年新東宝からデビュー。1...

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食事でがん克服それは料理人の意地を賭けたミッションだった|米山 昭さん(料理人)

2012年12月

よねやま あきら1970年都内の調理師学校卒業、千代田区のホテルにオードブル修行志願で3カ月間勤務。その後、アルバイトをしていた地元の天ぷら店の親方の元に戻り一緒に伊東の和食店へ。1971年夏に小田原駅近くのビル地下で8席の店を親方の協力を得て創業。1983年近くの一軒家に移り会席料理店として今日に至る古典料理の復元に取り組んできた郷土料理店『米橋』を営む米山昭さん(62歳)。6年前、56歳のとき...

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「翼をもがれた社長」は、こうして翼を取り戻した|岩瀬俊男さん(会社経営者)

2012年11月

いわせ としお 1947年神奈川県生まれ。1970年日本大学理工学部交通工学科卒業後、岳南建設株式会社に入社。2001年代表取締役社長に就任(~現在)。社長就任半年後の54歳のとき喉頭がんを発症。7年後に再発し、喉頭を全摘する。シャント法により声を取り戻し社長業に復帰する送電線工事業業界では国内屈指の会社を率いる岩瀬俊男さん。いったんは治ったかに見えた喉頭がんが7年後に再発。そのため喉頭全摘の憂き...

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がんになったことで、下巻の人生が始まりました 子宮頸がんを経験し、現在は薬物依存者の社会復帰に取り組む歌手・千葉マリアさん

2012年11月

ちば まりあ1949年、千葉県出身。1971年「薔薇の涙」で歌手デビュー。歌唱力には定評があり「恋は波まかせ」ではバリ島キャンペーンを大々的に行い、大いに注目を集める。その後、数々のTV番組に出演、TBSドラマ渥美清氏主演の「ヨイショ」ではレギュラー出演し、そのユニークな役どころでファン層も広がった。1995年、子宮頸がんを経験。現在は、薬物依存症で悩める人へ、チャリティー、ボランティア、家族会な...

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飽くなき好奇心を持ち続けたニュートリノ研究の第一人者 ノーベル賞最右翼だった物理学者の最後の研究は自らの闘病生活となった──。戸塚洋二さん(物理学者)享年66

2012年11月

ニュートリノの研究者として、最もノーベル賞に近い科学者の1人だった戸塚洋二さん。がんを患いながらも自身を観察し、最期のときまで、科学者である姿勢を崩さなかった。ノーベル賞に最も近かった物理学者宇宙の起源はどんなものなのか――。物質はどのように成り立っているのか――。科学好きでなくても、多くの人が抱く素朴な疑問だ。と、同時にこれらは人類にとって、もっとも本質的かつ根源的な謎でもある。その謎を解く手が...

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元気になった姿を見ていただき、患者さんの気持ちの支えになりたい 歌舞伎役者・市川團十郎 × 鎌田 實

2012年11月

歌舞伎界の大御所が全国骨髄バンク推進連絡協議会会長に就任した理由 歌舞伎の市川一門の宗家であり、歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている市川團十郎さんは、8年前に急性前骨髄球性白血病を発症し、その後、自家末梢血幹細胞移植、ミニ移植といった治療を体験して、現在、第一線で活躍しているが、昨年からは全国骨髄バンク推進連絡協議会会長として、全国を駆け回っている。 「この病気は本...

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がんを経験したことで、何が最優先か考えるようになった 30代で大腸がんを経験したフリーアナウンサー・原元美紀さん

2012年10月

はらもと みき東京都出身。フリーアナウンサー。1992年、アナウンサーとして中部日本放送に入社。96年、フリーに転身。日本テレビ「ニュース朝いち430」初代キャスターや数々の番組を経て、現在はテレビ朝日「モーニングバード!」に出演中。08年4月、自らの大腸がんを機に、山田邦子氏、鳥越俊太郎氏らとともに、がん撲滅チャリティ合唱団「スター混声合唱団」を立ち上げる。 08年より、ブレイブサークル大腸がん...

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没後30数年経ても今なお色あせぬ世界観 戦争を憎み、子どもたちに慈愛を注ぎながら旅立った――。いわさきちひろさん(絵本画家)享年55

2012年10月

いわさきちひろさん(絵本画家)享年55没後30数年を過ぎた現在でも多くの人を惹きつけるいわさきちひろさんの作品。彼女はどう生き、何を遺したのだろうか。静かな「ちひろブーム」が2012年7月──。東京練馬区の住宅街の一角にあるその美術館は、夏休みということもあり、子ども連れの親子でたいへんな賑わいを見せていた。館内にはあどけない子どもたちを描いた作品群が展示されている。誰もが...

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いつかやろうと思っていることは、どんどんやることにしました 乳がん治療中に感じた情報収集の難しさ。編集者として患者さんのための実用書を制作 編集者・下中美都さん

2012年10月

しもなか みと1956年2月4日東京生まれ。慶應義塾大学文学部(フランス文学)卒業後、文化出版局に入社し、雑誌『ミセス』や『ハイファッション』の編集を経験。1995年平凡社に入社し、2003年取締役編集局長に就任。2011年より取締役営業担当。 編集者として料理本や雑誌、歳時記の編集に携わってきた下中美都さん。乳がんを経験してからは、夢だった幸田文選集を制作。また自身のがん体験を活かして、患者さ...

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20代でのがん体験を活かして、講演など新たなことにチャレンジ 子宮頸がんをきっかけに母との絆を取り戻せた

2012年9月

阿南 里恵さん(日本対がん協会・広報担当) あなみ りえ 1981年東大阪市生まれ。2002年に自動車整備士の専門学校を卒業後、大手自動車メーカーに入社。04年ベンチャー系の不動産販売会社に転職し、その1カ月後に子宮頸がんの告知を受けた。術前化学療法を経て、05年1月に子宮全摘手術、続いて放射線治療を実施。保育園運営会社勤務を経て、08年10月にイベント会社グローバルメッセージを立ち上げた。そのか...

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