「絶対泣かない」と心に誓い、膵がんと闘った1年(序)
小川嘉子さん
おがわ よしこ
社会保険労務士。神奈川県在住。2女の母。昭和62年社会保険労務士のご主人と小川労務管理事務所を開設。平成10年10月人間ドックで膵臓に嚢胞が見つかる。平成16年1月膵がんの診断を受け手術。術後抗がん剤治療を受ける。
社会保険労務士としてご主人とパートナーを組んで、また2人の娘の母として忙しく働いていた小川嘉子さん。これは、膵がん告知にはじまり、手術、術後抗がん剤治療へ、小川さんが自ら綴った1年にわたる膵がん闘病の記録です。
1. 検査
平成10年人間ドックで膵臓に嚢胞が見つかった。その後、半年に1度エコー検査を続けた。しかし平成16年1月の検査で腫瘍が確認された。医師から変化がないので1年後にしますかと言われた検査を、半年後と言った小川さんは、自分で自分の命を救ったのだ。
2. 入院
平成15年、膵嚢胞とは別の影が見つかった。がんと断言はできないが、限りなくがんに近いと言われた。医師にせかされ、手術のため入院することになった。
3. 手術(その1)
平成16年1月19日の検査で「膵がん告知」。23日慌ただしく入院。そしていよいよ30日の手術日を迎えた。
4. 手術(その2)
手術は成功し、繰り返し起こる腹痛に悩まされながらも順調に回復している。
5. 抗がん剤治療
手術は成功し、20日間の入院で退院。躊躇することなく抗がん剤治療を受けることを決めた。
6. 外来抗がん剤治療(その1)
抗がん剤治療が1クール受けたところで、外来での治療に切り替わった。
7. 外来抗がん剤治療(その2)
厳しいがんながらも、手術後、積極的に抗がん剤治療を受け、その結果、病院での生存記録を作り出すまでになっている。その裏には家族の温かいサポートと生きがいの仕事があったことが大きかったようだ。
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