闘病記

がんと生きる

20代でがんが発覚。出産直前までがん治療の後遺症に苦しんだ がん、不妊治療を経て産まれた命。夫と一緒だから乗り越えられた

2009年6月

菰原純子さん(パタンナー*) こもはら じゅんこ 1975年、埼玉県出身。東京モード学園を卒業後、都内のアパレルメーカーに就職。25歳のとき、子宮頸がんが発覚。円錐切除手術を受け、術後5年検診も無事終えて現在に至る。28歳で結婚、2009年2月、待望の第1子を出産 *パタンナー=デザイナーが書いたデザイン画をもとにして、立体的な服を作るための型紙を起こす人 がん、不妊治療 夫婦の絆が試された...

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「1人じゃないよ」30代でがんを患った女性が贈る“生きる”メッセージ 思いもよらなかった術後の後遺症。それでも彼女は生きる意味を探し求めた NPO法人HOPEプロジェクト理事長・桜井なおみさん

2009年5月

さくらい なおみ2004年夏、37歳で乳がんが発覚。その後、自らのがん体験や社会スキルを活かして小児がん・若年性がん患者の自然遊びの会(ボタニカルキッズクラブ)を始動。設立1年を契機にNPO法人化。自ら仕事を持つ傍ら、現在、NPO法人HOPEプロジェクト理事長として、サバイバーシップの啓発・普及を目指して、日々奔走中。 桜井なおみさんは環境・緑化分野の設計事務所でキャリアを積み重ねていた37歳の...

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多重がんを経験したデジタル印刷のパイオニアが語る「動じない生き方」 想像を絶する術後の後遺症――。悪戦苦闘しながら、ひとつひとつ乗り越えてきた

2009年4月

はたの ひろや 1952年、東京都北区生まれ。高校卒業後、数年間「プラプラ」したのち、21歳の時、父の会社「ラン印刷」に入社。40代には、完全に会社を引き継ぐ。1992年、デジタル印刷DTPを専門とする㈱ルナテックを設立、代表取締役社長に就任。現在に至る。1986年には、印刷製版工程の一部門を分業化した㈱クイックも創設している 印刷業IT化の大波を越えて スリムな体躯に背広がよく似合い、長めの...

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40歳で乳がんを患った1人の医療者が、患者と医療者、そして日本と米国をつなぐ架け橋として歩き始める 医療者として、そして女性として――。がんを乗り越えた今、彼女は強くなった

2009年3月

あおき みほ 1965年高知県生まれ。高知女子大学看護学科卒業。看護師、保健師、衛生管理者。大学病院の病棟に看護師として3年間勤務、その後松下電器産業ほか企業の保健師、衛生管理者として約16年間勤務。We can fight(ウィメンズ・キャンサー・ファイター・サポート)主宰 乳がんサバイバーとして編訳書を出版 08年9月、ある1冊の本が出版された。リリー・ショックニー著『生きるための乳がん(原...

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あきらめたらあかん。あきらめなければ夢は叶う 抗がん剤治療をしながら、北京パラリンピックに挑んだ脳性まひアスリート・藤田真理子さん

2009年2月

ふじた まりこ1964年、大阪府生まれ。OL時代、障害者スポーツに目覚め、短距離選手として1987年の全国障害者スポーツ大会に初出場。1988年、パラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)ソウル大会日本代表となる。その後、水泳に転向。1999年、フェスピック(極東・南太平洋障害者スポーツ大会)大会優勝など、国内外で数々の大会を制し、34歳のとき投擲競技を始める。2000年、シドニーパラリンピック...

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がん宣告にも慌てず騒がず「しゃあねぇや」人生の強さ 「人呼んで、ハードボイルドだど!」で一世を風靡したボードビリアン/俳優/書評家・内藤 陳さん

2008年11月

ないとう ちん 本名・ないとう のぶる1940年、東京都生まれ。日本大学芸術学部中退。1962年、井波健・栗実とともにトリオ・ザ・パンチを結成、日劇ミュージックホールなどを舞台に大活躍。1981年より「月刊プレイボーイ」で書評「読まずに死ねるか!」を連載し、冒険小説、ハードボイルド小説の普及に貢献した。また同年に自ら日本冒険小説協会を設立、会長に就任して以来、毎年、日本冒険小説大賞を選んでいる。著...

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病院のなかを明るくしたい。病気を機に歌い始めた病院コンサートは300回超 「余命2カ月」の危機をくぐり抜けた遅咲きシンガーソングライター・あどRUN太さん

2008年10月

あどらんた1948年、山口県生まれ。“人に役立つ音楽”をモットーにしたシンガーソングライターとして全国で活躍。2000年に日本作曲家協会主催「第2回新しい日本の歌コンテスト 自由曲部門」で「笑おうよ!」がグランプリ受賞。翌年に悪性リンパ腫を発症して以来、学校や病院などでのコンサートをすでに数百回実施している あどRUN太こと、渡橋一則(おりはし かずのり)さんが悪性リンパ腫を告げられたのは、「笑...

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どんなに追い込まれたときにも、ユーモア精神と心に余裕を 3つのがんを乗り越えつつある教育・経営コンサルタントが語る「がんとの付き合い方」

2008年9月

かど つらゆき 1964年、学習院大学理学部物理学科卒業、日立製作所入社(情報・通信グループ)。 2000年10月、日立製作所を定年退社(教育主管)。 専門はシステム・エンジニア教育コース設計と教育効果測定。 現在、情報処理国際機構(ITプロ、社会人教育担当)委員、情報文明文化研究所代表として「表現術」「交渉術」「コアコンピタンスとビジネスモデル」「マーケティング論」などを講演・講義している。 著...

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決してあきらめないで、 自分にあった治療法を捜してほしいと笑顔で訴えるその若々しい姿 30代半ばで肺腺がん、10年間で8度の治療を受けた主婦の壮絶な闘病人生

2008年8月

まつい かおる 1961年3月2日生まれ。 1998年4月国立がん研究センター病院で肺腺がん右上葉切除手術、 2002年3月同病院でシスプラチン・ビノレルビン、放射線治療。 2004年3月同病院で放射線治療。 2006年3月都立駒込病院で定位放射線治療、6月国立がん研究センター病院でイレッサ投与、8月同病院でシスプラチン・ゲムシタビン投与、12月名古屋共立病院で頸部定位放射線治療とTS-1投与を受...

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「歯肉がん、メラノーマは神さまから与えられた宿命です」 モンゴルでゴミ拾いツアーを実践する2度のがんを乗り越えた大道芸人の心意気

2008年7月

げんごろう 昭和25年山形県天童市生まれ。 同47年新宿歩行者天国で「街頭世直し紙芝居」で大道芸デビュー。 一時ケーシー高峰さんに弟子入り後独立し、大道芸能家として独自の話術による「ガマの油売り口上」「バナナの叩き売り口上」「黄金バットの紙芝居」などを演じて活躍中。 海外公演も18カ国に及び、とくにモンゴル公演は合計14回を数える。 近年、歯肉がん、メラノーマを手術。今年「モンゴルゴミ拾いツアー」...

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