闘病記

絶望しながらも「何とかして生きていたい」と願う。そんな葛藤が続いています 詩人・福島登さん

2004年8月

癌抱の男 福島登さん 詩人 その日、春風の中、私は京都・四条大宮の駅前でジャーナリスト・柴野徹夫さんの車に拾ってもらった。黒っぽいセダンに乗り込みながら、初対面の挨拶を交わす。2回り離れた物書きの先輩が、取材の案内役を買って出てくれた。 柴野さんは2003年4月、詩人・福島登さん(73歳)の初めての詩集『すずかけの樹』(つむぎ出版)を世に送り出した。ハンドルを切りながら、柴野さんがバリ...

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今できることをやっておきたい 胃がんの手術から16カ月後に、サハラマラソン237キロを走り抜く・多田慎一さん

2004年8月

多田慎一さん (会社員) ただ しんいち 1949年、山形県生まれ。 73年、日本光学工業株式会社(現・株式会社ニコン)に入社後、一貫して情報システム関係の仕事を担当。 2004年4月から株式会社ニコン技術工房に出向。 6月から同社代表取締役。 趣味は登山とランニングと碁。 2002年、健康診断で胃がんが見つかり、同年12月に手術で胃の3分の2を切除。 初期のがんで転移もなく、手術後、医師は“完...

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白血病を乗り越えて現役復帰!「マウンド度胸」の男・岩下修一投手の1220日

2004年7月

岩下 修一 いわした しゅういち 1973年静岡県生まれ。浜松工業高校から三菱自動車岡崎を経て、2000年にオリックス・ブルーウェーブに入団(ドラフト4位)。2年目の2001年7月、骨髄性白血病になる。神戸市内の病院に入院し、抗がん剤治療などを受け、日常生活に支障がない程度まで回復し、退院。翌02年のオープン戦で一軍に復帰した。期待された入団2年目に白血病になる 「復帰してマウンドに上がったとき...

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希望を持って生きなければ、人間として生まれた甲斐がないですよ ジャーナリスト・患者会「金つなぎの会」代表・広野光子さん

2004年7月

ピンクの頬紅 広野光子さん 患者会「金つなぎの会」代表 3月下旬の夕方。 近鉄・名張の駅前には、見上げるほど大きな桜の木が堂々とした風格で咲き初めていた。 ところが、現れた広野光子さん(63歳)は、すでにほどよく咲き誇った桜のような人だった。 頬からこめかみにかけて、鮮やかなピンクのほお紅を差している。同じ色のセーターに、品のいいグレーのジャケット姿だ。あごの線で切りそろえた...

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今、二つ目のいのちを伸びやかに生きている がんになって初めて気がついた、一番大切なのは家族だということに・樋口 強さん

2004年7月

樋口 強さん (会社員・全日本社会人落語協会副会長兼事務局長) ひぐち つよし 1952年生まれ。 兵庫県姫路市出身。新潟大学法学科卒。 1975年4月、東レ入社。現在、東レシステムセンター・企画管理部長。 1996年、肺の小細胞がんが見つかり、右肺の3分の1を手術で切除。術前と術後に抗がん剤治療を受ける。 2001年、手術から5年たった記念に「いのちに感謝の落語独演会」を開催。 以後、毎年、が...

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元日本ライト級チャンピオンの戦いのゴングは「あと2カ月の命」と宣告されたときに鳴った がんVSバトルホーク風間のエンドレスマッチ

2004年6月

バトルホーク 風間 バトルホーク かざま 1950年東京生まれ。 元日本ライト級チャンピオン。 アマチュアで活躍していた兄にボクシングの手ほどきを受け上野高校1年のとき国体出場。 のちに専修大に進みアマでの戦績は123勝9敗。 1974年ハワイでプロデビュー75年帰国。 79年日本ライト級王者。 80年WBA世界ジュニアライト級王者サムエル・セラノに挑戦したが敗退。 その後左目の網膜剥離がひどくな...

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困難をいくつも乗り越えているうちに、「自分の本当の姿」が見えてきた ミュージシャン・KOUTAROさん

2004年6月

闘病しながらステージに立つ KOUTAROさん ミュージシャン 2月上旬、NHKの夕方のローカルニュースで、ミュージシャン・KOUTAROさん(こうたろう・46歳)が紹介されていた。 2年前、末期の肺がんと診断され、脳への転移を抱えている。放射線で脳腫瘍を枯らすガンマナイフなどの治療を受けながらも、詩や曲を作り、ステージに立つ。 黒いニット帽に口髭。浅黒い肌に黒い服がよく映える。...

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患者の心に寄り添うボランティアを医療現場に がん体験が患者を置き去りにしない医療の大切さを教えてくれた・今井俊子さん

2004年6月

今井俊子さん (日の出ヶ丘病院ボランティア・コーディネーター) いまい としこ 1938年、沼津市生まれ。 国立療養所久里浜病院付属看護学校卒業。 日本大学文理学部(哲学専攻)卒業。 看護師として川崎市立病院に勤務した後、聖隷学園浜松衛生短期大学講師、佼成看護専門学校講師、東京女子医科大学看護学部助教授などを歴任し、2001年4月から現職。 乳がん患者会「新樹の会」会長。 著書に『病と闘う心』(...

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がんの怖さはイメージできない部分があること 2度のニアミスがあった評論家、樋口恵子さんの乳がん体験記

2004年5月

樋口 恵子 ひぐち けいこ 1932年東京都生まれ。 東京大学文学部卒同大学新聞研究所本科終了。 時事通信社、学研、キャノン株式会社を経て評論活動に入る。 内閣府及び東京都男女共同参画会議などの各種審議会委員を務める。 「高齢社会をよくする女性の会」代表。 主著に『地域でとりくむみんなで育てる介護保険』『私のまちの介護保険』『チャレンジ「平和ボケおばさん」七十歳の熱き挑戦!』ほか多数。 なぜ...

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娘を亡くした後にも再び「喪失」があるとは、思いもしませんでした インフルエンザ脳症の会【小さないのち】代表・坂下 裕子さん

2004年5月

不妊治療中にがんが見つかった 坂下 裕子さん インフルエンザ脳症の会【小さないのち】代表 大阪の代表的な繁華街、十三。 東京でいう歌舞伎町のような街だ。商店や飲み屋、風俗店などが混在している。そこに働く女性を地元では「十三のねーちゃん」と親しみを込めて呼ぶ。 駅前にいる「客引き」のそばを通り過ぎ、にぎやかな商店街を抜けると、下町情緒の漂う住宅地に出る。アパートやマンション、合気道の道...

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