闘病記

がんと生きる

治療法の選択で心揺れた日々。情報の渦のなかで決断 子宮頸がんのつらい治療と後遺症を乗り越え、レストラン開店の夢を実現 料理研究家・パンツェッタ貴久子さん

2011年3月

ぱんつぇった きくこ1986年、イタリアに渡り、磁器学校に留学。88年、パンツェッタ・ジローラモさんとの結婚を機に帰国。夫とともにイタリアについて紹介するほか、イタリア家庭料理教室の主宰を務める。07年に子宮頸がん発症するも、08年、イタリア家庭料理店「コチネッラ」をオープン。 子宮頸がんのつらい闘病や後遺症と闘いながら、イタリア料理店をオープンさせたパンツェッタ貴久子さん。西洋医学と東洋医学、...

詳細はこちら

妻の病を機に始めた闘病記探しが、自身の闘病を支えてくれた不思議 「闘病記」の魅力に取りつかれたネット古書店店主の大腸がん奮闘記 オンライン古書店「古書 パラメディカ」店主・星野史雄さん

2011年2月

ほしの ふみお1952年生まれ。早稲田大学大学院修了後、研究職を経て大学受験予備校に勤務していたが、97年に妻、光子さんの逝去を機に退職。翌年、闘病記専門のオンライン古書店「古書 パラメディカ」を開店。2010年に自身の大腸がんが見つかり、現在も抗がん剤治療をしながら古書店経営を続ける。 妻の乳がんが再発したとき闘病記を探して街を走り回った。その経験から「いつでも、どんな病気についても、患者の生...

詳細はこちら

腹膜播種まで起こしていたスキルス胃がんとの出合いが、人生を変えた 「スキルス胃がんに負けないぞ」胃を全摘後、フルマラソン完走

2011年1月

皿海英幸さん (団体職員) さらがい ひでゆき 広島県府中市で高級家具などの製材所を営んでいたが廃業。精神障害者施設の職業指導員に転職した直後の06年、53歳のときにスキルス胃がんが判明。腹膜播種まで起こしており、当初は手術もできない状態だったが、生活改善と抗がん剤治療のおかげで手術可能となり、胃と胆のうと脾臓を全摘した。退院2カ月後から趣味のジョギングを再開し、09年暮れ、フルマラソンを完走 ...

詳細はこちら

がんと共存しながら歌い続け、歌の心そのものを伝えたい 骨転移、肺転移の難治がんでも最後まであきらめず、目標を持って生きていく 声楽家/テノール歌手・本田武久さん

2010年12月

ほんだ たけひさ1971年生まれ。山形大学卒業後、高校の音楽教師の職に就くが、声楽家になる夢を追い、01年、29歳で東京芸術大学に入学。05年に卒業後、アルバイトや歌の個人指導などをしながら地道に活動し、音楽活動が軌道に乗り始めた07年に胞巣状軟部肉腫を発症。3年間で5回の手術を乗り越え、治療法のほとんどない難治がんと共存しながら、テノール歌手として今日も歌い続けている。 プロのテノール歌手にな...

詳細はこちら

胸・子宮・卵巣、女性機能をすべて切除。どん底から這い上がったその強さの秘密 2度の乳がんは、本来の自分自身を取り戻すためのレッスンだった

2010年11月

細谷真美さん (心と体の癒しのサロン「Mamiy」経営) ほそや まみ 高校時代にスカウトされ、モデルとしてショーやCMなどで活躍。大手電機メーカーのOLを経て、24歳で結婚、専業主婦に。44歳のときに右胸に、49歳のときに左胸に乳がんが発覚。その後、子宮筋腫と卵巣嚢腫を患い、左右の乳房と子宮、卵巣を切除。がんを機に、自分の人生を振り返り、離婚し、現在はセラピストとして、心と体の癒しのサロン「M...

詳細はこちら

がんと歩んだ6年間は、深い絆で結ばれた2つの魂による巡礼の旅のよう 母子二人三脚で離婚、乳がん、再発と闘う

2010年9月

中野咲子さん (仮名 41歳 在宅療養中) なかの さきこ 1969年生まれ。35歳のときに左乳房にがんが発覚。全摘手術を受け、その後放射線治療およびホルモン療法を実施。06年に再発、現在も抗がん剤治療を続けている 娘の存在が前向きに生きる原動力に 娘さん1歳のときの写真。中野さんにとって娘さんは、かけがえのない存在であり、かつ「一緒にがんと闘ってきてくれた戦友」でもある 埼玉県にある...

詳細はこちら

47歳でサルサにのめり込んだ元敏腕芸能プロデューサーの体からがんが消えた…… 踊ることによって、内なる生命力を呼び覚ました!?

2010年8月

渡部洋二郎さん (「サルサ・ホットライン・ジャパン」代表) わたべ ようじろう 1948年生まれ。大学卒業後、大手芸能プロダクションに入社。山下久美子、大沢誉志幸など数多くのミュージシャンの宣伝やプロデュースを手がける。その一方で30代のときにサルサと出合い、サルサのおもしろさにのめり込み、自らも踊る傍ら、97年に現在の「サルサ・ホットライン・ジャパン」を設立、サルサのPR活動を始める。2005...

詳細はこちら

死に対する恐怖心を感じないのは物理学的死生観のお陰 患者にとって必要な情報を――副作用に苦しんだ自身の体験を克明に公開

2010年7月

豊田博慈さん(元物理教師) とよだ ひろし 1930年東京新宿区生まれ。東京教育大学理学部に進学し、理論物理学を学ぶ。卒業後は都内の中学・高校で教鞭をとるかたわら、戦後初めて旧ソ連の物理教育を日本に紹介、この分野のパイオニア的存在に。2001年前立腺がんを発症。重粒子線治療を受ける傍ら、自らの治療体験をホームページで公開している 自身のがん治療記録をホームページ上で公開 その克明な記述と豊富な...

詳細はこちら

若くして乳がんになっても、私は、生・き・る

2010年7月

初発30歳がんになって、以前よりずっと行動的な人間になった気がします堀内祥子さん(仮名 30歳) 平成21年、30歳になったのを機に受診した乳がん検診で、がんが見つかる。乳がんについての猛勉強と患者会の助言を参考に、自分の納得のいく病院で乳房温存手術。その後は放射線治療を受けた 抽選で当たって受けた乳がん検診 乳がんの告知を受けたのは平成21年11月のことです。きっかけは市の乳がん検診でした。市の...

詳細はこちら

乳がんが再発、したいことリストを作り、「今」を思う存分生きる 病人としてではなく、自分らしく生きたい

2010年6月

仲西実穂さん 主婦 なかにし みほ 1965年生まれ。幼いころから物作りが好きで、「看板製作」の仕事に関わる。2005年、40歳のときに左乳房にがんが発覚。2年後に肺に転移。現在、抗がん剤治療中。再発がわかった後、「今したいことリスト」を作り、自転車長距離イベントなどに挑戦し続けている 乳がん手術から2年。肺に転移 乳がん手術からちょうど2年目、2007年8月に医師から肺転移を告げられた。42...

詳細はこちら