闘病記

がんと生きる

「命を使ってやるべきこと」に気づいたのはラッキーです 他人の痛みを自分の痛みとして感じられるようになった 元NHKキャスター/フリーアナウンサー・松本陽子さん

2009年10月

まつもと ようこ18歳で父をがんで亡くし、自らも33歳のとき、子宮頸がんを発症。闘病中に「患者さんのために、役に立つことがしたい」と決意し、当時勤務していたNHK松山放送局を退職。その後、患者・家族会「愛媛がんサポートおれんじの会」を設立。患者力の向上を目指す。がん対策推進協議会患者委員も務め、安心できるがん医療の構築に向けて奔走中。 08年に活動を開始したがん患者・家族会の「愛媛がんサポートお...

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多重がんに襲われた脳外科医が、がんになって学んだものとは? がんで死ねたら幸せと思い込む。それが私の死との向き合い方

2009年9月

冨田伸さん(脳神経外科医、緩和ケア病棟顧問) とみた しん 1970年、東京医科歯科大学卒業。国保旭中央病院に赴任。以来、約40年間にわたり、同院の脳神経外科医として地域医療に携わる。91年から千葉東部ターミナルケア研究会代表を務め、99年より旭中央病院の緩和ケア病棟部長を兼任。現在は緩和ケア病棟顧問を務める。自身も、04年大腸がんが発覚。以後、甲状腺がん、前立腺がん、膀胱がんとつき合いながら、...

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たとえ来月死んでもいい。最期の瞬間まで幸せでいたいと、彼女は抗がん剤を拒否した 次々にがん転移に襲われながらも、自分の生き方と美学を貫く人気芸者・まりこさん

2009年8月

まりこ30歳で花柳界デビュー。大井海岸きっての人気芸者として、あちこちのお座敷に引っ張りだこの日々を送る。その後独立、「まつ乃家」の女将に。40歳で受けた東京都の区民検診で子宮頸がんが発覚。がんは子宮体部、S状結腸、肝臓、骨盤内リンパ節、肺、傍大動脈リンパ節に転移。現在も療養しながら、「まつ乃家」の女将として舵を切る。 ある日を境に、彼女は抗がん剤治療を止めることを決意した。東京は品川・大井海岸...

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会社を守るため、家族を守るために彼女は病気を隠すことを決意した 孤独な女性経営者の闘病生活。支えたのは患者仲間だった

2009年7月

大東和子さん(大東寝具工業株式会社会長・がん患者サロン「うずらプラナスの会」世話人) おおひがし かずこ 1978年、会社経営の夫が急逝したことに伴い、大東寝具工業株式会社(京都市伏見区)の社長に就任する。2001年、自身の大腸がん闘病を機に現職。「ものづくり」が大好きで、「寝具研究家」の顔も持つ。2008年3月より国立病院機構京都医療センター内がん患者サロン「うずらプラナスの会」世話人 本...

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20代でがんが発覚。出産直前までがん治療の後遺症に苦しんだ がん、不妊治療を経て産まれた命。夫と一緒だから乗り越えられた

2009年6月

菰原純子さん(パタンナー*) こもはら じゅんこ 1975年、埼玉県出身。東京モード学園を卒業後、都内のアパレルメーカーに就職。25歳のとき、子宮頸がんが発覚。円錐切除手術を受け、術後5年検診も無事終えて現在に至る。28歳で結婚、2009年2月、待望の第1子を出産 *パタンナー=デザイナーが書いたデザイン画をもとにして、立体的な服を作るための型紙を起こす人 がん、不妊治療 夫婦の絆が試された...

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「1人じゃないよ」30代でがんを患った女性が贈る“生きる”メッセージ 思いもよらなかった術後の後遺症。それでも彼女は生きる意味を探し求めた NPO法人HOPEプロジェクト理事長・桜井なおみさん

2009年5月

さくらい なおみ2004年夏、37歳で乳がんが発覚。その後、自らのがん体験や社会スキルを活かして小児がん・若年性がん患者の自然遊びの会(ボタニカルキッズクラブ)を始動。設立1年を契機にNPO法人化。自ら仕事を持つ傍ら、現在、NPO法人HOPEプロジェクト理事長として、サバイバーシップの啓発・普及を目指して、日々奔走中。 桜井なおみさんは環境・緑化分野の設計事務所でキャリアを積み重ねていた37歳の...

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多重がんを経験したデジタル印刷のパイオニアが語る「動じない生き方」 想像を絶する術後の後遺症――。悪戦苦闘しながら、ひとつひとつ乗り越えてきた

2009年4月

はたの ひろや 1952年、東京都北区生まれ。高校卒業後、数年間「プラプラ」したのち、21歳の時、父の会社「ラン印刷」に入社。40代には、完全に会社を引き継ぐ。1992年、デジタル印刷DTPを専門とする㈱ルナテックを設立、代表取締役社長に就任。現在に至る。1986年には、印刷製版工程の一部門を分業化した㈱クイックも創設している 印刷業IT化の大波を越えて スリムな体躯に背広がよく似合い、長めの...

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40歳で乳がんを患った1人の医療者が、患者と医療者、そして日本と米国をつなぐ架け橋として歩き始める 医療者として、そして女性として――。がんを乗り越えた今、彼女は強くなった

2009年3月

あおき みほ 1965年高知県生まれ。高知女子大学看護学科卒業。看護師、保健師、衛生管理者。大学病院の病棟に看護師として3年間勤務、その後松下電器産業ほか企業の保健師、衛生管理者として約16年間勤務。We can fight(ウィメンズ・キャンサー・ファイター・サポート)主宰 乳がんサバイバーとして編訳書を出版 08年9月、ある1冊の本が出版された。リリー・ショックニー著『生きるための乳がん(原...

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あきらめたらあかん。あきらめなければ夢は叶う 抗がん剤治療をしながら、北京パラリンピックに挑んだ脳性まひアスリート・藤田真理子さん

2009年2月

ふじた まりこ1964年、大阪府生まれ。OL時代、障害者スポーツに目覚め、短距離選手として1987年の全国障害者スポーツ大会に初出場。1988年、パラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)ソウル大会日本代表となる。その後、水泳に転向。1999年、フェスピック(極東・南太平洋障害者スポーツ大会)大会優勝など、国内外で数々の大会を制し、34歳のとき投擲競技を始める。2000年、シドニーパラリンピック...

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がん宣告にも慌てず騒がず「しゃあねぇや」人生の強さ 「人呼んで、ハードボイルドだど!」で一世を風靡したボードビリアン/俳優/書評家・内藤 陳さん

2008年11月

ないとう ちん 本名・ないとう のぶる1940年、東京都生まれ。日本大学芸術学部中退。1962年、井波健・栗実とともにトリオ・ザ・パンチを結成、日劇ミュージックホールなどを舞台に大活躍。1981年より「月刊プレイボーイ」で書評「読まずに死ねるか!」を連載し、冒険小説、ハードボイルド小説の普及に貢献した。また同年に自ら日本冒険小説協会を設立、会長に就任して以来、毎年、日本冒険小説大賞を選んでいる。著...

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