闘病記

がんと生きる

がん医療の最前線で働く医師が、がんになって得たものとは 再発したら、そのときはそのとき。今は1日1日、ベストを尽くすだけ

2010年1月

植田健さん 泌尿器科医 うえだ たけし 1962年生まれ。89年千葉大学医学部卒業。98年医学博士号を取得。カナダのブリティッシュコロンビアキャンサーエージェンシーへ研究留学、千葉大学講師などを経て、現在千葉県がんセンター泌尿器科部長。06年3月44歳で急性リンパ性白血病を発症。骨髄移植などを経て、12月に退院。07年4月から復職し、今は毎日忙しく患者さんの診察にあたっている がん医療の最前...

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患者5人による“わたし的”副作用克服記 苦しみを乗り越えた先輩患者たちの副作用に負けない極意

2009年12月

先のことは考えない。淡々と治療をこなす堀田貴予さん(39歳)堀田貴予(ほった たかよ) 04年、34歳のとき、子宮頸がん2a期と診断、広範子宮全摘術を受ける。現在は個人でマーケティングやホームページ管理などの仕事を請け負っている。「子宮ガン治療の話」というブログを立ち上げており、主に婦人科がんで悩む患者さんの相談に乗っている堀田貴予さんが子宮頸がんのステージ(病期)2aと診断され、子宮だけでなく卵...

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ノンフィクションライターが綴るがんと対峙した7カ月間の記録(手記) 人は病を得ることで支え合って生きることを知る

2009年11月

川本敏郎さん ノンフィクションライター かわもと としろう 1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリーに。著書に『簡単便利の現代史』(現在書館)、『中高年からはじめる男の料理術』(平凡社新書)、『こころみ学園奇蹟のワイン』(NHK出版)など。2009年に下咽喉がん、大腸がんが発覚。治療をしながら、現在も執...

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「命を使ってやるべきこと」に気づいたのはラッキーです 他人の痛みを自分の痛みとして感じられるようになった 元NHKキャスター/フリーアナウンサー・松本陽子さん

2009年10月

まつもと ようこ18歳で父をがんで亡くし、自らも33歳のとき、子宮頸がんを発症。闘病中に「患者さんのために、役に立つことがしたい」と決意し、当時勤務していたNHK松山放送局を退職。その後、患者・家族会「愛媛がんサポートおれんじの会」を設立。患者力の向上を目指す。がん対策推進協議会患者委員も務め、安心できるがん医療の構築に向けて奔走中。 08年に活動を開始したがん患者・家族会の「愛媛がんサポートお...

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多重がんに襲われた脳外科医が、がんになって学んだものとは? がんで死ねたら幸せと思い込む。それが私の死との向き合い方

2009年9月

冨田伸さん(脳神経外科医、緩和ケア病棟顧問) とみた しん 1970年、東京医科歯科大学卒業。国保旭中央病院に赴任。以来、約40年間にわたり、同院の脳神経外科医として地域医療に携わる。91年から千葉東部ターミナルケア研究会代表を務め、99年より旭中央病院の緩和ケア病棟部長を兼任。現在は緩和ケア病棟顧問を務める。自身も、04年大腸がんが発覚。以後、甲状腺がん、前立腺がん、膀胱がんとつき合いながら、...

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たとえ来月死んでもいい。最期の瞬間まで幸せでいたいと、彼女は抗がん剤を拒否した 次々にがん転移に襲われながらも、自分の生き方と美学を貫く人気芸者・まりこさん

2009年8月

まりこ30歳で花柳界デビュー。大井海岸きっての人気芸者として、あちこちのお座敷に引っ張りだこの日々を送る。その後独立、「まつ乃家」の女将に。40歳で受けた東京都の区民検診で子宮頸がんが発覚。がんは子宮体部、S状結腸、肝臓、骨盤内リンパ節、肺、傍大動脈リンパ節に転移。現在も療養しながら、「まつ乃家」の女将として舵を切る。 ある日を境に、彼女は抗がん剤治療を止めることを決意した。東京は品川・大井海岸...

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会社を守るため、家族を守るために彼女は病気を隠すことを決意した 孤独な女性経営者の闘病生活。支えたのは患者仲間だった

2009年7月

大東和子さん(大東寝具工業株式会社会長・がん患者サロン「うずらプラナスの会」世話人) おおひがし かずこ 1978年、会社経営の夫が急逝したことに伴い、大東寝具工業株式会社(京都市伏見区)の社長に就任する。2001年、自身の大腸がん闘病を機に現職。「ものづくり」が大好きで、「寝具研究家」の顔も持つ。2008年3月より国立病院機構京都医療センター内がん患者サロン「うずらプラナスの会」世話人 本...

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20代でがんが発覚。出産直前までがん治療の後遺症に苦しんだ がん、不妊治療を経て産まれた命。夫と一緒だから乗り越えられた

2009年6月

菰原純子さん(パタンナー*) こもはら じゅんこ 1975年、埼玉県出身。東京モード学園を卒業後、都内のアパレルメーカーに就職。25歳のとき、子宮頸がんが発覚。円錐切除手術を受け、術後5年検診も無事終えて現在に至る。28歳で結婚、2009年2月、待望の第1子を出産 *パタンナー=デザイナーが書いたデザイン画をもとにして、立体的な服を作るための型紙を起こす人 がん、不妊治療 夫婦の絆が試された...

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「1人じゃないよ」30代でがんを患った女性が贈る“生きる”メッセージ 思いもよらなかった術後の後遺症。それでも彼女は生きる意味を探し求めた NPO法人HOPEプロジェクト理事長・桜井なおみさん

2009年5月

さくらい なおみ2004年夏、37歳で乳がんが発覚。その後、自らのがん体験や社会スキルを活かして小児がん・若年性がん患者の自然遊びの会(ボタニカルキッズクラブ)を始動。設立1年を契機にNPO法人化。自ら仕事を持つ傍ら、現在、NPO法人HOPEプロジェクト理事長として、サバイバーシップの啓発・普及を目指して、日々奔走中。 桜井なおみさんは環境・緑化分野の設計事務所でキャリアを積み重ねていた37歳の...

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多重がんを経験したデジタル印刷のパイオニアが語る「動じない生き方」 想像を絶する術後の後遺症――。悪戦苦闘しながら、ひとつひとつ乗り越えてきた

2009年4月

はたの ひろや 1952年、東京都北区生まれ。高校卒業後、数年間「プラプラ」したのち、21歳の時、父の会社「ラン印刷」に入社。40代には、完全に会社を引き継ぐ。1992年、デジタル印刷DTPを専門とする㈱ルナテックを設立、代表取締役社長に就任。現在に至る。1986年には、印刷製版工程の一部門を分業化した㈱クイックも創設している 印刷業IT化の大波を越えて スリムな体躯に背広がよく似合い、長めの...

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