闘病記

医療に必要なのは方程式ではなく、患者と医師のコミュニケーションだ ジャーナリスト・田原総一朗 × 鎌田 實

2011年11月

乳がんで妻ふたりを亡くした気鋭のジャーナリストが今、思うこと 最愛の妻・節子さんを炎症性乳がんで亡くして7年──、田原総一朗さんは、深い喪失感を癒やしきれない中で、鋭い評論活動を続けている。節子さんを看病しながら、医療の本質は患者と医師とのコミュニケーションにあると気づいた田原さんに、「がんばらない」「あきらめない」の医師、鎌田實さんが、がん医療のあり方から原発問題まで、問...

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快楽を追求したSM界の寵児は、生を遊び、最期のときさえも遊んだ 借金にがん、どんな風に吹かれてもしなやかに、一期の夢を生きた──。団鬼六さん(作家)享年79

2011年11月

団鬼六さん (作家) 享年79 人は、その生の時間をどこまで楽しむことができるのか。がんすらも自らの人生ゲームに入れて最期まで遊び倒した、SM作家の大御所、団鬼六さんの人生の楽しみ方とは──。写真/Yasuko Fujisawa その作家の遺作となったエッセイ『愛人犬アリス』の巻末には、1枚の写真がある。 家族はもちろん作家仲間、編集者、映画関係者、趣味の将棋界関係者、なじみのバーのママ、世話に...

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わが健康哲学は「備えあれば嬉しい」 大腸がんを克服したエレキの神様・寺内タケシさん

2011年10月

てらうち たけしミュージシャン。1939年、茨城県生まれ。関東学院大学在学中よりプロ活動を開始し、63年にブルージーンズを結成。ヒット曲に『運命』『津軽じょんがら節』など多数あり、そのギターテクニックから『エレキの神様』の異名をとる。 エレキギタリストの草分け、寺内タケシさんは、現在、市民へのがん知識の普及・啓発などを行っているNPO法人「群馬がんアカデミー」の理事として、患者の視点からさまざま...

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乳房の異変を誰にも相談できなかった3年間の苦悩を語る乳がんサバイバー 弱者になった自分を認めた今、怖いものは何もない

2011年10月

佐々木サチ子さん (ふれあいサロン主宰) ささき さちこ 1940年生まれ。生保会社で育成所長を務めた後、民生委員の仕事やボランティア活動に邁進。2009年、乳がん4期と診断され、右乳房を全摘。骨転移も見つかり、「余命3カ月」と宣告される。現在も化学療法を継続しながらも、ボランティア活動などを再開し、人生を楽しんでいる ある時は生保会社の育成所長、ある時はギャンブラーとして華やかな世界で活躍してき...

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日本プロ野球を深く愛し、そして球界から強く愛された「親分」のあっぱれ野球人生 人生を懸けてボールを追い、最期の瞬間までボールを見つめ続けた──。大沢啓二さん(元プロ野球監督・野球解説者)享年78

2011年10月

大沢啓二さん (元プロ野球監督・野球解説者) 享年78 球界の親分として、ときに厳しく、そして誰よりも優しいまなざしで、日本プロ野球界を見つめていた大沢啓二さん。大沢さんが、プロ野球界に遺したものとは──。写真提供/産經新聞社 大人気番組「サンデーモーニング」の出演に最後までこだわった大沢さん。それは大沢さんの、日本プロ野球に対する恩返しだった 写真提供/産経新聞社 1カ月足らず...

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家族がいたから、病気という高い壁を乗り越えることができました 術後9年──胃がんを克服した元チェッカーズの髙杢禎彦さん

2011年9月

たかもく よしひこ1962年9月9日、福岡県久留米市生まれ。柳川高校卒業。高校在学中の80年、チェッカーズを結成。83年、「ギザギザハートの子守唄」でメジャーデビュー。92年、NHK紅白歌合戦を最後に解散。現在は歌手・俳優として活躍している。 元チェッカーズの高杢禎彦さんは「がんになったおかげで、それまで見えなかったことが、見えるようになりました」と語る。それまで当たり前だと思っていた家族の存在...

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免疫療法にも挑戦。2つの人工肛門を持つ小腸がんサバイバーの壮絶な闘病記 オストメイトでも、自分をさらけ出して生きていきたい

2011年9月

佐藤千津子さん (アロマテラピーサロン経営) さとう ちづこ 1971年生まれ。服飾雑貨店の経営者として順風満帆だった2007年、希少がんの1つ、小腸がんと宣告される。3度手術し、2つの人工肛門を持つオストメイト。抗がん剤治療や免疫療法を行いながら、アロマテラピーのサロンを立ち上げる。現在も抗がん剤治療中。2 児の母でもある 告知された病名は、数10 万人に1 人しかかからない「小腸がん」。 手術...

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撮影所に生きた、映画人の最期のワンシーン 命を懸けた最後のテイクは、次世代に伝える映画の魂だった――。深作欣二さん(映画監督)享年72

2011年9月

深作欣二さん (映画監督) 享年72 力尽きるそのときまで、メガホンを持ち続けた映画界の巨匠・深作欣二さん。全身に広がったがんの激しい痛みに耐えてまで、彼が撮りたかったものは何なのか。そして、彼の最後の願いとは――。 その日、監督はかつてを彷彿させる精彩に満ちていた。 02年12月某日、東映東京撮影所──。興行収入31億円を記録する大ヒットとなった前作、「バトル・ロワイア...

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慢性骨髄性白血病でグリベックの副作用に悩まされながらも作品を撮り続けている写真家・山岸伸さん 写真を撮っていると病気が治る気がするんです

2011年8月

山岸 伸 やまぎし しん 1950年、千葉県出身。ポートレート撮影を中心に広告から雑誌グラビアまで幅広く活躍しており、撮影した写真集は400冊を超える。最近では、創作人形の美しさや伝統家屋の様式美に魅せられ、時間の許す限り、それらの撮影にもエネルギーを傾けている 08 年冬に慢性骨髄性白血病に罹っていることがわかった写真家・山岸伸さん。毎日4錠のグリベックを飲み、病状自体安定はしているものの、...

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ジャイアンツの申し子と呼ばれた男の生き様 人生の9回裏、彼の手は仲間にしっかりと握られた――。土井正三さん(元読売ジャイアンツ選手)享年67

2011年8月

土井正三さん (元読売ジャイアンツ選手) 享年67 読売ジャイアンツの黄金時代を飾った選手の1人、土井正三さん。進行した膵がんと闘いながら、彼が最期に手にしたものは何だったのか――。 「2番 セカンド土井」──。 このアナウンスに球場のスタンドを埋めたジャイアンツファンは拍手と声援を送り続けた。 ──2007年6月8日。巨人軍通算5,000勝記念...

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