闘病記

納得の治療に必要なのは医師との信頼関係 在宅で自分らしく生きる

2005年9月

2004年春。何となく風邪が治りにくいと感じていました。が、もともと病院が嫌いだったこともあり、たいしたことはないだろうという思いから、そのまま病院にもいかず、忙しい毎日を過ごしていました。58歳の私は、建築や鉄・コンクリートを専門とする写真家で、自宅の隣に事務所を置いて仕事をしていました。しかし、風邪は一向に良くなる気配はありませんでした。今までは暑がりで、冷房なしにはいられなかったにも関わらず...

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がん体験を活かして県民のための医療改革を推し進めた 元岐阜県知事・梶原拓

2005年8月

梶原 拓 かじわら たく 1933年11月14日、岐阜市本郷町生まれ。 56年に京都大学法学部を卒業後、同年建設省に入省。 大臣官房会計課長、道路局次長、都市局長などを歴任。 85年岐阜県副知事に就任。 89年、「夢おこし県政」を旗印に知事に初当選。 4期16年にわたり知事を務め03年9月には全国知事会会長に就任。 04年2月に勇退。05年3月、岐阜県顧問、財団法人岐阜県イベント・スポーツ振興事業...

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知ではなく「言葉のもてなし」を相手に届けたい 2つのがんを体験し、4つの袋を身につけながらも、語り続けるプロの語り部・川島保徳さん

2005年8月

川島保徳さん (語り部) かわしま やすのり 1939年、中国大陸に生まれ、終戦後郷里群馬に帰る。 中央大学経済学部卒業。プロの語り部として民話や昔話を口演して回る。 1997年、大腸がん発症。 2000年、膀胱がん発症。 いずれのときも手術で、人工肛門と人口膀胱を造設した。 日本民話の会、民話と文学の会、子供民話の会会員。 人に喜ばれることの喜び 大学に通いながら、人形劇団に所属し、NH...

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今日の日を生きている幸運に感謝 後悔することなく1日1日を大切に

2005年7月

私とがんとの闘いの始まりは2002年8月末。咳が出始めた。夏風邪だと思っていたがなかなか治まらなかった。10月になり夫が肺炎に罹った。このころになってもまだ咳をしている私に「お母さんも診てもらったほうがええで」と夫。咳止め薬でも出してもらおうか。そんな軽い気持ちで受診した。ところがX線写真には全体がもやもやと白い肺が写っていた。翌日国立病院へ入院。主治医との面談で、胸部X線写真と腫瘍マーカーの数値...

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“奇跡を生むんだ”と「がん春」まっ只中の小児科医 田村明彦さん

2005年7月

パッチ・アダムスのような赤鼻をつけて予防接種をする田村明彦さん(田村小児科医院で) 私の手元に、一風変わった「育児書」がある。その本、『新米ママがんばれ! ~だいじょうぶだよ』(新風舎)は、今年1月に出版された。 著者は小児科医の田村明彦さん(70歳)。小児科医院を開業して25年になる。この本の表紙では、彼自身が “アメリカの赤ひげ”パッチ・アダムスを思わせるリンゴのような鼻をつけ、にっこ...

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食事療法と瞑想で得た「自分のやるべきこと」 がん体験が手弁当で途上国のために奔走する人生を選んだ・北谷勝秀さん

2005年7月

北谷勝秀さん (NPO法人2050理事長) きたたに かつひで 1931年、静岡県生まれ。 30年以上にわたって国際公務員として国連本部で働き、国連人口基金事務局次長を最後に退職。 1994年、NPO2050を設立して理事長に就任し、途上国の人口問題、女性地位向上などに取り組んでいる。 1983年、進行性胃がんを発症し、手術で胃の4分の3を切除した。 潰瘍の真ん中にできた腫瘍 アメリカの友人...

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がんとの戦いを劣勢から「ドロー」に持ちこみ大願を成就した元王者 「一瞬の夏」の元プロボクサー・カシアス内藤

2005年6月

カシアス 内藤 かしあす ないとう 1949年5月、神奈川県に生まれる。 日本人の母と進駐軍の黒人軍曹を父に持つ。 アマチュアボクシングを経て、68年プロデビュー。 1970年に日本チャンピオン、71年には東洋チャンピオンになるが初防衛戦に敗れ74年引退。78年にカムバックするが79年東洋タイトル戦に敗れ再び引退。 2004年に咽頭がんの診断を受け入院治療。 退院し05年2月1日、念願だったE&a...

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「治療を受ける理由」は何かを考えた 夢まぼろしの如くなり

2005年6月

肺がんの宣告。すでに腰にも転移 私がはっきりとがんの宣告を受けたのは、2004年1月でした。今までの検査で肺に影があることが分かっていましたから、ある程度覚悟をしていたつもりですが、さすがに宣告されたときはショックでした。 それまでの経過を簡単に書きますと、私は1年半前から右腰が痛くなり、整形外科にかかっていました。薬を飲み、リハビリもしましたが少しも良くなりません。1年ほどたった頃、担当医が...

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何かに夢中になる。それが余命を延ばすと信じて 乳がん手術直後に世界第8位の高峰マナスルに挑んだ登山家・大久保由美子さん

2005年6月

大久保由美子さん (登山家、主婦) おおくぼ ゆみこ 1968年、山口県生まれ。 青山学院大学経営学部卒。 早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程修了。 OL生活をしていた1992年から登山を始め、99年にはカナダの登山学校で登山の基礎と語学を学んだ。 これまでにヒマラヤなど多くの高峰の登頂に成功している。 2001年、乳がんを発症し、温存手術を受けた。 その4カ月後にマナスル(8163メートル...

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「どん底」を味わったから、今、前向きになれる がん患者と家族の会「かざぐるま」代表・結城富美子さん

2005年5月

結城富美子さん (ゆうき ふみこ) がん患者と家族の会「かざぐるま」代表 “余命は2週間から2カ月” 3年ほど前、そう診断された末期肺腺がん患者の結城富美子さん(53歳)。その回復には、目を見張るものがある。今では、ごくふつうの日常生活を送っているのだ。 ショートヘアに銀縁眼鏡、きっちりとした身だしなみが、元銀行員らしい。尼崎市内の自宅で、夫・俊和さん(53歳)と長女・さやかさん(20...

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