闘病記

がんと生きる

自分を救ってくれた歌を通じて、私も誰かのために祈りたい 死力を尽くして自分らしく生きることを選んだ、ゴスペルシンガー・KiKi(ゲーリー清美)さん

2010年4月

きき1968年生まれ。北海道出身。幼い頃からピアノや歌を習い、27歳のときに渡米。そこで、ゴスペルと運命的な出合いを果たす。日本に帰国後、シンガーとしての活動を広げ、03年にはCDデビュー。05年、乳がんが発覚。08年に再発。少しでも多くの人に、自分の歌と生き方を知ってほしいと、現在も全国で音楽活動を続けている。 「どれだけ長く生きるか」よりも「どれだけ深く生きるか」―。ゴスペルシンガーとして活...

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自らの体験を機に、魔法の帽子「ウィッシング・キャップ」を発案 命さえあれば、何でも乗り越えていける

2010年3月

伊佐美佐さん (有)ISAMISAデザインスタジオ代表 いさ みさ 1961年生まれ。大学卒業後、一貫して婦人服の企画・デザインに従事。41歳のとき、心臓の上に奇形腫が見つかる。化学療法、手術を行い、今年で術後8年目を迎える。退院後は、自らの体験を機に、抗がん剤の副作用で脱毛した患者さん向けに、着脱可能な付け髪が付いた「ウィッシング・キャップ」を発案。現在、全国の患者さんの声に耳を傾けながら、「...

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がん体験者ならではのできることを追求し見つけ出した「再現美容師」という職業 がんと苦闘している患者さんをきれいにしてあげたい

2010年2月

菅谷利恵子さん 再現美容師 すがや りえこ 1961年生まれ。美容専門学校卒業後、80年に横浜元町の美容室に就職その後サロンワークなどに従事。43歳のとき、婦人科検診で子宮頸がんが発覚、手術。その後08年9月にNPO法人日本ヘアエピテーゼ協会認定の「再現美容師」の資格を取得。08年11月には神奈川県横浜市に医療用ウィッグ専門の美容室、コワフュール・ド・コンフェッティをオープンさせる 自らのが...

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がん医療の最前線で働く医師が、がんになって得たものとは 再発したら、そのときはそのとき。今は1日1日、ベストを尽くすだけ

2010年1月

植田健さん 泌尿器科医 うえだ たけし 1962年生まれ。89年千葉大学医学部卒業。98年医学博士号を取得。カナダのブリティッシュコロンビアキャンサーエージェンシーへ研究留学、千葉大学講師などを経て、現在千葉県がんセンター泌尿器科部長。06年3月44歳で急性リンパ性白血病を発症。骨髄移植などを経て、12月に退院。07年4月から復職し、今は毎日忙しく患者さんの診察にあたっている がん医療の最前...

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患者5人による“わたし的”副作用克服記 苦しみを乗り越えた先輩患者たちの副作用に負けない極意

2009年12月

先のことは考えない。淡々と治療をこなす堀田貴予さん(39歳)堀田貴予(ほった たかよ) 04年、34歳のとき、子宮頸がん2a期と診断、広範子宮全摘術を受ける。現在は個人でマーケティングやホームページ管理などの仕事を請け負っている。「子宮ガン治療の話」というブログを立ち上げており、主に婦人科がんで悩む患者さんの相談に乗っている堀田貴予さんが子宮頸がんのステージ(病期)2aと診断され、子宮だけでなく卵...

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ノンフィクションライターが綴るがんと対峙した7カ月間の記録(手記) 人は病を得ることで支え合って生きることを知る

2009年11月

川本敏郎さん ノンフィクションライター かわもと としろう 1948年生まれ。大学卒業後、出版社に勤務。家庭実用ムック、料理誌、男性誌、ビジネス誌、書籍等の編集に携わる。2003年退社してフリーに。著書に『簡単便利の現代史』(現在書館)、『中高年からはじめる男の料理術』(平凡社新書)、『こころみ学園奇蹟のワイン』(NHK出版)など。2009年に下咽喉がん、大腸がんが発覚。治療をしながら、現在も執...

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「命を使ってやるべきこと」に気づいたのはラッキーです 他人の痛みを自分の痛みとして感じられるようになった 元NHKキャスター/フリーアナウンサー・松本陽子さん

2009年10月

まつもと ようこ18歳で父をがんで亡くし、自らも33歳のとき、子宮頸がんを発症。闘病中に「患者さんのために、役に立つことがしたい」と決意し、当時勤務していたNHK松山放送局を退職。その後、患者・家族会「愛媛がんサポートおれんじの会」を設立。患者力の向上を目指す。がん対策推進協議会患者委員も務め、安心できるがん医療の構築に向けて奔走中。 08年に活動を開始したがん患者・家族会の「愛媛がんサポートお...

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多重がんに襲われた脳外科医が、がんになって学んだものとは? がんで死ねたら幸せと思い込む。それが私の死との向き合い方

2009年9月

冨田伸さん(脳神経外科医、緩和ケア病棟顧問) とみた しん 1970年、東京医科歯科大学卒業。国保旭中央病院に赴任。以来、約40年間にわたり、同院の脳神経外科医として地域医療に携わる。91年から千葉東部ターミナルケア研究会代表を務め、99年より旭中央病院の緩和ケア病棟部長を兼任。現在は緩和ケア病棟顧問を務める。自身も、04年大腸がんが発覚。以後、甲状腺がん、前立腺がん、膀胱がんとつき合いながら、...

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たとえ来月死んでもいい。最期の瞬間まで幸せでいたいと、彼女は抗がん剤を拒否した 次々にがん転移に襲われながらも、自分の生き方と美学を貫く人気芸者・まりこさん

2009年8月

まりこ30歳で花柳界デビュー。大井海岸きっての人気芸者として、あちこちのお座敷に引っ張りだこの日々を送る。その後独立、「まつ乃家」の女将に。40歳で受けた東京都の区民検診で子宮頸がんが発覚。がんは子宮体部、S状結腸、肝臓、骨盤内リンパ節、肺、傍大動脈リンパ節に転移。現在も療養しながら、「まつ乃家」の女将として舵を切る。 ある日を境に、彼女は抗がん剤治療を止めることを決意した。東京は品川・大井海岸...

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会社を守るため、家族を守るために彼女は病気を隠すことを決意した 孤独な女性経営者の闘病生活。支えたのは患者仲間だった

2009年7月

大東和子さん(大東寝具工業株式会社会長・がん患者サロン「うずらプラナスの会」世話人) おおひがし かずこ 1978年、会社経営の夫が急逝したことに伴い、大東寝具工業株式会社(京都市伏見区)の社長に就任する。2001年、自身の大腸がん闘病を機に現職。「ものづくり」が大好きで、「寝具研究家」の顔も持つ。2008年3月より国立病院機構京都医療センター内がん患者サロン「うずらプラナスの会」世話人 本...

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